仕事・働き方

【起業】お笑い芸人からトップ営業マンへ。好きなことを追い続けた経験は、次の人生にも絶対活きる

2019.07.19

お笑い芸人からハウスメーカーのトップ営業マンへ、さらには社会人に「笑いのスキル」を伝授する“笑伝塾”の開設へ――。
 千変万化の人生を送ってきた殿村政明さん。彼の人生を一貫して支えているのは、子どもの頃からずっと大好きな「笑い」です。「好きなことで生きていく」その方法を尋ねました!

#小学生 #中学生 #高校生 #ワークスタイル

夢を追いかける…
いいことなんだけど…

「息子はプロ選手を目指すと言い張って、サッカー以外のことに興味を持ってくれません…」「娘はYouTubeばっかり見て、YouTuberになりたいなんて言って毎日歌の練習をしています…」

中学生、あるいは高校生。なにか一つのことに夢中になっているお子さんの姿。キラキラした目で夢を追いかけていくのは、とてもいいことだと思います。いえ、本音はちょっと違うかも。やっぱり勉強はして欲しいかも。将来の不安を抱く保護者の方、少なくないんじゃないかと思います。

いまもむかしも、誰もがうらやむスタープレイヤーになれるのは、ほんの一握り。「好きなことで生きていけるほど世の中甘くない」という気持ち、あるかもしれません。

もし夢破れたらと思うと…

ですが――「好きなこと」を夢に描いて、そんな仕事を目指して、もしも夢破れ、続けることができなくなったとして。

子どもの人生は、それで終わりなのでしょうか。

好きなことに向かって努力したこと、邁進してきたこと。それは、やがてほかの職業につくことになったとしても、生かせるのではないでしょうか。

今回はそんなお話です。

 かつて吉本興業のお笑い芸人として活躍したものの引退、それからハウスメーカーの営業マンに転身し、やがて「笑いのコミュニケーション術」を教える社会人向け人気研修「笑伝塾」(株式会社ヒューマンコメディックス)を立ち上げるようになる殿村政明さんを取材。

好きな「笑い」を追求してきた半生についてうかがいました!

僕はね、
お笑い芸人になりたかったんだ

笑伝塾 塾長
殿村 政明 さん

町口 いきなりですが、どうしてお笑い芸人を目指そうと思ったんですか?

殿村 小さい頃から、自分の取り柄は「笑い」だけやと思ってましたんで(笑)
逆に、勉強がすごい嫌いやったからね。椅子に10分もよう座らない子。本気でお笑い芸人を目指そうと意識し始めたのは、中学1年生くらいからやったかな。

町口 それで、そのままお笑い芸人の道へ?

殿村 いや、実は中学出てから一回就職したんです。

町口 (就職してたんだ…)

殿村  美容師やってました。そこで自分より、一回り、二回り以上年上のお客さんをいつも笑わせてたんです。ちょうどテレビではひょうきん族とか、さんまさんが一世を風靡しているころで、大人相手に笑かす自信もあったんで、お笑い芸人として、自分の力を試したかったんです。で、いてもたってもいられなくなって 、最初、さんまさんに弟子入りしたくてお願いしたんですけど…

町口 ですけど?

殿村  実は劇場の関係者入口から勝手に忍び込み、楽屋へ会いに行ったんで、ものすごく怒られまして。でも諦められなくて、それを5回繰り返しました。今なら警備上100%入れないと思いますけど(笑)

町口  えー、5回もですか!

殿村  はい。そこで「そんなに漫才やりたいんやったら」ということで、関係者の方繋がりで、オール阪神巨人師匠に弟子入りさせていただくことが叶ったんです。 それがスタートです。

町口 スゴいです!

…ただ、お笑い芸人になって成功するのは「ひと握りの人」というイメージはありますよね。迷いはなかったんですか?

「なかったです」

殿村 なんせ迷うほどの選択肢も持ってませんでしたから。勉強もそんなできへんし、スポーツが長けているわけでもないし。とにかく、得意なのはしゃべくりだった。好きなことで飯を食いたかった。だからお笑いの道を選んだ。

親も、そこまで言うなら行ってこいって感じでしたね。

町口 そしてデビューされたんですね。やる気満々で。

吉本の芸人として活躍
スイッチ入りまくりの日々だった

町口 好きなことを仕事に、 ついてみてどうでした?

殿村 もうね。好きな気持ちをこう、沸騰させて、パ――ンって飛び散らしてくような毎日でしたよ! 好きすぎるみたいな。言ってみれば愛。

町口 愛。

殿村 そうやね~。

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