新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2021.02.18
宇宙飛行士 山崎直子(やまざき なおこ)
東京大学大学院工学系研究科修士課程を修了後、NASDA(現・JAXA)職員を経て、1999年、国際宇宙ステーション(ISS)に搭乗する宇宙飛行士の候補者に選ばれる。2010年4月、スペースシャトル・ディスカバリー号によるISS組立補給ミッションに参加。現在は、内閣府の宇宙政策委員会委員や大学客員教授などを務める。自らの宇宙飛行における訓練や運用に関する経験を踏まえ、日本にスペースポート(宇宙港)をつくり、アジアの宇宙輸送ハブとしていくプロジェクト「Space Port Japan」の代表理事を務める。著書に『宇宙飛行士は見た 宇宙に行ったらこうだった!』(2020年/repicbook)など。
――山崎さんの新刊『宇宙へ行ったらこうだった!』とても面白かったです。 宇宙がすごく身近に感じられるようになりました。
そう言っていただけると、とても嬉しいです。この本は、いろいろな世代の方に宇宙の魅力を感じてほしいな、楽しんでほしいな、という思いでつくりました。
――もともと宇宙に興味を持ったきっかけは、子どもの頃のアニメだったそうですね
はい。最初に接したアニメ『宇宙戦艦ヤマト』でした。その後も『銀河鉄道999』や『スター・ウォーズ』を観たりして宇宙への想いを深めていきました。
原体験は、幼少期に北海道の札幌市に住んでいまして、星が綺麗だったんですね。なので、自然と「星、綺麗だな」と思って最初は宇宙そのものであったり、星に興味を持ちました。
小学2年生のときには、学校で「星を観る会」というのを開いてくれまして、初めて天体望遠鏡をのぞく機会があったんです。月のクレーターがくっきり見えたり、土星の輪っかも、小さくですけど、ちゃんと見えてすごい感動したんですね。
その感動を今でも覚えているんですけど、そうした体験のひとつひとつが重なっていったのかなと思います。
――宇宙飛行士になりたい!と考えるようになったのは?
私も子どもの頃は、宇宙はSFや空想の世界で、人間は将来スペースコロニーに住むのかなぁ、とか、みんな宇宙に行って、車は空を飛んで…みたいな、未来予想図を持っていました。
当時はまだ日本人の宇宙飛行士は誰ひとりいなかったので、宇宙飛行士になる発想もなかったです。ただ、中学3年生のときに、スペースシャトルのチャレンジャー号の事故をテレビで見て、アニメとかSFではなく現実の世界として宇宙開発があることを知りました。
まだ完璧ではないし、事故もある、それでも事故を乗り越えて頑張っている人たちがたくさんいる。そういうことをたくさん知って 宇宙開発にたずさわりたいと思ったのが中学生のときでした。
――それはもう明確な将来の目標として?
当時はまだインターネットもなかった時代なので、今よりも情報が少なかったんですね。日本の宇宙の情報もまだそこまでなかったので、「何か宇宙開発にたずさわりたいなぁ」という漠然とした夢だったと思います。
高校に行った後も、進路はちょっと悩みまして。理系と文系、どちらに行くかも迷いましたし、中学生のときにアメリカの子と文通していたこともあって他の国で働きたいという思いもありました。
あるいは、子どものときに動物も好きだったので、生物も面白いと思ったり、当時盛んになっていた遺伝子工学にも興味を惹かれました。ただ、自分の記憶を遡ってみると原体験の宇宙というのが、いちばんワクワクしたなぁと。そうした思いが支えになっていったと思います。
――宇宙開発の仕事に就くためには、いろいろな勉強も必要だったと思います。やる気をどのように高めていましたか?
宇宙のアニメとか映画を観ると、やっぱりすごくやる気が出ました。私、単純なので(笑)。
カール・セーガンの『COSMOS』とか、宇宙の本も何度も読み返しました。そうすると、また気持ちが盛り上がってきて頑張ろうと思いましたね。
――宇宙飛行士になると決まったときは、どんなお気持ちでした?
