新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2022.01.21
長吉優介(ながよしゆうすけ)
鹿児島県出身。 顔はめパネルクリエイター、顔はめパネル愛好家、Webメディア『顔はめパネル図鑑』編集長。「顔はめパネルは世界で最もステキな記念撮影アイテムだ!」を合言葉に年間500枚のペースで顔をハメながら、東京サマーランド「期間限定顔はめパネル」、浅草たい焼き工房「求楽」など、さまざまな顔はめパネルのプロデュース、顔はめパネルに関するイベントを行う。
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――「顔ハメ」を職業にしている人がいると知って驚きました(笑)。まずは「顔はめパネルクリエイター」の活動内容について教えてください。
僕も仕事になるなんて思っていませんでした(笑)。もともとは、ただの趣味でしたが、今は「顔はめパネルは世界で最もステキな記念撮影アイテムだ!」を合言葉に、観光スポットや商業施設に設置する顔はめパネルをプロデュースしたり、イベントを開催したりしています。
――たとえば、どんな顔はめパネルをプロデュースされたのですか?
期間限定イベントが多かったりするのですが、浅草の商業施設「まるごとにっぽん」さんのイベントでは、鹿児島や静岡など15の市町村に関する顔はめパネルをつくらせていただいたり、2019年に元号が変わったときには、「令和」を記念する顔はめパネルもプロデュースさせていただきました。
令和のパネルは、新元号が発表された瞬間から大急ぎでつくらなくてはいけなかったので、すごく思い出深いです。「令和」を発表した菅さん、「平成」を発表した小渕さんをはじめ、歴代の官房長官、江戸時代だったら老中が元号を持って、時代をつなぐ「Choo Choo TRAIN」をしています(笑)。
――なるほど、面白いですね(笑)
自衛隊さんの盆踊り大会の顔はめパネルもつくらせていただきました。男の子向けに陸海空の自衛隊をカッコよく描いて、顔はめ部分は可愛いイラストにして女の子にも親しんでもらえるようにしました。
東京駅の地下にある観光情報センター「東京シティアイ」さんでは、5つの施設の34枚の顔はめパネルを集めた「顔ハメ看板大集合展」というイベントを開催させていただきました。
――いろんな顔はめパネル、いろんなニーズがあるんですね。
全国の観光スポットには、本当に数えきれないくらい、たくさんの顔はめパネルがあるんですよ。僕は今はこうして仕事として活動していますが、もともとは本当に単なる趣味で、つくるわけではなくて、ただただ顔はめパネルが大好きで、年間に500枚以上めぐったりしていたんです。
――500枚!
合計すると2000枚くらいになります(笑)。なので、最初はただの顔はめパネル愛好家だったのですが、2016年に「顔ハメ看板カレンダーをつくろう!展!」というイベントを自分で開催したんですね。
このイベントを見てくださった商業施設の方がいらっしゃって、そこからお声がかかって、自分でもつくるようになっていったかんじですね。
――つくるというのは、絵を描いたり、デザインしたり?
僕はデザイナーでもイラストレーターでもないので、自分で直接つくるわけではありません。ただ、とにかくたくさん顔をハメていて、いつもメジャーを持ち歩いて、パネルと穴の縦横のサイズや、地上から穴までの高さなどを全部測っていたので、顔ハメの知見が意外とたまっていたんです。
顔はめパネルって、穴の位置や大きさが大事で、例えば、お子さんがたくさん来る施設だったら、2歳の子が立った状態で顔をハメられるように地上76cmに穴を開けるとか、ベビーカーに乗せたまま、お子さんと親御さんの2人が一緒にハメられるようにするとか、そういう工夫が必要なんです。
なので、依頼を受けたら、クライアントさんと話し合って、アイデアを考えて、下書きを描いて、設計図みたいなものを作って、それをもとにイラストレーターさんに描いていただく、というような流れでつくっています。ですから、顔はめパネルのプロデューサーみたいな役割ですね。
――顔はめパネルは、どんなきっかけで好きになったんですか?
大学4年生のときに、中学時代の恩師とFacebookで繋がって、地元の鹿児島で久しぶりに再会したことがあったんです。天文館というアーケード街でごはんを食べて、お店を出たら「天文館 顔かめパネルプロジェクト」というポスターが貼ってあって、地図に番号が振ってあって「1番から8番までめぐってみよう」みたいなことが書いてあったんですよ。
久々の再会でテンションが上がっていたので、「楽しそうだからめぐってみよう!」ということになって、1番から8番までめぐって、男2人で顔はめ写真を撮り合って(笑)。
その帰りに先生が「優介、今日は本当に楽しかったな。このままだと、また平気で7〜8年くらい会わなくなるから、鹿児島と東京、それぞれの街で顔はめパネルを見かけたら、必ず写真を撮って送りあおう。顔はめパネルはそんなにないだろうし、それくらいが男同士の近況報告にはちょうどいいんじゃないか」と言ってくれて。
それから顔はめパネルを見つけるたびに記念撮影して先生に送っているうちに、どんどん顔はめパネルが好きになってきました。だからこれが最初のきっかけですね。
――大学卒業後は、どうされたんですか?
