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中垣さんはこれまで、『ぎょうれつ』や『ひらいて びっくり!のりもの のりもの』(ともに偕成社)、『ともちゃんちのにんじゃねこ』(マクドナルドハッピーセット絵本)など、「見つける」面白味のある作品を生み出してきました。
そんな中垣さん、意外にも絵は大人になるまで落書き程度にしか描いていなかったといいます。異色の経歴を持つ中垣さんの「やる気」に注目です!
中垣ゆたか
イラストレーター/絵本作家
1977年福岡県北九州市生まれ。帝京大学経済学部卒。2005年からフリーイラストレーターとして活動を始め、その年に音楽雑誌よりデビュー。2013年に絵本『ぎょうれつ』(偕成社)を出版して以降は、絵本作家としても活動する。主な著書に、『よーい、ドン!』(ほるぷ出版)、『さがすえほん ごちゃまぜ』(佼成出版社)。
HP:nakagakiyutaka.com
――中垣さんの「密」な絵は見る人に強い印象を残すと思います。どこかで絵を学んで確立された画風かと思いましたが、大学では経済学部だったとのこと。どのようにして絵の道をスタートさせることになったのですか?
ぼくは大学3年の時に病気をしました。ある日顔がパンパンにむくんだんです。友人から「昨日と顔が違うよ!」と言われて病院に行くと、そのまま緊急入院することになりました。
原因不明の病気で、わけもわからず半年も入院生活を送ることに。退院しても定期的に通院する日々を送りました。それで普通の就職は望めなくなってしまったんです。
療養を続ける中で、 ふと絵を描く仕事をしてみようと思いました。 イラストレーターだったら、「紙とペンがあればできる」 「家でできる」「人と会わないでできる」。生活スタイルから条件を並べて選んだのがこの仕事だったんですよ。
――そのような経緯だっとは驚きです。「紙とペンがあればできる」は確かにそうですが、それにしてもどうして「絵」だったんでしょう?
療養中は映画をよく見ていたので、最初は映画関係もいいなと思ったんですが、技術がないので難しいと思いました。
友人がカメラマンをやっていたのでそれも考えましたが、機材をそろえるのにお金がかかるところがネックでした。また、弟子入りするところから始めたなんて話を聞くと、その時27歳だったので、「今からじゃ無理だなあ」と気が遠くなるようでした。
でも絵は、絵なら誰しも小さいころに描いた経験がありますよね? ぼくは決して自信があったわけではないんですが、幼少時代の記憶がモチベーションとなって「絵をやってみよう!」と思ったんです。
――その後はどんな行動を?
好きな音楽雑誌の編集部に片っ端から電話をかけました。その中で「来てもいいよ」と言ってくれたところへ、画用紙に描いた絵を持ち込みました。
もちろん最初からうまくはいかなかったです。ファイルにも入れずにむき出しの状態で持っていっていたので、「きたないから捨てろ!」だとか「やめたほうがいい」だとか散々言われました(笑)。
ただ、そんな中でも「ポートフォリオを作った方がいいよ」や「名刺を持ちなさい」など色々と教えてくれる編集者さんがいたんです。育ててくださる方々がいたので、営業の仕方も覚え、活動を始めて半年くらいで仕事をもらえるようになりました。さらにその2か月後には連載させていただくようにもなったんです。
――何も知らない状態で飛び込んでいくなんて度胸がありますね! ひどいことを言われても落ち込まなかったんですか?
それがあんまり落ち込まなかったんですよ(笑)。キツイことを言われても、描いた絵に強い執着があったわけではなかったので、「そうですか」と流していました。
もともとぼくは利き手とは逆の手で描いたような、シュールな絵を描きたいと思っていたんです。外国のCDジャケットにそういうのがあって憧れていました。
実際に利き手ではない左手で描いていましたし、だから「ダメ」って言われても特に傷つくことはなかったですね。
――そうやって続けてきた中でもやりがいや楽しさは生まれていったのかなと思いますが、いかがですか?
そうですね。とにかくオーダーに合わせて描き続けていたんですが、やっていくうちに自分らしい絵が描けるようになっていき、楽しみが増していきました。
これも編集者さんの一言がきっかけでした。ポートフォリオの中に、今のような絵(キャラクターが密集する絵)の原型となる一作があったんです。それを見て「これをめちゃくちゃ描いてこい!」と言われ、たくさん描きました。
すると、音楽雑誌の大所帯バンドを取り上げる記事で、いっぱい人を描く仕事をもらえました。その絵が好評だったのか、次にまた似たような絵の依頼がきました。そうやっていつのまにか自分の画風が確立しました。
――やりながらオリジナリティを獲得していったのですね。中垣さんはどんなことを思って描いてきたのですか?
最初に見てもらう人を思い浮かべながら、「驚かせてやろう」だとか「おもしろいと言ってもらいたいなあ」と思って描いてきました。それをモチベーションにしていましたね。
やっぱり何を作るにしても受け手を意識することって大事だと思うんです。編集者さんは最初の読者なので、テーマを決めて取り掛かるより、「びっくりさせてやろう!」という気持ちを第一にしていました。
――絵本を作りたいと思うようになったのはいつごろから?
