新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
生活・趣味
2024.01.9
阿佐美やいも子(あさみや・いもこ)さん
埼玉県出身。「いも子のやきいも」店主。パート調理師から一念発起して、リヤカーで焼き芋屋さんを開業。介護、出産、育児に取り組みながら18年、月商100万円を売り上げる「焼き芋界のカリスマ」として毎年テレビなど多数のメディアから取材を受ける。現在は、夏は焼き芋、冬は人力かき氷を販売する傍ら、焼き芋屋開業講座や、営業ブランディングを確立する「芋づる式に夢を叶えるブランディング講座」を開催。2023年には初の著書『いも子さんのお仕事 夢をかなえる焼き芋屋さん』(みらいパブリッシング)を上梓。
公式HP:焼き芋 阿佐美や
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Facebook:いも子のやきいも阿佐美や
――初のご著書『いも子さんのお仕事 夢をかなえる焼き芋屋さん』を拝見しました。つらく苦しい日々が続いても、勇気を出して一歩踏み出せば、人生が変わることもあるんだと涙ぐんでしまいました。
ありがとうございます、嬉しいです!
――まずは現在の活動について聞かせてください。冬は焼き芋屋さん、夏は人力かき氷、自分でお店をやりたい人を支援する「やきいも開業学校」など、さまざまな活動をしているそうですね。
ワクワクしてもらいたい、びっくりしてもらいたい、喜んでもらいたい。そういう想いで、いろんなことをやっています。店舗の焼き芋屋さんはたくさんありますけど、最近は移動販売の焼き芋屋さんはあまり見かけませんよね。今まで何もなかった場所に、ふらっと焼き芋屋さんが現れる。そういうノスタルジックな感じだったり、ファンタジーを感じてほしくて移動販売をしています。かき氷も、ただ機械で作るんじゃなくて、「人力発電の自転車をこぐ」という、ちょっと一手間を加えて楽しんでほしいなと思って始めました。
――焼き芋は、いろんな品種を用意して、食べ比べもできるそうですね。
今の世の中は、甘いもので溢れていますよね。甘いお芋も美味しいんですけど、私は甘いだけが焼き芋の魅力じゃないと思っていて。「あんまり甘くないけど、風味がいいなぁ」とか「香ばしい感じがいいなぁ」とか「甘くてしっとりもいいけど、ホクホクもいいなぁ」とか、そういう想いも伝えたくて。焼き芋の枠を広げて、皆さんにワクワクしたり、びっくりしたり、喜んでいただけたらなって。
なので2種類の焼き芋を用意して「しっとりとホクホク、どちらがお好きですか」とお客様に尋ねたり、食べ比べセットも用意して、その人が好きなお芋を食べていただけるようにしています。
また、農薬を減らして作った皮まで美味しいお芋とか、見た目は悪いけど味がいい焼き芋も置いています。農薬を減らしてつくると形もバラバラだし売りにくいんですけど、農薬や化学肥料を使わないことに挑戦している農家さんを応援したくて。味が深いとか、身体にいいお芋も売っていきたいなって。
――「やきいも開業学校」は、全国から応募が殺到していて、東京新聞の記事によると、今まで相談に乗った方は2000人を超えるとか。
今はもっと増えていますね。焼き芋屋さんを開業した人も50人を超えました。どちらにお住まいですか?
――長野県の松本市です。
えっ! 松本にも開業学校の生徒さんがいて、私も行きました!「焼き芋 みつや」というお店で、お子さんが3人いるママなんですけど、シングルで。周りからは「シングルになって焼き芋屋をやるなんてどういうこと?」と大反対されたんですけど、頑張ってやっています。ファンも増えていて、すごいんですよ!