普通に就職したのですが、僕はやりたいことが本当に何もなかったんです。「自分は何をしたいんだろう…」みたいなかんじで、全然モチベーションがなくて、毎日がつまらなくて。
そんなときに、たまたまInstagramを始めて、顔ハメ写真を投稿したら、知らない方々からたくさんコメントをいただけるようになったんですよ。「この人は主婦の方なんだ。お子さんと撮ってて楽しそうだな」とか「ずいぶん年上の方で休日にやってるんだ」とか、年齢性別に関係なく、いろんな人が顔ハメを楽しんでいることがわかってきて、毎日が少しずつ楽しくなってきて。
それで、その人たちに会ってみたくなって、イベントを主催したんです。イベントといっても、代々木公園に僕がつくった桜の顔はめパネルを持ち込んで、お花見をするだけなんですけど(笑)、わざわざ新潟や大阪から来てくれる人もいて、15人集まったんですよ。
初めてにしてはたくさん集まったなぁと感激しましたし、「顔はめパネルが好き」というだけでいろんな知らない人と繋がれたことが嬉しくて、すごく楽しかったです。
このときは単なる趣味だったんですけど、それから徐々に「顔はめパネルについてイベントをやってもらえませんか」と声をかけていただくことが増えてきて。僕も「好きでやってるだけだから、自由にできるし、これは夢中になれるかも」と、どんどん本気になっていきました。
――職業になったのは、どんな経緯だったのですか?
2017年に大日本印刷さんの「DNPプラザ」という施設を訪れたときに、たまたま館長さんとお話ができて「ここの顔はめパネルはすごいですね。僕も将来こういうことをやってみたいんですよ」とお伝えしたら、「だったら、やりたい企画があったら教えてください」と言っていただけて。やりたい企画を夢中で書いて、その日の夜にメールで送ってみたんですよ。
そしたら、その企画ではなかったのですが、DNPプラザさんのほうから「顔はめパネルの講演会をしませんか」とご提案をいただけて、講演会プラスそれに伴ったフォトイベントのようなものを2日間やらせてもらえたんです。
小さな一歩でしたけど、「動けば何か起こる」と思って、自分の中で何かが変わりました。それにともなって、顔ハメに夢中になっている僕を面白がってくれる人が増えてきて、いろんな道が見えてきました。それで会社を辞めて、顔ハメ活動に専念することにしたんです。
――すごいですね、自分で新しい道を切り開いて、顔はめパネルの専門家になったわけですね。日本テレビ『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』やTOKYO FM『高橋みなみの「これから、何する?」などにも出演されたんですよね。
そうですね。フリーランスになって2年くらいは、いろんな顔はめパネルのプロデュースをさせていただいたり、イベントをやらせてもらったりしていたのですが、2020年からコロナの影響を受けて、今は結構苦しい状況になってしまいまして。
――ああ〜、顔はめパネルがあるのは、人が集まる場所ですもんね。
ステイホームで外に出られませんし、観光スポットの皆さんが苦しまれていても、できることが何もありません。正直かなり落ち込みました。何をしたらいいのかわからなくなって、今回の趣旨に合っているかどうかわかりませんが、やる気もなくなってきてしまって…。
だったんですけど、そんな中でも、ららぽーとさんから声をかけていただけて、全国の顔はめパネルがARとなって現れる「全国顔はめパネルARツアー」というイベントをやらせていただけました。
これは、遠い場所に行くことはできなくても、友達や家族と顔はめパネルで記念撮影して、ご当地に行った気分になれる、コロナ禍ならではの楽しみ方ができるイベントだったと思います。
また、ある島の方からは、顔はめパネルのコンサルをお願いしていただけました。昭和何年の1枚しかない古いポスターを顔はめパネルにしたいということで、自分の知見をすべて使って顔はめパネルにする方法をご提案したら、とても喜んでいただけて、意外と役に立っている自分がいたんです。
正直メンタルは死んでしまっているというか、かなり倒れた状態のまま、こうしたご依頼をお引き受けしたのですが、こんな状況でも自分を必要してる方がいてくださったことに「こちらのほうこそ、ありがとうございます!」と心の底から感謝の気持ちがわいてきて、元気を取り戻せてきました。
ですから、コロナによって顔はめパネルをつくれる機会は減ってしまいましたが、そのぶん、一回一回のありがたみを感じるようになりました。一回、離れたことによって「顔はめパネルってなんて素晴らしいんだろう」と、その魅力にも改めて気づけて「どんな距離感になったとしても、この好きなものから絶対に離れないようにしよう!」と、自分を見つめ直す機会になりましたね。
――長吉さんが考える、顔はめパネルの魅力とは?
