仕事・働き方

安河内駿介 メジャー挑戦の陰に幾度もの挫折。感じたのは「人の支え」

2020.12.28

Uber Eats配達クルーやYouTuberとして働きつつ、メジャーリーグ入りを目指し研鑽を重ねる安河内駿介投手。彼はなぜ夢を追いかけ続けるのか。その「やる気」に迫りました。
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安河内駿介(やすこうち・しゅんすけ)

1994年2月8日生まれ。福岡県福岡市出身。野球選手。MAX151キロの直球とキレ味鋭い変化球を武器に、BCリーグ埼玉で活躍。その後、フリーとなり、Uber Eats配達クルーやYouTuberとして働きつつ、メジャーリーグ入りを目指し研鑽を重ねている。2021年は、20年春に続き3A級のメキシカンリーグへの参加が決定しており、周囲の期待も高まっている。安河内駿介のYouTubeチャンネル登録はこちら

 

 

自身の成長には
常に貪欲でありたい


 

やる気ラボの勝部です。
安河内駿介さん、本日はよろしくお願いします!

 

よろしくお願いします!

 

早速ですが、安河内さん。
安河内さんがプロ野球選手を目指そうと思ったきっかけを教えてください。

 

小学生の時に、初めて地元の福岡ドームにプロ野球を観に行ったことが始まりです。
その時、イチロー選手を初めて見た僕は、一緒に来ていたおじさんに「あの人の年俸どのくらい?」と何気なく聞いたんです。そしたら、「おまえのお父さんが一生で稼ぐお金の2~3倍だ」と言われ、「プロ野球選手ってそんなに儲かるんだ!」と面食らってしまいました。その瞬間、野球選手になろうと決心しましたね(笑)

 

安河内さんの夢は、お金から始まったというわけですね(笑)
しかし、その意思は強く、高校は熊本県の強豪・秀岳館へ進学されています。当時から、プロへの意識は相当なものだったのですか?

 

僕、中学生の時にあまり野球ができなかったんですよ。小学6年生の時に肘を壊して、中1の12月くらいに移植手術をして…。ようやく投げられるようになったのが中2の秋でした。1年しかまともに投げられなかった僕を、いちばん評価してくれた高校が秀岳館だったんです。

 

地元の福岡を離れる、いわゆる野球留学の選択。高校生の時から親元を離れて野球をすることに、抵抗はありませんでしたか?

 

逆ですね。早く家を出たくてしかたがなかったんです(笑)
親元を離れないと自分自身成長できないと思ったし、このままでは心配性のおかんをストレスでダメにしてしまうと思ったんですよ。だから、まったく知らない場所でチャレンジしようと決めました。

 

両親の反対を押し切って県外の高校へ進学を決めた

 

大学に東京国際大学を選ばれたのも、そういった理由からですか?

 

そうですね。地元の九州産業大学がいちばんの評価をしてくれていたんですけど、「やるからにはもっと高いレベルで挑戦したい」と思い、なんとなく強いイメージのあった東京の大学を選びました。

 

でも、大学時代もケガに悩まされました。大学3年の春のオープン戦、肘のじん帯をやったんですよ。そこから1年間チームを離脱して、4年の春のオープン戦で復帰したんですけど、今度は投げた後に肩が上がらなくなってしまって…。最終学年だったので、プロへの意識が強く、肩をかばって投げていたらまた肘まで痛くなってしまいました。

 

投手にとっては、1つのケガが命取りですものね…。

 

投球どころか、私生活にも支障があるくらいでした。歩くだけで、肩が外れそうな感覚があるんですよ。「もう野球は無理なんだ」と思い、引退を決意して、道具も全部後輩に譲ってしまいました。

 

大学からNPB入りの道はおろか、野球を続けるという道さえも閉ざされそうになったのですね。
その後どうなったのでしょう?

 

就職活動をして、地元で有名な会社に内定をもらったんです。素直な気持ちをぶつけたら、すぐに採用していただきました。合同研修にも参加して、ここならやっていけるのではないかという気持ちもわいてきて、仕事で頑張ろうという気持ちが強くなりました。

 

そこから、どうして再び野球をやることに?

 

野球を引退するにあたり、お世話になった人たちへ挨拶周りをすることにしたんです。その時、高校時代に助けてもらった福井県の山内整骨院にもうかがいました。そこで肩の様子を見てもらったところ、なんと投げられなかった肩が劇的によくなったんですよ!

 

(まるでH2だ…!)

 

10球投げたら2~3球ほど、痛みなく投げられるようになりました。「もしかしてまた投げられるようになるのでは…」という気持ちがわいてきて、同時に「このまま就職してしまってもいいのだろうか」と迷いが生まれました。結局、就職は後からでも遅くないのではないかと思い、3年という期限を決めて野球を続ける決断をしたんです。

 

なぜそこまで、野球への思いが強かったのでしょうか?

