新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2023.10.26
遠山敦子(とおやま・あつこ)
1996年生まれ。大阪府出身。虫、鳥、カメ、ウサギなど動物に親しむ子ども時代を過ごす。10代からバンド活動に打ち込みメジャーデビューを目指すが、20代に入り動物に関わる道を志す。2020年、『情熱大陸』(TBS)で紹介されたペット探偵・藤原博史氏に衝撃を受け、ペットレスキューに入社。
Instagram:petrescue1997
――ペット探偵というのは動物相手の特殊なお仕事だと思いますが、やはり遠山さんは動物が好きなのですか?
大好きです。物心ついたときから動物とともに暮らしてきて、今も、猫4匹、大きめの亀3匹、うさぎ、ハムスター、インコ、カメレオン、魚(ハリセンボン、ドジョウ、金魚)と、たくさんの子たちに囲まれて生活しています(笑)。
――めちゃくちゃ多いですね(笑)。お世話が大変ではありませんか?
もう慣れました(笑)。家にいる間は何かしら動物のお世話をしているんですけれど、幼い頃からずっとそうした生活をしてきたので、もはや大変と思うことはないです。
――どんな子ども時代だったのですか?
父と兄と3人でよく山へ遊びに行って、動物を捕まえていました。父が根っからの動物好きだったんです。
山では、「このヘビだけはさわるなよ」と危険な動物だけ父に教えられて、あとはそれぞれ好きに、鳥や昆虫、トカゲなどを捕っていましたね。
――女の子は虫が苦手だったりしますが、遠山さんは怖くなかったんですか?
全然怖くなかったです。それは父の背中を見ていたからかな、と思います。
山遊びのとき、誰がいちばん楽しんでいるかっていうと、父なんです(笑)。「これだ」と獲物を定めたら、そっと静かに歩み寄って、パッとすばやく虫取り網を振りかざして。夢中になってそういうことをやっているんですよ(笑)。その姿に影響されて、私も動物に興味を持つようになったんです。
ただ、家族のなかで母だけは動物が大の苦手で、何か捕まえて連れ帰ってくるたびに、「いい加減にしてー!」と怒っていましたけどね(笑)。
――お母さんは大変でしたね(笑)。遠山さんが初めて自分でお世話した動物は何でしたか?
スズメです。弱って飛べなくなっていたのを保護したのがきっかけでした。鳥用のエサをストローで少しずつ与えたり、鳥かごから出して運動させたりして、飛べるようになるまで飼育していました。最終的に回復したので放鳥しましたが、そのときはすごく寂しかったですね…。
――愛情込めてお世話していたんですね。
お世話することを目的としなくても、ただ捕まえて、体をさわったりにおいを嗅いだりするのも好きで、よくやっていました。
小学生時代は、給食で出たパンを持って公園へ行って、ハトたちにちょっとずつ与えては、目の前に来た一羽をばっと手早く捕まえて、裏返してお腹を観たりしていました。横にいる友だちはびっくりしていましたけどね(笑)。
――そのまま中学に上がっても動物をよく捕まえていたんですか?
中学ではちょっと生活が変わりまして…実は中2で島留学をすることになったんです。当時暮らしていた大阪を離れて鹿児島の離島へ1人で行き、全然知らない人のお宅で暮らし始めました。
――え!どうしてそういうことになったのですか?
親に突然「島へ行ってこい!」と言われて…。というのも親は、「中学に上がったらこの子は落ち着いて勉強するようになるだろう」と思っていたみたいなんですが、私は遊んでばかりいたんですね(笑)。それで「勉強してこい」ということで島留学の話を持ち出してきたんです。
――それをすんなり受け入れたんですか?