顔はめパネルは、思い出作りのアイテムなので、訪れた場所を満喫して、その高揚感を穴にこめて写真を撮ります。だから、そこでいちばん楽しそうな顔をしているんですよね。それが個人的にはいちばん魅力だと思っています。もうひとつは、その人の意外な一面を知ることができるんです。
3年くらい前、父親と初めて一緒に顔ハメをしたんです。僕の父親は小学校の校長先生なんですけど、パネルに顔をハメると意外とおどけてきたので、びっくりしました。逆にひょうきんな友達が意外と恥ずかしがったりとか、その人の新しい一面に気づけるのも、顔ハメの楽しさですね。
つくり手としては、顔はめパネルって未完成のものを世に送り出すんですよね。つくって終わりではなく、お客さんが顔をインしてくれたときに初めて完成する。その様子を常に想像しながらつくっているので、「本当の完成品」を遠くから眺めているときが何より嬉しいです。顔はめパネルをつくったら、実際にその場所に行って、ずーーっとお客さんを眺めながらニコニコしています(笑)。
――やる気がなくなってしまった、というお話がありましたが、読者のみなさんに向けて、やる気を出す秘訣がありましたら、アドバイスいただけますか?
小さいことから始めることだと思います。壮大なやる気は、むしろいらない気がします。例えば、僕が最初から「顔はめパネルを何百枚も絶対つくるぞ!」と大きな目標を立てていたら、早々に折れて、今頃、全然違うことをしていたと思うんですよ。
僕の場合でいえば「毎日が楽しくないから、インスタに投稿してみよう」から始まって、「コメントをいっぱいいただけるようになったから、その人たちに会ってみたい」「どんな人か知りたいから、イベントをやってみよう」と、本当に目の前の「ちょっとやってみたいこと」をやり続けていたら、二歩、三歩と、前に進んで、自分では想像していなかった場所まで進むことができた気がします。
やる気が出ないときは、小さな一歩を踏み出してみる。そうすれば、次の一歩を踏み出さなくてはいけないので、自然と「次はどこに行こうかな」と考えるようになります。動いていないと「次はどうしよう?」とならないので、やっぱり最初の小さな一歩がすごく大事だなって思います。
――最初の一歩を踏み出せば、二歩、三歩と前に進んでいける。
はい。顔はめパネルが仕事になったきっかけも、「企画書を読んでくれて仲良くなれたら嬉しいな」が、僕にとってはゴールでした。でも思いがけず向こうから二歩目が返ってきて、講演やイベントの開催という三歩目を踏み出すことができました。
僕は大学を卒業してからも本当にやりたいことがなかったので、周りの人たちが仕事にやる気を見出して「これが天職だ」となっていたりするのが、すごく羨ましかったんです。「自分には夢中になれるものが何もない」と、ずっと思っていたんですけど、そこで出会ったのが顔ハメでした。
こんなことが職業になるわけない、と思っていたのが、逆に最初の一歩を踏み出しやすかったのかもしれません。ただ好きなだけなんだから、自分が楽しいイベントをやってみようとか、企画書を出してみようとか。そうしたら、周りが面白がってくれた。ただただ、その積み重ねですね。
――今後の夢や目標は?
ふたつあって、ひとつは日本全国47都道府県すべてに自分が作った顔はめパネルを置いてみたいです。もうひとつは、顔ハメのギネス記録をつくってみたい。調べてみたら、顔ハメのギネス記録って1個しかないみたいなんですよ。だから可能性はあるかなって(笑)。
コロナ禍になって時間だけはあったので、「顔はめパネル図鑑」というWEBメディアを作ったんです。これは全都道府県の顔はめパネルの情報を載せているのですが、僕が行ったものだけではなく、みなさんに情報を呼びかけて、みんなでつくる図鑑にしたんですね。そしたら全国のすごいたくさんの方々が写真や情報を寄せてくれて、1人で100件も投稿してくださった方もいました。
世の中には、顔ハメが好きな人がたくさんいて、顔はめパネルも、もっともっとたくさんあります。終わりのない図鑑を完成させようとしているので、サグラダ・ファミリアをつくっているような気持ちになれるんですよ(笑)。それがすごいワクワクして、これを完成させることも目標のひとつですね。
顔ハメが好きというだけで、いろんな人と繋がることができて、僕のイベントを通じて仲良くなった方々もいらっしゃいます。そういう場を作ることができたのが、すごく嬉しいです。ギネスを目指すとなったら、いろんな方の協力が不可欠なので、一緒につくるその過程も楽しんでいきたいですね。
もしもこの先、仕事ではなくなったとしても、顔はめパネルが世の中からなくなることはありません。その絶大な安心感がありますから、顔ハメは永遠に続けていきます(笑)。
――今後のご活躍も楽しみにしています。本日はありがとうございました!
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この記事を編集した人
タニタ・シュンタロウ
求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。