――ぜひ行ってみます!焼き芋屋さんの輪が全国に広がっているのですね。
焼き芋屋さんは、開店のハードルがすごく低いんですよ。私もそうでしたけど、自分でお店をやりたいと思っても、お金もないし、料理も自信ないし、資格もないし、いきなりお金を借りて開業するのは怖い…ってなる人がたくさんいます。だけど焼き芋屋さんだったら、店舗はいらないし、資格もいらない。メニューも焼き芋だけ。だから私でもできたんです。
私は子どもの頃から自己肯定感がものすごく低くて、「自分はダメな人間だ」と思ってずっと生きていました。開業してからも失敗の連続でしたけど、18年間やってこられて、今はとても幸せです。そんな私だからこそ教えられることがあるかもしれないと思って、いろんな人たちの相談に乗っています。
――今は幸せというお話でしたが、子どもの頃からずっとつらく苦しい日々を送ってきたそうですね。お父さんはアルコール依存症、お母さんは聴覚障がいがあったりして……。
だから、すごいネガティブだったんですよ。うちはお風呂もなくて。30〜40年前とはいえ当時もお風呂がない家はそんなになかったんですけど、大家さんがたまたま同級生で、そっちは大きいおうちで、お金持ち。おじいちゃん、おばあちゃんもいて、すごく幸せそうな家族で。片やうちは、お父さんとお母さんがいつも喧嘩していて、お風呂もないから、たらいで身体を洗ったり、お風呂屋さんに行ったりする日々で。
父は昭和一桁生まれの職人で、「喧嘩して辞めてきた」といっては仕事を転々。お酒を飲んで大声を出したり暴れたり。小さいアパートだったので母が「近所迷惑だからやめて」と言っても「うるさい!」と怒鳴って。母も母でADHD(注意欠如・多動症)だったので、部屋がいつも散らかっていて。父が出勤するときに「あれがない、これがない」と騒いで、結局見つからなくて母を殴ったり。そんな毎日でした。
私は、そういうのがすごくつらくて。だけど、子どもだからどうすることもできなくて。「お母さんを助けられないダメな自分」という思いがいつも根底にあったので、学校に行っても、すぐに人に合わせたりして、「あいつ、いつも人に合わせてる」と言われて、いじめられたり。友だちができても、仲間外れにされたり。そんな学生時代だったので、社会人になってもうまく人と付き合うことができませんでした。
――当時は、どんな将来を思い描いていたのですか?
親がそういうかんじだったので、幸せな将来なんて無理だろうと思っていました。小さい頃は『ザ・ベストテン』を見てアイドルに憧れたり、看護婦さんになりたいと思ったりしましたけど、「現実的には無理だろうな」とわかっていたので、最初からあきらめていました。
あと、母が聴覚障がいだったので、いつも大きな声で話していたら、担任の先生から「あなたは声が大きいから演劇部に入りなさい」と言われて小中高と9年間、演劇をやっていて。そのときに「自分は表現するのが好きなんだな」と思って、将来は役者になりたいと思ったこともありましたけど、そんなに上手でもなかったし、「顔がダメだな」と気づいてすぐに打ち砕かれました。
――そして19歳のときに、ご両親が勤めていた工場が倒産。再就職もうまくいかず、「自分が養っていくしかない」と決意されたそうですね。10代の子には、とてもつらい状況ですよね。
いつか自分が両親の面倒を見なくてはいけない。そういう覚悟は、小さい頃からあったんですよ。それがいつ来るか、いつ来るか、と思いながらずっと生きてきたので、両親の仕事があるだけでもありがたいと思っていたんですけど、それがなくなって「とうとう来たか」と。
なので、ショックはショックでしたけど、「それが今だったか」みたいな感じでしたね。自分の人生はあきらめていましたし、自分には先はないと思っていたので。
――その後は、両親を養うために職を転々とされたそうですね。
子どもの頃から自己肯定感が低かったので、生きていてもしょうがないと思っていましたけど、両親がいるので働くしかない。そんな生活が28歳くらいまで続いて、社員食堂でパートの調理師をしていました。月収は12万円。もう自分の人生はあきらめていましたし、死んでしまおうぐらいに思っていました。