実は、絵本は自分には無理だと思っていたんですよ。というのは、新人時代に絵本出版社にも自分を売り込みに行ったのですが、全く掛け合ってもらえなかったんです。絵本関係は堅実な雰囲気のところが多く、行ってもすごく怒られていました。
それで、イラストレーター一本でいこうと決めていました。ところが、編集者さんのつながりで子ども向け科学雑誌の見開き一枚を描けることになったんです。それもまたさっきと同じく、一度仕事をさせてもらうと次につながりました。担当編集の方がぼくの絵を気に入ってくださったんです。
今度は表紙もイラストカットも、一冊の中のすべての絵をやらせてもらえることになりました。さらにこの時嬉しかったのが、「絵・中垣ゆたか」とぼくを著者にしてくれたんです。そこから絵本作家としても活動することができました。
だから自分からやりたいと思っていたわけではなく、一つひとつ目の前のことをこなすうちに、活躍できる場が広がっていったんです。
絵本デビュー作『ぎょうれつ』(偕成社)。万里の長城やハリウッドなど世界の名所を舞台に行列に並ぶおもしろい人たちを楽しむ作品。
――今、絵本作家になって率直にどんな気持ちですか?
やっぱり嬉しいですね。まず0から作り上げるという点でイラストも絵本も両方楽しいことなんですが、絵本の場合は1枚描いて終わりではないところが魅力的です。15枚通して描いていける。前のページのキャラクターを次のページにもう一度登場させることができる。楽しくてしょうがないですね。
それから、絵本って子どもがいちばん始めに出会う絵だと思うんです。自我が芽生える前に見る子もいますよね。自分が誰かの人生の初めの方に関わっているのかと思うと、すごいことだなと思います。むかし好きだった絵って大人になっても好きだったりしますし、やりがいありますね。
――絵本作家となってまた一段と精力的に活動されるようになったと思いますが、昨今のコロナによる自粛生活でのモチベーションはいかがでしたか?
そうですね…世の中に対して「案外何もすることができないんだな」と無力感のようなものを感じていました。絵本を手にとってもらえれば気持ちが上向きになるお手伝いができたかもしれませんが、買ってくださいとも言えませんよね。絵は描けるけどどうしたらいいものか。少し戸惑っていましたね。
でも細々とSNSで絵の発信はしていました。コロナによりライブハウスが窮地に追い込まれていたのがきっかけでした。ぼくは音楽雑誌でイラストを描かせてもらうことが多かったので他人事とは思えなかったんです。
「ライブハウスってこわくないよ」というのを伝えるつもりで、まず一枚アップしました。その後「密を避けましょう」というアナウンスが出て、「自分の絵って密だよなあ」と思い、「少しでも明るい気持ちになれたらいいな」と次々とアップするようになりました。気づけば毎日投稿していて、自粛生活中のライフワークとなっていました。
――積極的にSNSを使うことで心境の変化などはありましたか?
ぼく、あんまりSNS得意じゃなかったんですよ。「もうやめようかな」と思っていた時期もありました。
でも、コロナによって世の中が不安定になり始めたころ、「むかしの人は疫病や飢饉が流行ると大仏を作っていたんだったな。今ならその気持ちがわかる。描いてみようかな」と思い立ち、描いてアップしてみたんです。そしたらけっこう反響があって驚きました。
ぼくは全部手描きでやっているので、作品はなるべく個展などで生で見てもらいたいという気持ちがあったんですが、このご時世じゃそんな機会も作れない。SNSという発信手段があってよかったなと思いました。
大仏の絵はその後ポストカードになり、コロナ見舞いとして各所に配られた。
――最後に、「紙とペンでできる」から始まった作家人生ですが、絶えず続けてくることができた一番の根っこは何でしょう?中垣さんなりの「やる気」を聞きたいです!今後の展望もお聞かせください。
根っこは、「自分で選んだ道だから」ですかね。ぼくの場合、病気のことがあってしかたなくだったかもしれません。でもやっぱり自分で選んだんですよ。だから、やるしかない。
もし会社員になっていたら今みたいにモチベーションは高くなかったかもしれませんね。やらされている感があるとダメだったような気がします。少しでもそういうのを感じていたらきっと、「やれっていったんじゃん!」と文句を言っていたと思います(笑)。
芽が出るまでは怒られまくりましたし、ひどいことも言われました。でも「自分で走りだしちゃったからしょうがないか」と思っていました。仕事はすごく楽しいですけど、決して楽ではありません。絵本は下書きだけで一年はかかりますし、毎日約11時間は描くことに労力をさいています。
でもぼくは「ずっとやっていたい」ですね。下書き、ペン入れ、色付け、仕上げと、あらゆる工程を経て作品を完成させていくことは、何事にも代えがたい達成感がある。この先も健康に気をつけて走り続けていくことが最大の目標です。
――ありがとうございました!
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この記事を編集した人
ほんのまともみ
やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。