 

僕は安定な道に進むことがいやなんですよ。先が見えてしまうと、途端につまらなくなってしまうんです。レールがないところを、自分で切り開いていくことが好き。そこには安定より、もっといろいろな経験や成長があると思うんですよね。

 

かっこいいです…!
安河内さんは、自身の成長に貪欲なのですね。

 

「素直」という言葉がぴったりな安河内さん

 

 

幾度もの挫折
その度に強くなった思い


 

しかし、内定を蹴って野球の道に進むのは簡単なことではないと思います。
険しい道のりだったのではないでしょうか?

 

そうですね。その決断をしたのが大学4年の12月末のことだったので、既に企業チームのオファーは断っていたんですよ。だから、浪人してバイトをしながらチームを探すということになりました。1年目は、まず、投げられる状態に戻すことを目標に取り組みました。

 

地道な挑戦の始まりですね。1年目、目標は達成できたのですか?

 

1年目の努力が実り、浪人2年目から、静岡の企業チームに入団することが決まりました。「安河内君のNPB入りを全力で応援する」。そのように言ってもらって、二つ返事で入団を決めました。

 

すごいじゃないですか!

 

しかし、そこの環境が劣悪だったんです。運送会社が経営するチームだったので、朝の3時から13時間くらい牛乳を運ぶ仕事をしてから、ようやく野球の練習が始まります。しかも、球場なんてなく、寒風がふく河川敷での練習でした。

 

せっかく得たチームという環境も、過酷な環境に変わりなかった、と。

 

はい。その影響もあって、僕は自律神経をやられてしまいました。髪が抜けたり、10キロ近く体調が落ちたりもしました。最高の状態で行ったのに、身体がボロボロになり「もう野球を辞めてしまいたい」と思い悩むようにもなったんです。

 

それはつらいですね…。

 

でも、せっかく浪人して頑張ってきたんだから、せめて一度は真剣勝負をしたいと思いました。2カ月でそのチームを退団し、山内先生のつながりで滋賀県のびわこ成蹊スポーツ大学に練習環境を得、その年の末にはベイスターズの入団テストを受けさせてもらえるところまでたどり着いたんです。

 

望んでいた真剣勝負の舞台を、自らの手で手繰り寄せたのですね!

 

そうです。そして、ここでダメだったら「悔いなく終わろう」という思いで臨みました。

 

結果は3人中2人三振で、1人はピッチャーゴロ。「あれ?俺、いけるんじゃね?」、と(笑) 結局その年のNPB入りはかなわなかったんですけど、それが契機となってBCリーグのトライアウトを受験し合格。埼玉ベアーズに入団することになったんです。

 

NPB入りをかけたBCリーグでの挑戦、最初は順調だったけど…

 

独立リーグからは、毎年多くの選手がNPB入りを果たしています※。安河内さんもチームの抑えとして活躍。MAXは151キロを計測し、一躍その年のドラフト候補として名前を連ねるようになりました。

※【関連記事】BCリーグのトライアウトに密着。有名選手の弟、高校中退からプロ目指す16歳も・・・

 

しかし、自身が決めた期限でもある3年目のその年、結果的に安河内さんの名前は呼ばれることはありませんでした。非常に悔しい思いをされたというのは、聞くまでもないことかと思います。

 

同じ九州出身で親交のあった選手や、社会人野球で一緒にプレーした選手など、負けていないと思っていた知り合いがどんどん指名されていくのを見て、「今度こそ野球をやめてやろう」と思いました。正直、コネなのでは?と疑ってしまうところもありました。
それで、一気にNPBに対する熱が冷めてしまったんです。

 

当然のことのように思います。
しかし、安河内さんは次の年、野球をあきらめるどころか、今度はメジャー挑戦を公言。どういう心境の変化があったのですか?

 

BCリーグの代表の村山さんに引退の挨拶に行ったとき、「昔独立リーグから、レッドソックスのマイナーキャンプに参加した選手がいたんだ」という話を聞かされたんです。僕の中では引退するという報告だったのに、海外という新しい方向性を提案されたことに面食らってしまいました。海外という選択肢は、自分の頭の中にはまったくなかったんですよ。

 

ふむふむ。

 

そのお話を聞いたとき、今は故障もなく、せっかく挑戦できる状態にある。だから、「ここで挑戦しなかったらもったいない」と思いました。ストーリー的にも、この上ない。メジャー挑戦を決めたのは、その村山さんの言葉に刺激を受けたからなんです。

 

すごすぎます…。
何度も何度も「やめたい」と思った野球。どうしてそこまで頑張る意欲がわいてくるのでしょうか?