唯一の幸せな時間は、可愛いカフェに行って「こういうお店ができたらいいなぁ」と妄想すること。嫌なことばかりの毎日だったので、「座り心地のいいソファ、暖かい色の照明、おしゃれなドリンクやデザート、日替わりランチも用意して…」なんて夢を思い描いて現実逃避していました。
だけど現実的に考えると、料理の実力もセンスもないし、経営能力もない。何よりお金がない。夢を描いたところで現実は何も変わらない。そう思ったら何もかもが嫌になって、社員食堂も辞めてしまいました。
――ところが、社員食堂を辞めて職業訓練学校に通っているときに、運命を変える本に出会った。
そうなんです。無職になったのですることもないし失業保険はもらえているので時間だけはあって、フラフラっと古本屋さんに立ち寄って、たまたま「移動販売で開業」という本を手に取ったんです。
昔、キッチンカーをやってみたいと思っていた時期があって。私は車の免許はあるけど運転ができなかったので無理だとあきらめていたんですけど、その本に「焼き芋」のページがあって。読んでみると「資格なし・許可なし・低コスト」と書いてある。「これだ!」と思いました。
焼き芋屋さんだったら、料理の腕やセンスがなくても、お芋だけ焼ければいい。1人でやればシフトも組まなくていいし、日替わりランチを考えなくてもいい。車の運転ができなくてもリヤカーでいい。何より開業資金がそんなにかからない。カフェやキッチンカーは無理でも、これならできそうって。
――夢が一気に広がった?
ワクワクしました。焼き芋屋さんは小さい頃から憧れだったんです。毎年、秋にはサザエさんが追いかけているし、お母さんにお願いしてももちろん買ってくれなかったので、高校生のときに憧れの焼き芋屋さんを見つけてアルバイト代で買ったことがあったんですけど、高かったのに美味しくなくて……。
そのショックがすごく記憶に残っていたので、「私だったらこんなお店にしたい」というイメージがバーッと広がって。もっと美味しくて、買いやすくて、可愛くて、みんなのいい思い出になるお店にしたい。そんな自分が思い描いたものを表現したくなって、「そうだ、焼き芋屋さんをやろう!」と。
――どんな行動から始めたのですか?
まずはネットで調べて、始めたばかりのSNSで「私、焼き芋屋をやります!」とつぶやきました。そしたらフォロワーの人たちも盛り上がって、いろんな知識を出してくれて。翌朝、職業学校の人たちにも伝えたら、みんな面白がって「じゃあデザインするよ」とか「売り子を手伝うよ」と言ってくれて。とにかくやれることをやろうと思って、可愛いリヤカーを買って、3ヶ月後にはオープンしました。
だけど、何のノウハウも知らずに始めてしまったので、開業してからは大失敗の連続(笑)。軌道に乗るまで10年くらいかかってしまいましたが、このときに「やる」と決めたことは今でも良かったと思っています。自分の人生をあきらめていた私が、勇気を出して一歩踏み出すことができた。「やる」と決意できたから、いろんなことが動き出しました。
――「大切なのは、決断すること」と本にも書いてましたね。
そうです。やると決めたら、どんどん後押しするものがやってきます。それが後押しだと最初は気づかないかもしれないし、失敗することもあるかもしれません。それでも、それをいい方向に改善していくことで、自分だけの成功の道につながっていくのかなって思います。
――ご著書にはたくさんの失敗が書いてありましたが、特に印象に残っているのはどんなことでした?
いちばんショックだったのは、美味しくないと言われてしまったこと。リヤカーは可愛く作れましたが、美味しくないというのが大問題で。お客さんから「美味しくない、美味しくない」と言われて、本当に辛かったです。美味しいお芋を届けたくて始めたはずなのに、美味しくないなんて本当に恥ずかしくて……。
私も当時は、焼き芋の正解がわからなくて。あんまり食べたこともなかったし、もともと調理師だったので、焼いて竹串が通れば火が通っていると判断して「甘いし、こんなものかな」みたいな感覚だったんですけど、いろんな人から「美味しくない」と言われて。最初は親切にしてくれたお客さんから「あなたのお芋はまずいから二度と来ないでちょうだい」と言われたこともあって、泣きそうになりました。
――それはショックですよね…。どのように改善していったのでしょうか?
