新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2021.04.14
松﨑智海(まつざき・ちかい)
1975年福岡県生まれ。浄土真宗本願寺派永明寺住職。龍谷大学文学部真宗学科卒。2000年札幌龍谷学園に宗教科教諭として赴任。2005年鎮西敬愛学園に宗教科教諭として赴任。2014年に教壇を降り、永明寺に勤務。2016年より永明寺住職を継職し、現在に至る。TwitterやYouTubeなどで積極的に発信を続ける。著書に『だれでもわかる ゆる仏教入門』(ナツメ社)。
――松﨑さんといえば、やはりSNSです。『ボヘミアン・ラプソディ』のなりきりツイート、松本人志さんの「松本 動きます」をアレンジした「阿弥陀 動きます」など、面白い投稿をたくさんされていますよね。
Twitterは2016年に始めました。『ボヘミアン・ラプソディ』は映画に感動したのと、歌ってお経に通じるところがあると思ったんですよ。お経って淡々と読んでいるように見えるかもしれませんが、あれはお釈迦様の言葉を漢字にしたものですから、実はものすごく一生懸命、必死に唱えているんです。
「阿弥陀 動きます」は、2019年に吉本騒動が話題になっているときに、松本人志さんが「後輩芸人達は不安よな。松本 動きます。」とツイートされているのを見て、その頼もしさが僕には仏教の阿弥陀如来様と重なったんですね。それで「阿弥陀 動きます」と投稿したら、9.1万「いいね」をいただきました(笑)。
――どうしてお坊さんが、こうしたユニークな発信をされているんですか?
目的としては、まず仏教を知ってもらうこと。肩肘はらずに楽しめるんだよ、ということを発信したくてTwitterを始めました。僕のツイートは9割がふざけていて、1割は真面目なんですけど、これが逆だったら誰にも見てもらえませんから(笑)。
ただ、一番のバックグラウンドにあるのは、僕が仏教を楽しんでいるということです。仏教って面白いんですよ。いろんなところに影響があるし、世界の見方も変わってくる。たとえば、『シン・エヴァンゲリオン』は観ました?
――観ました。よかったですね〜。
よかったですね。すごいよかったと思うんですけど、僕にはあれもやっぱり仏教に見えちゃうわけです。エヴァンゲリオンって、タイトルからしてキリスト教じゃないですか。でも内容的にいえば、仏教にすごく通じるところがあって、「これって仏教の考え方だよね」って見ると、また見え方が変わってくるんです。
そうやって、まずは自分自身が楽しむ。何より自分自身が楽しんでいないと、人がそれで楽しむってことはあり得ないと僕は思っているので。
――YouTubeでは、『鬼滅の刃』で仏教を楽しむ動画などをアップされていますよね。
『鬼滅の刃』もすごく仏教的で、特に僕が信仰している浄土真宗の要素がたくさん出てくるんですよ。実は今、“『鬼滅の刃』で仏教を学ぶ”という、すごくニッチな内容の本も書いてまして。タイトルはまだ決まってませんが、5月くらいにPHP出版さんから発売される予定です(笑)。
とにかく僕は仏教が好きで、みなさんにオススメしたいんです。というのも、僕が思っている仏教の魅力と、みなさんからの人気にはすごい差があって、もっと流行っていいはずなのに、世の中では流行ってない。
それはなぜかって考えたら、みなさん食わず嫌いだと思うんですよね。食べたこともないのに敬遠している。高級なんじゃないか、お作法があるんじゃないか、とか、そういう敷居の高さみたいなものを下げて、もっと気楽にカジュアルに楽しんでもらえればいいのに思って、いろんな試食を出しているという感じですね。
――たとえば、仏教で「やる気」も出せたりしますか?