大学院のときに1年間アメリカに留学する機会が得られて、そのときに「日本人の宇宙飛行士の募集がある」というニュースがアメリカにも届いたんですね。それで応募したんですけれども、そのときは不合格。書類審査も通らなくて、試験にすら進めなかったんです。
それから留学期間の1年間が終わって日本に戻って技術者として、まずは今のJAXA、当時のNASDAに入社して筑波宇宙センターで働き出しました。また機会があったら挑戦しようと思いながらも、宇宙飛行士の試験はすぐあるわけではなく、次はいつ募集があるかわからないんです。
ただ、そのときはたまたま3年後に運良く募集があったので、二度目の挑戦で、まずは宇宙飛行士の候補者になることができました。そのときは嬉しかったですし、自分でもびっくりというか、驚きと嬉しさと両方でしたね。
――そこから実際に宇宙に行かれるまで11年、どんな思いで過ごされましたか?
11年間は、やっぱり渦中にいるときは、正直長いなと思いました。それも11年後に行くとわかったうえでの11年ではなくて、何年後に行くかわからない中で走っているので、感覚としては、目隠しをしながら、ゴールがどこにあるかわからないけれども、ゴールを目指して走るマラソンのような、長距離走のような気分だったかなと思います。
いちばん悩んだのは、訓練を開始して4年目でした。2003年にスペースシャトルのコロンビア号に事故が起こったときです。一緒に訓練してきた仲間が7名、亡くなってしまって…。
チャレンジャー号のときと違って「自分ごと」として感じられた事故で、遺族のみなさんが悲しんで泣いている。その姿を見て、私もちょうどそのとき、長女を出産した直後でもあったので、影響は「自分だけではない」ということをひしひしと感じました。
自分がやっていることが、大切な家族に影響を与えてしまって逆に苦しめてしまう。自分としては夢を追っているつもりでも、それによってしわよせがほかの誰かにかかってしまう。 そこはいちばんつらかったことかなと感じます。
――どうやって乗り越えられたのですか?
そうですね、それは宇宙飛行士だけではなくて、いろいろな職業の方、また働きながら子育てをしている女性の方とかも、いろいろと悩まれると思うんですよね、家族と仕事の両立だとか。
そこまでして働く意味って何だろうとか、考えることもあると思いますし、男性の方でも、もちろん考える方もいると思います。
私の場合は、自分がやっていることが、訓練自体が楽しかったんですよね。ジェット機の操縦訓練だったり、宇宙服を着用しての水中サバイバル訓練だったり、真冬のロシアの森の中で3日間野宿をするなど、本当にいろいろな訓練がありました。
もちろん体力的に大変だったり、競争社会なので、試験や評価もたくさんあって、大変じゃないといえば嘘で、大変ではあります。
ただ、それは私にとって苦じゃなくて、むしろ楽しかった。自分の好きな宇宙船のことも学べますし、訓練を受けさせてもらえるのも楽しかったんです。それはやっぱり、子どもの頃の夢だったり、好奇心だったり、宇宙を好きだった純粋な気持ちが大きなエネルギーになっていたんだと思います。
大人になって壁にぶつかったり、大変な状況になったりしたときに、子どもの頃の純粋な思いは、すごく大きな力になるので、好きという気持ちは、いちばん大きなエネルギーだと思います。
あとは、まわりの方への感謝ですね。自分だけでやっているわけではないので、いろんな方に支えられて乗り越えられたのだと思います。
――2010年4月、ついに宇宙に行かれて、どうでした?
宇宙は、あっという間に到達してしまいます。国際宇宙ステーションが周っている高度400kmだと、8分30秒。拍子抜けするくらいあっという間です(笑)。
宇宙に到達して、シートベルトを外すと、身体が浮きます。そのときに私は「すごく懐かしいなぁ」って思いました。これは人によって感じ方はまちまちですけれども、私は故郷(ふるさと)のような懐かしさを感じました。
カール・セーガンさんも言っていましたし、小学生のときに理科の先生もおっしゃってくれていましたけれども、私たちの身体は、もともと星の一部で出来ていて地球も、星のかけらで出来ています。
だから私たちも宇宙の一部ですし、星と兄弟です。宇宙は、遠いところというよりも、故郷なんだなって本当に思いました。あと、無重力の感覚も、すごく楽ですし、楽しいんですよ(笑)。
それもすごく驚きましたし、宇宙から見る地球も、もちろん美しくて。そして、美しいだけじゃなくて、 本当に地球が生きているような感じがするんだって思いました。
――宇宙に行ってよかった!と思ったのは、どんなことでした?