いえ、イヤでしたよ(笑)。でも、自分でもわけがわからないうちに話が進んでしまって。今はいい経験をさせてもらったと思っていますが、当初は乗り気じゃなかったです。
――そうですよね、13歳で親元を離れるなんて。
家族よりも一緒に遊んでいた友だちと離れたことのほうがつらかったですね。環境もがらりと変わって。でも、そんな心細く感じている私を明るくさせてくれたのはやっぱり動物だったんですよ。
島には、大阪では見たことがない動物がたくさんいてワクワクしました! 島ゴキブリという草履くらいの大きさのゴキブリがいたり、サソリもどきというサソリっぽい虫がいたり。「なんだこれ!」と興味津々で観察していましたね(笑)。見るだけじゃ飽き足らず、あるとき森にいた野生のヤギを捕まえて、ホームステイ先へ連れ帰って勝手に飼い始めたこともあります(笑)。
――また捕まえていたんですね(笑)。
でも、そういうことをしても島の人は全然怒らなくて。何も言わずにやりたいことを自由にさせてくれました。
――楽しく過ごせたんですね。
そうですね、なんとか(笑)。おかげで精神的に強くなれた気がしています。始めは、信号もない、人口も70人くらいしかない、とんでもないところに来てしまったと思ったんですけれど、それなりに楽しく過ごせるようになって、「何事もなんとかなる」と思えるようになって。いろんなことに挑戦できるようになりました。ペット探偵という特殊な仕事に飛び込めたのもこうした精神性を培っていたからかもしれないですね。
――プロフィールによると、その後バンド活動に打ち込んでいたそうですね?
ええ。高校時代に出会った友人がソロで音楽活動をしていて、その子が「本当はバンドをやりたいんだよね」と言ったことから私もやることになりました。音楽って全然興味がなかったんですけど、その子の表現にはすごく惹かれるものがあって、自分もやってみたいと心動かされたんです。
――プロを目指すようにもなったとか?
その友人とは別にもう1つ組んだバンドがあって、そっちの活動がだんだん大きくなってきたんです。鹿児島のテレビ番組に出演させてもらったり、CM曲を作らせてもらったり。それで「東京へ出て、メジャーデビューしよう!」となって。
――その頃は動物への思いというのは?
動物はずっと好きでした。バンド活動をしている間も何かしら飼育していて。ただ、自分の道として進みたいのは、その頃は音楽でした。動物への思いは、売れて有名になったら、SNSなどで発信しようと考えていました。
じつは、バンド活動をしている間に思い立って、鹿児島県内の動物愛護センターを訪れたことがあったんです。そこで見た光景が衝撃で…。居場所のない犬や猫たちが狭い檻の中に入れられていたんです。しかもその檻は通路の端から端までずらりと並んでいて。「こんなにたくさん生活する場所を失った子たちがいるんだ」とショックを受けました。だからどんな形でも、動物を救える活動ができればと思っていたんですよね。
――芸能人で保護犬・保護猫に携わる活動をされている方もいますよね。
まさにそういった活動をイメージしていました。でもプロを目指すために上京して1年後、バンド活動に区切りをつけて、本格的に動物に関わる道に進むことを決めました。
――何か心境の変化があったのですか?
特別なきっかけがあったわけではないのですが、5年間バンドをやってきてふと将来のことを考えたとき、「やっぱり動物に関わることがしたい」と思ったんです。
音楽もたしかに好きで、毎日そのことばかり考えてきたんですが、私が心の底から本当に好きだったのは動物でした。好きのエネルギーが、動物のほうが大きかったんです。
――そう気づいてからはどうされたのでしょうか?
バンド仲間に話をしてやめさせてもらい、「愛玩動物飼養管理士」(※)という資格の勉強を始めました。動物が好きでも専門的なことは何も知らなかったので、まず知識を得ようと考えたんです。
※愛玩動物飼養管理士
ペット(愛玩動物)の習性や正しい飼い方、動物関係法令の知識などを評価する資格。
――「ペット探偵」の仕事はどのタイミングで知ったのですか?
ちょうど「愛玩動物飼養管理士」の勉強をしているときでした。たまたまテレビで『情熱大陸』を見て、弊社の代表である藤原博史が出演していたんです。
番組を見てすぐに「ペット探偵の仕事がしたい!」と思いました。自分が迷子になったペットを見つけ出すことができたら、動物愛護センターで見たような子たちを少しでも減らすことができないかもしれないと考えて。
その後は、『情熱大陸』を何度も見返して、藤原さんの著書も熟読して、YouTubeに上がっていた関連動画も見まくって、ペット探偵の仕事がどういうものなのか自分なりに理解しようとしました。そのうえで、「大変な仕事だろうけど、やろう!」と覚悟を決め、藤原さんにメールで連絡を取りました。
――求人募集への応募などではなく突然連絡されたんですよね?メールにはどういったことを綴られたのですか?