このままじゃまずいと思って、美味しい焼き芋の研究を始めました。すると、お芋の品質が大事だとわかってきました。最初は何も知らなかったので「市場で相談するといい」と本に書いてあったので、その通りに市場で勧められたお芋を買っていたんですけど、それがたまたまあんまりいいお芋じゃなかったんですよ。
焼き方も大事で、適切な温度と適切な時間でちゃんと焼き上げないと、カサカサだったり、焼き過ぎだったり、青臭さが残ってしまうんですけど、そもそも最初に買った壺焼きの装置が不良品で…。あと、焼き上がってから出すまでの時間も大事とか、いろんなことがわかってきました。
――失敗談をSNSに書いていたら、いろんな人が応援してくれるようになったそうですね。
そうです、そうです。お客さんに「美味しくない」と言われたとか、「こんな失敗をした」と書いていたら、「うちの会社で焼き芋大会をやったときはこんな風にやったよ」「〇〇のお芋は美味しいって話を聞いたよ」と、SNSで知り合った人たちが相談に乗ってくれて、応援してくれるようになって。
昔、『電車男』ってありましたよね。モテない男の人の初デートをインターネット掲示板の人たちがみんなで応援するっていう。私の場合は、「美味しくないダメな焼き芋屋さんをどうやって売れるようにするか」みたいなプロジェクトになっていって、私、電車男みたいだなって思いました(笑)。
――お客さんから仕入れ先を紹介されたこともあったとか。
そうなんです。「焼き芋は塩水に漬けるといい」という話を聞いて、その通りにしていたら、お客さんから「なんでこんなにしょっぱいんだ!」と怒られてしまって。だけど、そのお客さんが「こんなに美味しくないんだったら、いい仕入れ先を教えてあげるよ」といって、あるマーケットを紹介してくださって。それから仕入れ先もちゃんと考えるようになりました。
――人力かき氷も、小学生にアドバイスされて始めたそうですね。
バッテリーの充電が切れてしまって暗い中で営業していたら、通りがかった子に「暗い中でボーッとしてるなら人力発電で電気をつけてみろよ」って言われて。今思えば単にからかわれただけだと思うんですけど、「もしできたら夢があるな」とずっと頭に残っていて、思わぬヒット商品が生まれました(笑)。
私はいつも自分に自信がなかったので、子どもの頃から他人の意見に左右されてばかりいたんですけど、焼き芋屋さんを始めてからは、その良い面というか、人の話を素直に聞くから、いろんなことを教えてもらえるようになったのかなって思えるようになりました。
――いろいろな失敗があっても、どうして諦めなかったのでしょうか?
最初は失敗ばかりしていたので「やめたい、やめたい」と思っていたんですけど、お金もないのにリヤカーを買っちゃった以上、もうやるしかない。で、いろんな失敗談をSNSに書いていたら、励ましの声や改善点のアドバイスをいただけたので、その1個でもいいからやってみようと思ったんです。
「教えてもらったマーケットに行った」とか、結果的には失敗でしたけど「今日は塩水に漬けた」とか、今日のテーマはこれみたいなかんじで、それが1個でもできたら「良かった」と思うことにして。SNSに書くと、また励ましや助言をしてくれる人たちがいて。こんなにダメダメな焼き芋屋さんでも応援してくれる人がいた。そういう人たちに「もっと美味しいものを食べてもらいたい」って。
自分1人だったら、つらくてやめちゃったかもしれないけど、お客さんがいる。待っててくれる人が1人でもいるなら、その人が今日も来てくれるかもしれない。だから重いリヤカーを引っ張って…足取りも重かったんですけど(笑)、「あの人が今日も来てくれるかもしれない」と思ったら頑張ることができました。
――焼き芋屋さんをやって良かったと思うのは、どんなことですか?