ひとつは、国際宇宙ステーションを実際に宇宙で見ることが出来たことです。私はもともとエンジニアで、国際宇宙ステーションの開発にたずさわっていました。
スペースシャトルに乗って宇宙に出ると、最初は遠くに星のように点に見えていた国際宇宙ステーションが、近づくにつれてだんだん窓一面に大きく見えてきて、太陽の光を受けて、しかも輝くんですよね。
宇宙から見える地球も美しいんですけれども、宇宙から見る国際宇宙ステーションも、びっくりするくらい圧巻で。ああ、これだけのものを人類は宇宙につくりあげたんだな、というのがすごく誇らしかったですね。しかも日本を含む国際協力で。
昔は冷戦でいがみあっていたソ連、今のロシアとアメリカも一緒に協力してつくりあげて。だから人類って案外、力を合わせれば、もっといろんなことできるんだなって。その希望というか、そういった力を感じたのは大きかったです。
あと、もうひとつは、私も宇宙に行くまでは、宇宙がすごく特別な、自分にとっては憧れの場所だと、ずっと思ってきたんですけれども、実際に行くと、宇宙は、真っ暗に広がっていて、そのなかに地球が、青く、美しく、輝いているんですよね。だから地球のほうが、特別な場所、憧れの場所なんだと、ものすごく思えるんですよね。
ですから、考え方が180度変わります。この地球は、本当に大切なんだなと思います。しかも、その宇宙から地球に戻ってきたときに、そよ風だったり、緑の香りだったり、が漂ってきて…。
普段、当たり前のように感じている、空気だったり、景色だったり、そうしたものが美しいな、ありがたいなと、ものすごく思うんですよね。そういった日常のありがたさに気づかせてもらったことも印象に残っています。
だから、願わくば、子どもや若い世代のうちに修学旅行とかで宇宙に行ける時代になるといいだろうなぁと思います。宇宙に行って、国籍とか関係なく、みんなで協力し合って、たとえば、月面から地球のことを学んで、それをもとに地球に戻って、それぞれの地域に散らばっても、その思いをもとに大きく育っていったら、 きっともっといろんな協力ができるだろうなぁと思います。
――子どもたちが将来、宇宙飛行士や宇宙関係の仕事に就くには、どんなことをしたらいいでしょうか?
そうですね、宇宙で何をしたいかな、ということを、イメージを膨らませていくといいんじゃないかなと思います。
たとえば、南極の昭和基地でもコックさんなどがいるように、月に行って料理をしたいということであれば、料理の分野を勉強したり。あるいは、地質調査をしたいという方であれば、地質学の勉強をしたり。
宇宙に行くだけではなくて、行った後に何をしたいのかなってところをもっと自分で調べたり、情報を集めたり、自分の中でイメージを膨らませていくと、そこでおのずと自分が突き進む、深めていく分野って見つかるんじゃないかと思います。
それがどの分野であれ、何かひとつ自分の専門分野を持っているということは、とても大切なことなんですね。これは国の宇宙飛行士でも一緒ですし、民間の宇宙飛行士でも一緒だと思います。
あと、やっぱり宇宙ではひとりですべてをやるわけではなくて、チームで働くことが多いです。国際宇宙ステーションでも、月に行くとしても、チームワークになります。
もちろん、何か非常時に自分で対処するための自立力やサバイバル力も必要なんですけれども、普段の仕事をチームでやるときには、どうしたらチームに貢献できるかの観点が大切だと思うんですね。
なので、自分はこの分野だったらチームに貢献できる、この分野だったら誰にも負けない、みたいな、そういったものを持てると、強いんじゃないかなと思います。
普段の学校生活の中でも、運動会だったり、発表会だったり、チームワークを培える場ってあると思うので、身の回りのひとつひとつの場面で、いろいろ経験を積んでいくといいんじゃないかなと思います。
宇宙飛行士も、NASAとかJAXAとかいわゆる国の機関が募集する宇宙飛行士だけではなくて、民間が宇宙飛行士を募集する時代になってきています。また、宇宙に関わる仕事も、実は、理系、文系含めて、とても幅が広いんですよ。
私が子どものときには、宇宙飛行士を想像できなかったのと一緒で、今は想像できない、たくさんの仕事が宇宙の分野で生まれてくると思います。そして、10年後、20年後には、たくさんの人が宇宙に行ける時代になっているはずです。
自分の好きな得意分野を伸ばして、ぜひとも行ってみてほしいですね。 宇宙はみなさんを待っていますよ!とお伝えしたいです。
――子どもが夢を持つのに大切なのは、どんなことだと思いますか?