「動物が好きで、困っている動物を助けたいんです!」という思いをそのまま書きました。とくに自己アピールになるようなことは書いていなくて、なんだったら履歴書も添付していません。でも、かといって長文を書いたわけでもなく。シンプルに自分がどんな人間であるかを綴り、あとは「とにかく会ってほしい」とお願いしました。経験もスキルも何もないけれど、とにかくずっと動物にふれあってきた私を知ってもらって、そこから具体的な話をさせてもらいたかったんです。
そしたら本当にお会いできることになって、会ってお話しさせてもらったその日にペット探偵の仕事をすることが決まりました。
――急展開ですね…!
後から聞いた話ですが、『情熱大陸』を見て藤原さんに連絡した方は他にもたくさんいたそうです。でも驚いたことに、実際に会ったのは私だけだそうで。
――すごい!
決して特別なメールを送ったわけではないんですが…ただ幼い頃からの自分を文章に表しただけで。ただそれが、藤原さん曰く、「伝わるものがあった」そうです。何件か連絡があったなかで、1人だけ印象が違ったと。
――飾り気なく自分を出したのがよかったのかもしれませんね。
――いざペット探偵の仕事をするようになっていかがですか?
本当にこの仕事は自分に合っていると思います。というのも、やっていることが子どもの頃とほとんど変わらないんです。動物を見つけ出して捕まえて、と。しかも今は、捕まえた動物をご家族のもとへと帰すというところまでやっているので、喜びが昔より何倍も大きいですね。
――迷子になったペットを捜すのは、遊びの虫捕りよりはるかに難しいと思うのですが、どのようにアプローチしているのでしょうか?
私は猫の捜索が多いのですが、まず飼い主様にその子の生育環境や性格をうかがいます。これは捜索方針を決めるうえでとても大事なことなんです。
例えば、何年も室内で過ごしてきた子だったら、大きな車が通る外の世界にとても驚くはずです。だからどこか落ち着ける場所に移動すると思うんですよね。ただ、どこに向かうかはその子の性格次第。臆病だったら狭いところに隠れて縮こまっている可能性がありますが、大胆で人が好きな子だったら人通りの多いところへ行くかもしれません。
逆に、最近まで野良だったという子なら、外歩きに慣れているので一定の場所に留まっていないと思います。ある程度広く動き回っていることが考えられます。
――どういう行動をするか、そのペットの目線で考えるんですね。
そうですね。実際に見つけたときも、すぐ捕まえずに、その子の視線や足の向きをよく観察して、「あ、こっちに進みたいんだな」などと考えていますね。
――そういった動物目線はやはり小さい頃から培ってきたのでしょうか?
だと思います。父と兄と虫捕りをした日々や、島留学で動物にふれあった日々が、動物をよく観る目を養ったんでしょうね。おかげで仕事始めの日から動物の行動や気持ちを考えるのがスムーズにできました。
――ほかにこの仕事をやってよかったことはありますか?
動物のためなら苦手なことも乗り越えられたことですね。私は人とのコミュニケーションが苦手だったんですが、迷子のペットを見つけ出すには飼い主様だけじゃなくご近所の方に協力してもらわないといけない場面もあるので、自分からきちんと話していけるようになりました。あと夜中に捜索していると不審者と疑われることもあるので、ちゃんと説明できるようにと会話能力が磨かれた部分もあります(笑)。
こうやって振り返ってみると「好き」からもらえるパワーってすごいですね。好きが強いとそれだけ壁も乗り越えられます。
――「好き」から道を拓いてさらに自分が磨かれたんですね。今後もご活躍ください!ありがとうございました!
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この記事を編集した人
ほんのまともみ
やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。