いっぱいあります。たとえば最近だと、今まで引きこもりだった人が私の活動を知って「人生を変える」と言って焼き芋屋さんを始めたり、小学生が「将来の夢は焼き芋屋さんになることです」って作文を書いてくれたり、そういう人がいっぱいいることも嬉しいですし、自分の活動が広がっているのも嬉しい。
自分自身がただ楽しみたくて、家族を幸せにしたくてやっていることに対して、より深く感じて人生を変えるほど共感してくれる人がいたり、応援してくれる人がいることも嬉しいですし、自分が表現したかった世界が広がっていることにもすごく幸せを感じます。
――焼き芋屋さんを始めたら、ご両親との関係も変わったそうですね。
そうです、そうです。私は思春期の頃から両親のことが大嫌いだったんですよ。「なんでこんな家に生んだんだ」って。大人になってからも、両親とも無職だったのでデイサービスに行くように勧めても、ずっと家に引きこもっていて。母は買い物、父はオートレースに行くくらいで何もしてなくて。
だけど、あるとき閃いたんです。私が焼き芋屋さんを開業したら両親に手伝ってもらおう。父には炭を焼いてもらって、母にはお芋を洗ったり、袋を折ってもらって、お給料を出したらいいんじゃないかなって。
で、実際にそうしたら、父はずっと働くだけの人生だったから「仕事」となったら、すごいちゃんとやってくれて。それまで「酒を飲んで暴れるお父さん」しか知らなかったんですけど、仕事をお願いしたら本当にきっちりやってくれて、全然違う一面を知りました。一方、優しかったはずの母は「お芋を洗っておいてね」と言ってもやってくれなかったり、すごい言い訳したりして「え〜っ!?」となって(笑)。
子どもの頃は、父が怒って母を殴っているのを見て「なんてひどいことをするんだろう」と思っていたんですけど、母も「それは怒るよね」ってことをするのがわかって、殴るのは良くないけど、父は父で理由があったんだろうなって察することができました。母は母で、かわいそうなだけじゃなくて、自分ってものをしっかり持っていて主張することもわかった。だから2人は合わなくて喧嘩していたんだなって。焼き芋屋さんを始めてから、やっと両親のことを理解できるようになりました。
――それは素晴らしいですね。
家族で共通の話題ができたのも初めてだったんです。夜の食卓のとき、父が「明日は何時に火をつけるんだ」、母は「お芋はどれくらい洗っておくの?」とか話していて、「こんな会話したことなかったな」って。両親の今まで知らなかった人間らしさを感じましたし、初めて家族の団結感が生まれました。
私が焼き芋屋さんみたいなレトロでノスタルジックなものに惹かれるのも、お風呂がないボロボロの家で育ったからだと思うし、「自分には先がない」と思っていたから「焼き芋屋さんをやろう」と思えたんだろうなって。挫折をしていなかったら、思い切った決断をできなかった気がするので、ああいう両親から生まれたから今の自分があるんだろうなって思います。
父も母も亡くなりましたが、今は本当に感謝しています。焼き芋屋さんを始めて良かった、自分の人生をあきらめなくて良かったです。
――昔のいも子さんのように、何かをやりたくても、できない人もたくさんいると思います。一歩踏み出すためのアドバイスをいただけますか?
何も考えず、やればいいと思います。いろんなことを考えるから、できなくなってしまうと思うんです。私もそういうことがいっぱいあって。たとえば「海外で焼き芋屋さんをやりたい」と思っても「でもこんなことがあったらどうしよう」とか考え出すと、なかなか一歩を踏み出すことができない。
本当に「やりたい」と思ったら、すぐにできるはずなんですよ。だからそれまでは「やりたい」のエネルギーを溜めている期間だと考えて、そういうときが来るまで待っていればいいと思います。
私が焼き芋屋さんを始めることができたのも、そういうタイミングが来たから。「でも…」と考えてしまうのは、それが今じゃないから。そのときまでは「やらないの? 遅いね」と言われたとしても、今じゃないんですよ。自分のタイミングで「今だ」ってときが降りてきます。
もしどうしても踏み出せなかったら、今はエネルギーを溜めているときだと思って、「今だ」というときが来るのをイメージする。「そのときに私は動ける」と思っておく。動けない自分がダメなんじゃなくて、今はタイミングを見ているだけ。「来たらできる」と思って、来たら、やる。そのときが来ますから。
――開業学校でも、迷ってしまう人はいますか?