仏教って答えはくれないんですよ。考える過程や方法はくれるんですけど、「これをしたら明日からこうなります」みたいなことは言わなくて。たとえば「やる気」が出ないと思ったら、なぜ自分はやる気が出ないんだろう、なぜやる気を出さなくちゃいけないんだろう、やる気って何だろうとか、そういう風なめんどくさ〜い考え方になるわけなんです(笑)。
単純に「これをやったら答えが出ます」という考え方をしないのが仏教で、むしろそういう考え方を壊していきなさい、という教えなんですね。
――よくあるビジネス書や自己啓発とは違うんですね。
だいぶ違いますね。じゃあ、やる気を出すのにどうしたらいいかというと、仏教的に考えるとまずは「縁」ですね。
僕も、あまりやる気のない人間だったんですよ。今もあまりやる気がないんですけど(笑)。がむしゃらに頑張るとかがすごい苦手で、高校生のころのテーマは「無気力・無努力・無感動」でした。そういうやる気出さないのがカッコ良くて、やる気出すのはカッコ悪いって思っていました。完全な中二病です(笑)。
仏教も大嫌いで、「お寺なんてお年寄りをダマしている集団だ」とか思ってたんですけど、実家がお寺でしたから、それを継ぐことは僕に課せられたミッションでもあったんです。
で、大学生になって卒業後の進路を考えたときに、このまま実家に帰ってお寺を継ぐのも嫌だし、就職するのも今更どうかなって思ったときに、「学校の先生になれば、みんな文句言わないかも」と気がついて。
いわば妥協と打算で学校の先生になろうと思ってしまったんですね(笑)。
――なるほど(笑)。
でも教育実習に行って、気持ちが変わりました。子供たちが僕の授業にすごく協力してくれたんですよ。僕に恥をかかせないようにみんなで話し合って、「何か質問ありますか?」と聞くと全員が手を挙げるんです。
高校生って「これどう思いますか?」と聞いても、誰も手を挙げないのが普通じゃないですか。なのに全員が手を挙げている。妥協と打算で教師になろうとしたこんな僕なんかの話を一生懸命に聞こうとしてくれている。その姿を見て、僕はすごい感動しましてね。それから本気で「この子たちのためになる人間になろう」と。
――生徒たちとの縁で、やる気が生まれた?
はい。仏教についてもそうでした。僕は高校で仏教を教えていたんですけど、最初は何の教科でも良かったんです。子供たちと接したいから、その手段として仏教を選んだのに、もっと仏教を教えたいと思うようになった。手段と目的が逆転して「人生の目的にするだけの価値がある」と考えるようになって、どんどん仏教が好きになりました。
そんなときに、じいちゃんが亡くなったりしたこともあって、「本気でお坊さんをやろう」と決心して実家のお寺を継いで今に至るんですけど、子供たちとの縁が最初のきっかけなんですよね。
――やる気は、出会いから生まれるわけですね。
その出会いを、仏教では「縁」といいます。僕の経験上もそうですけど、喜びでも怒りでも悲しみでも、何か気持ちに変化が起こる、それはすべて縁によって現れるんですね。さまざまな縁に出会うことによって心が動いていく。
僕はその縁に対して敏感になるべきだと思います。やる気って、スイッチをポチッと押したら、いきなりボンって出るようなものではなくて、さざ波のようなもので、ものすごく小さなものもあると思うんですね。
でも、たとえどんなに小さなさざ波でも見落とさない。それが“やる気スイッチ”の押し方かなと思います。
教員をやっているときに思ったんですけど、「これをやりたい」という気持ちになっても、自分で潰しちゃう人がいっぱいいるんですよね。たとえば、テレビを見て「お菓子作りいいかも、パティシエになりたい」と思っても「これは一時の気の迷い」「実際には無理だろう」とか勝手に思い込んで、せっかく現れたやる気を自分で潰してしまう。
自分の気持ちが動いたら、世間の常識とか、誰かに何か言われたとか、そういうことはあまり気にせず、自分の心の動きをきちんと見るべきなんじゃないかと思います。
――「縁」ができて、気持ちが動いたら、まずはやってみる?
仏教的にいうと、まずやるってことも大事なんですけど、同時に、それに対してしっかり考えることも重要ですね。
たとえば、縁によって自分の心が少しでも揺れ動いたら、「自分はなぜこれをしたいんだろう」「どのようにしたいんだろう」というのをしっかり見つめて、しっかり時間も取って考える。で、考えるだけじゃなくて、当然行動もしてみる。その2つがないといけないと思います。
ちょっとマニアックな知識になりますけど、仏様の成り方というのがあってですね(笑)、仏様になるときって、願と行、願いと行いは、必ず2つセットじゃないとダメなんですよ
――すいません、「仏様になる」というのは…?
仏様になるというのは、本当のものを見られる、真理真実に目覚めるってことです。ただ「真理真実って何ですか?」と聞かれたら、僕たちもわからないんですよ(笑)。
仏教って言葉では再現できない世界を、言葉で伝えないといけないものなので、逆説で説いていくんです。これではない、これではない、これではない、と反対の言葉で伝えていきます。
だから仏様とは、「今の私ではない存在」ですね。
小さなやる気が現れたら、それに対してしっかり考えて、願いを立てる。プラス、それに見合うだけの行いをしていく。願と行、これが「今の私ではない存在」になる方法です。
仏教は「仏」になることが目的なので、「今の自分でいい」と思っている人には必要ないものなんです。でも「今のままの自分じゃいけなくないか?」と思ったら、そこが仏教のスタートかなと思いますね。
――仏教を信じたり、学んだりすると、どんな変化があるのでしょう?