まずは大人が楽しむことが大切なんじゃないでしょうか。身の回りにいる大人が、楽しそうにやっていると、お子さんが「なんだろう?」って興味を持つので、そんなところから夢を広げていってくれるといいんじゃないかと思います。
あとは、何を好きになるとか、何が興味になって、何が夢になるかって、やっぱりわからないので、ひょんなことから好きになったりしますよね。だからできるだけ、いろいろな経験ができる機会をつくってあげられたらいいんじゃないかなと思います。
今はコロナで生活が制限されているので、大変な部分もあるんですけれども、オンラインを活用して、いろんな体験もできたり、身近な周囲の地域を散歩するだけでもいろんなところに目がいったり、興味を持つきっかけになるはずです。
密を避けながらいろんなところに行ったりするなかで、自分が何を面白いと思うのかを感じる場面を少しずつ増やしてあげてお子さんが興味を持ったら、それを手助けしてあげる。
私も子どものときに、星を見たりするのを楽しそうにしていたので親が「じゃあプラネタリウムに行ってみようか」とか、宇宙の新聞記事があったら見せてくれたりとか、科学館に行こうとか、要所、要所で、声がけをしてくれたので、その興味を深めていくことができたのは、ありがたかったなと思うんですね。
なので、子どもが興味を持ったことを、深めてあげたり、お手伝いをしてあげられるのは、親であったり、まわりの大人だと思うので、そこでちょっと背中を押してあげてほしいなと思います。
――山崎さんの今後の夢は?
私は、たくさんの人が宇宙に行ける時代になってほしいなと思うんですね。願わくば、家族旅行で、家族みんなで宇宙に行けたらいいなと。
そうなるためには、宇宙をより身近にしていきたいですし、日本からでも宇宙に行けるようなシステムができるといいなという思いで、日本にスペースポートをつくろうという活動をやっています。
あとは、たくさんのお子さんに、科学とか宇宙に興味を持っていただきたいなぁって。私も子どものときに、いろんなご縁があったので、 科学館のお手伝いをしたり、宇宙教育にも力を入れています。
――『宇宙に行ったらこうだった!』は、まさにそんな山崎さんの思いがたくさん込められた本でしたね。
ありがとうございます。たくさんの方に宇宙に興味を持っていただけたらと、数年がかりでつくりました。漢字にすべてフリガナをふっていただいたので、お子さんひとりでも読めますし、親子でも読めますし、大人の方が読んでも「あ、そうなんだ!」ってなにかしらの発見がある本になっていると思います。
どこからめくっていただいても、読める本になっているので、自分が興味あるところから開いていただいて、そこから周囲に興味を広げていただけるんじゃないかなと思います。イラスト、写真も、とても力を入れて、厳選してつくっているので、ビジュアルからも、想像力が膨らませられるんじゃないかなと思っています。
今年もこれからまだまだ、宇宙の話題が増えていくと思います。宇宙っていうのは、決して遠いところではなくて、私たちも宇宙の一部であって、私たちの故郷を知るような感覚だと思います。宇宙を知ることで、より地球のことがわかって、私たちの、自分のこともわかってくると思うので、ぜひ、いろんな方に興味を持ってほしいと思います。
――本日は貴重なお話をありがとうございました!
宇宙飛行士・山崎直子さんが、宇宙での面白いエピソードや宇宙食、宇宙飛行士、無重力のふしぎなど、宇宙に関する話題を楽しくわかりやすく解説。全ページにイラストや写真が掲載され、低学年でも読める総ルビ対応になっています。1,210(税込)/repicbook
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この記事を編集した人
タニタ・シュンタロウ
求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。宇宙に行ったことがある方とお話できたのは初めて。感激しました!