 

本当に、周りの人たちのおかげです。応援して励ましてくれる人たちに、僕は常に刺激とやる気をもらっているんですよ。

 

それでは、応援してくれる人たちのために頑張りたいという思いが強いからこそ、安河内さんは野球を続けているのですか?

 

それは、ちょっとだけ違います。もちろん、応援してくれる人たちには「やる気」をもらっていますし、喜ばせたいという気持ちは当然あります。でも、それは二の次。まずは、自分が「やりたい」か「やりたくないか」の二択なんです

 

人のためにやるというのは、それがプレッシャーやストレスになってしまうこともあるじゃないですか?
新庄さんがよく言うんですけど、「頑張ること」ではなく「楽しむこと」が、成長するために大切なことだと思うんです。自分が楽しんでやって、その上で結果が出せればこれ以上のことはありません。

 

なるほど。素敵な考え方ですね。

 

 

目標に向かう過程を
全力で楽しむ


 

先ほどお話にもあった新庄さんとは、この1年、共にプロ野球(メジャー)入りという夢を追いかけて練習してきたとうかがっています。安河内さんと新庄さん、どういった経緯で知り合われたのですか?

 

インスタです(笑)
去年、僕が練習の合間にインスタライブをしていたら、閲覧者が3人ぐらいしかいないようなところに、突然「shinjo.freedom」が入ってきたんですよ。「これを逃したらもう次はない!」と思って、その場で「メジャーを目指して頑張っています。僕で良ければ練習相手をさせてください」とアピールしたんです。そしたら、本当に僕のオファーを受けてくださって…。

 

すごい…。そんな偶然があるんですね!

 

人生、なにがあるかわからないですよね(笑)

 

新庄さんと一緒に練習する中で、なにか感じるものはありましたか?

 

48歳といえば、安定というか、決められた道をただ進んでいくような人生が普通だと思うんです。だけど、新庄さんは「中年でも夢を追いかけてもいいんだよ」ということを日本中に示してくれましたよね。
僕自身も練習に対する考え方が甘かったなと思いましたし、もっと努力しないといけないと、新庄さんの姿勢を見て強く感じました。

 

トライアウトでタイムリーヒットを放つ48歳の新庄さんの姿には、多くのファンが涙し、勇気をもらったことかと思います。

 

そうですよね。
そして、新庄さんには目標を立てることの大切さを学びました。練習などで必ずきついことや苦しいことはあるんですけど、それを含めて目標までの道のりを全力で楽しむということ。苦しいけど、その自分に打ち勝ったときの楽しさや嬉しさ。そういったものを感じて、トレーニングを積んでいけば、もっともっと強くなれるんだろうなと思います。

 

安河内さんにとって、新庄さんとの出会いは、精神面でもフィジカル面でも大きかったのですね。

 

 

そして、安河内さんは、来春からメキシカンリーグに参加が決定しています!メジャーリーグの傘下であるメキシカンリーグへの挑戦は、この上のないチャンスですね。

 

今年の春にキャンプの招待選手として呼んでもらったんですけど、コロナの影響で中止になってしまったんです。けれどありがたいことに、来年の春にも再び呼んでもらえることになりました!それも、人の支えがあったおかげなんです。

 

無所属からの挑戦ということになりますが、不安に思うことや大変なことはないですか?

 

大変なことはあんまりないですね。毎日が楽しいです!
チームに所属している人はチームが球場とかを押えてくれることに慣れていて、そういったことに大変さを感じるかもしれないですけど、僕は浪人時代が長いので(笑) 僕の練習は押入れから始まったんですよ。そして、公園へと広がっていった。場所があればどこでだってできます!

 

夢が広がりますね!
それでは最後に、「やる気が出ない」といった悩みを抱えている読者のみなさんに向けて、夢に向かって頑張るためのアドバイスをお願いします。

 

やる気が出ないのって、身体のホルモンバランスが関係しているのではないかと僕は思うんですよ。
きっとそういう時って、身体から「休め」というサインが出ている。僕の場合、その感情に無理に逆らわず、脳をリフレッシュさせて忘れることができれば、もう1回やろうというやる気がわいてくるんです。ストレスをためないことが大切だと思います!

 

いつも全力で「楽しむこと」…ですね。
安河内駿介さん、とても前向きなお話をありがとうございました!

 

 

 

 


 

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この記事を書いた人

勝部晃多(かつべ・こうた)

やる気ラボの娯楽記事担当。23歳。ハウストラブルコラムやIT関連のニュースライターを経、2019年8月より現職。趣味はプロ野球・競馬観戦や温泉旅行、読書等と幅広いが、爺臭いといわれるのを気にしているらしい。性格は柴犬のように頑固で、好きな物事に対する嗅覚と執念は異常とも評されている。

 
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