物の見方が変わります。仏教って、しがみつくことを嫌がるんですよ。人間ってあらゆるものにしがみついてしまうので、しがみつかないように気をつけるようになります。
ただ、その変化はものすごく小さいです。本当にほんのちょっとの変化だと思いますけど、それをずっと長いこと繰り返していくと大きな変化になります。振り向いてみれば、だいぶ変わったねって。
仏教は、何かを新しく取り入れるだけではなくて、今あるものに対して自分たちが気づいていくための方法なんですね。たとえば、ごはんだって普通に食べれば美味しいし、おなかも膨れるし、生きるために食べるものですけど、そこにもたくさんのご縁があるんだよ、たくさんの命が繋がっているんだよ、という気づきを得て、食事への見方が少し変わっていったり。
――みんなが仏教を信じるようになれば、世の中も良くなる?
僕は仏教を伝えるうえで、そういう崇高な目的は考えてないんですよ(笑)。世の中の良し悪しって結局、自分の主観じゃないですか。僕がいいなと思う世の中が本当にいいのかもわからないし、自分はそんな大したもんではないですから。
僕はただ単純に自分が好きなものをオススメしているだけです。要するに、好きなアイドルを推しているのと一緒ですよね。自分が好きなアイドルをみんなに勧めて、そのアイドルの話をみんなでする。そしたらやっぱり嬉しいし、面白いじゃないですか。結構そこらへんぐらいの感覚です。
――松﨑さんの“推し”は、阿弥陀様、あるいは、親鸞聖人、お釈迦様?
仏教という“箱推し”ですね(笑)。箱推しをしながら、僕の担当は親鸞聖人なので「この人オススメですよ」って会話できるのが楽しいんです。
なので、あんまり世の中を良くしたいとか、そういう風には思ってないんですけど、そういう人たちが増えたほうが楽しいし、もともと仏教は世の中が平和になったり、一人ひとりの心が安らかになって、みんなが幸せになることを目的としているので、みんなが満たされれば、うまくいくだろうなって思っています。
――松﨑さんの著書『だれでもわかる ゆる仏教入門』でも、ご自身が信仰されている浄土真宗だけでなく、いろんな宗派のお坊さんや教えを紹介されていましたよね。
こういう本は、珍しいみたいですね。他の宗教者さんと一緒に話をしながら、自分たちの宗教を語っていく本って今までなかったらしいんです。いろんな宗派を紹介すると「自分たちが正しい」「あれは間違っている」ってケンカになりがちなので(笑)。
でも僕は、自分の宗派だけでなく色々な宗派をみなさんにお見せして、「どうぞその中から自由に選んでみてください」ってしたかったんですよ。
ゆる〜く仏教を紹介して、いろんな宗派のお坊さんにインタビューしている本なので、自分の「推し教え・推し寺・推し僧侶」を見つけていただけたら嬉しいですね。
――では最後に、仕事や勉強にやる気がわかなくて悩んでいる人たちにアドバイスをお願いします。
ご縁を大事にしてください。僕は落ち込んだり、物事がうまくいかないときには、人に会いに行くようにしています。このコロナ禍ではZoomになっちゃいますけど、会ってみたい人や喋ってみたい人に連絡を取って、電車に乗って会いに行くんです。「何の用ですか?」って聞かれたら「いや、最近うまくいかないんですよね」って(笑)。
でも、すごい人って、そんなつまんない質問にもちゃんと答えてくれるんです。普通に話しているだけで、やる気をくれるんですよね。
僕は根が暗い人間なので、本当に行き詰まったりしたときは、引きこもっちゃうんですよ。そういうときは、無理やりにでも自分を奮い立たせて、アポ取って、東京とかでも飛行機に乗って、なるべく人に会いに行きます。
やる気スイッチを押すためには、縁も大事だし、その縁によって生かされているんだってことに、自分たちが気づいていくことも大事なんじゃないかなって思います。
――とても勉強になりました。本日はありがとうございました!
仏教界のインフルエンサー、松﨑智海が仏教の教えをやさしく解説。お釈迦様の生い立ちから、仏教の考え方、お寺と仏事の素朴なQ&Aまで、ゆる~く解説します。また、現代人の悩みに仏教の教えで答えるコーナーや、七大宗派の僧侶が語るそれぞれの開祖の魅力など、これまでの本にはない魅力も満載です。1,430(税込)/ナツメ社
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この記事を編集した人
タニタ・シュンタロウ
求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。