いますね。「旦那さんに相談しないと決められない」とか「誰かに聞いてみないと」って。そういう人には「自分で決めてくださいね」と言っています。だいたいみんな反対されるんですよ。奥さんがいきなり「焼き芋屋さんをやる」と言い出したら、やっぱり「えーっ?」となりますよね。でも、やると決めたら、協力してくれたり、なんだかんだうまくいくと思うんです。
私も19歳のとき、両親が勤めていた会社が倒産してどうしようと思っていたら、友だちから「でもなんだかんだいって、最後は幸せな家庭を築いてそうだよね」と言われて「絶対ない!」と思ったんです。これだけ今までつらかったのに、これから先どうなるかもわからないのに、幸せな家庭なんてあり得ないって。
でも「なんだかんだ最後は幸せな家庭を築いてそうだよね」と言われたことはずっと覚えていて、「私はなんだかんだ最後はうまくいくんだ」と自分を信じていたので、そのタイミングが来たんだと思うんですよ。だから、そう思っていたら、いいと思います。きっとベストなタイミングが来ますから。
――それでは最後に、今後の夢や目標は?
小学校の学区に1つ、子どもが自分で行ける範囲に焼き芋屋さんがある国にしたい。それが私の夢です。昔は個人店が多かったから、「あの人は魚屋さん」とか「お肉屋さん」とか、いろんな大人がいて、会社に勤めるだけじゃない働き方があることを子どもたちも実感しやすかったと思うんですよ。
でもうちの子どもが小学校で「うちのお母さんは焼き芋屋の社長なんだよ」って話をしたら、みんな「えーっ」とすごくびっくりしたみたいで、そういう働き方もあるってことを知らないんだなと思ったんです。
自分の特技を活かせば、レールに乗って高校や大学に行かなくても社長になれるよ、楽しいよ、お金も稼げるよ。そういうことを伝えて、子どもたちの将来の選択肢を増やしたい。昔は当たり前にあった個人店の世界を残したい、もっと広げたい。それは私1人ではできないから、開業学校を始めたんです。
もちろん最初からそんな壮大なことを考えていたわけではなくて、もともとは自分の子どもが中学生、高校生になったときに、学校の近くに焼き芋屋さんがなかったら「親が焼き芋屋なんて大丈夫?」と周りの人に思われるかもしれないから「すごくステキな仕事なんだよ」と知ってほしいと思って始めたんですけど、開業講座を始めたら本当に全国各地に焼き芋屋さんが増えてきました。
私が教えられるのは焼き芋屋さんだけですけど、焼き芋はすごいポテンシャルがある素晴らしい食べ物だと思っていて。美味しいだけじゃなくて、その人の想いとか人生も詰まっていて、大袈裟にいうと世界平和にもつながると私は思っているんです。
誰かと一緒に食べると幸せとか、懐かしい気持ちになれるとか、子どもの頃にお母さんと食べた優しい気持ちになれるとか、焼き芋はそういう気持ちを呼び起こすので、相手のことを認めたり、自分のことを認めたりできるんじゃないかなって。だから焼き芋屋さんを増やしていきたい。
焼き芋屋さんに限らず、大人が幸せそうに働いていて、子どもが「こういう仕事もあるんだ」と、その人の個性を活かして自由に働いている姿が増える世の中になったらいいなと思っているので、これからもいろいろなことをやっていきたいです。
――今後のご活躍も楽しみにしています。本日はありがとうございました!
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この記事を編集した人
タニタ・シュンタロウ
求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。
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