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親子で学びたい。我が子に伝えたい。そんな気持ちになれる、やる気が出てくる世界の言葉。歴史上の偉人や名著からピックアップ。その言葉はどうして出てきたのか、お伝えしていきます。
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リチャード・ブランソンの言葉です。私たちの人生のさまざまな場面で、思っている以上に直面するのが「何かを選択する機会」です。
大いに迷うことだと思います。進学先をどうするか、就職先をどうするか…。直感を信じるのはなかなかできないもの。
そこで、今回は「とことん直感を信じた人」の半生をご紹介しましょう。
Trust your instinct.
自分の直感を信じろ!
リチャード・ブランソン
イギリスの起業家で、「ヴァージンレコード」「ヴァージンアトランティック航空」で有名な、ヴァージングループ会長のリチャード・ブランソンの言葉です。
リチャード・ブランソンは、イギリスはロンドン郊外のサリーで1950年7月18日に生まれました。祖父は高等法院の裁判官、父親は法廷弁護士、母親は元フライトアテンダントの、比較的裕福な中産階級の家庭です。両親はブランソンの幼いころからの努力を支持し、二人の妹達も含めてすこぶる仲が良い、いつも愛にあふれた家庭だったそうです。
ただ、ブランソンは、学習障害の一種のディスクレシア(失読症、難読症とも言われ、一般的な理解能力や知的能力などには特に異常が無いにも関わらず文字の読み書き学習が著しく困難な病気)を抱えていたため、彼にとっての学校生活は苦痛でしかありませんでした。
13才の時に男子校に通うも成績が振るわず、別の寄宿学校に転校。転校後も成績は向上せず16才でドロップアウトというありさま。
しかし、『Student』という若者向け雑誌を創刊し大当たり! 起業家としてのスタートを切ることになります。雑誌でミックジャガーのような著名人を紹介したり、インタビューしたり、レコード販売にも乗り出したブランソンは1972年、22才の時に「ヴァージンレコード」を立ち上げます。
その売り上げでレコーディングスタジオを設立。セックスピストルズ、ローリングストーンズなどの著名なアーティストと契約を交わし、世界最大のレーベルとなり、ファウストやカルチャークラブといった前衛的な音楽をも世界に知らしめました。
ブランソンが航空業界に参入したのは、自身が利用した飛行機の搭乗に際して、諸手続きの煩雑さや時間の無駄、フライトの快適性の欠如を感じたからでした。そして、1984年、34才の時にヴァージンアトランティック航空を立ち上げたのでした。その後、宇宙、ホテル、通信、アニメーション、ヘルスケア業界と、どんどん参入域を増やしていっています。
ブランソンは冒険家としてもチャレンジを続けています。1986年、36才には熱気球で大西洋横断をして記録を更新。1991年、41才には日本からカナダを横断して最速、最長距離を更新。1995〜8年には地球一周を計画するも断念。2004年、54才には水陸両用車で記録を樹立しています。
ブランソンの生き様は、いわば、興味のあることに目をキラキラとさせて取り組んでいく子どものよう。
自分の興味の沸いたことや、脳裏に浮かんだ何らかの疑問に対する解決アイデアに、子どものようにキラキラとした目で、自分の直感に忠実に、楽しみながらチャレンジしていくことで次々と偉業を成し遂げ続けています。
もちろんその道のりに失敗は幾つかあれど、それでも直感を信じて、疑うことなくチャレンジし続けています。人生の選択に迷ったとき、こうした生き方も参考になるのではないでしょうか。
参考文献
ヴァージン-僕は世界を変えていく
リチャード・ブランソン著
阪急コミュニケーションズ出版
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この記事を書いた人
天久 美海(あめく みう)
中学受験にて私立女子中高一貫校に入学、6年間を過ごす。
大学受験にて医療系学部に進学、在学中は勉学の傍、家庭教師として小学生から中学生までの多数を指導。
海外旅行を好み、卒後、数年働いて後にはカナダに半年留学。
医療系に長らく従事し、現在は、医療、教育、語学ジャンルの執筆を主としたワークスタイル。
個性が全く違う、それぞれ可愛い二人の小学生のママでもある。
悩みをさらっとでも打ち明けられる親以外の大人がいた事で救われた過去から、自身も誰かのそういう大人になることを心に誓い、細々ながら活動中でもある。