新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
生活・趣味
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この記事を書いた人
牧野 篤
東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。
様々なイベントを住民が持ち込むことでにぎやかな空間が生まれている「岡さんのいえ」ですが、その基本はどこまでいっても緩やかなかかわりづくりです。
「岡さんのいえ」がある世田谷区には、区民のまちづくりを支援する区の外郭団体「一般財団法人世田谷トラストまちづくり」(通称「トラまち」)があります。
この「トラまち」には、「岡さんのいえ」のように空き家を地域にひらいて活用する場合に、助成金の申請や支援者の派遣などをしてくれる事業があります。「地域共生のいえ」といいます。
この「地域共生のいえ」に認定されると、「トラまち」が行っているまちづくりのためのコーディネータ養成講座修了者が、終了後の活動の場所として、「地域共生のいえ」に紹介されるという仕組みもあります。「岡さんのいえ」にも、この制度を使って、紹介された企業退職者たちがいます。
現役時代にはそれぞれ企業で鳴らした人たちがかなりいます。それだけに曲者が多いともいえそうです。でも、「岡さんのいえ」では、そういう人たちも貴重な戦力なのです。
地域社会には、こういう曲者や猛者をもものともせずに、うまく手懐けてしまう猛獣使いの女性が必ずいます。これは、私たちの地域活動の経験から得られた知見でもあります。彼女たちを私たちは「百戦錬磨のおばさん」と呼んでいます。「岡さんのいえ」オーナーのKさんもそのひとりです(というと、叱られそうですが)。
この百戦錬磨のおばさんの前では、企業で鳴らした曲者など、仏様の掌で踊らされている孫悟空のようなものかも知れません。いい年のおじいちゃんが、「ボク、これやって」「あなた、こうした方がいいのよ」「ほら、ボク、そこはこうやると、うまくいくの」と指示を出され、それがうまくいくと「ほら、うまくできたでしょ」「あなた、それうまいわね」などとお褒めの言葉をいただきつつ、まんざらでもない表情を浮かべることになります。
そのうちに、自分から利用者の動きをつかみ始めて、若いお母さんたちの中に入っていっては、子どもと遊んだり、子どもの面倒見ていてあげるから、買い物に行ってきなよ、という声がけができたりするようになります。すると、若いお母さんたちからも感謝される経験を重ねることで、企業時代に身につけた裃や鎧が自然と脱げ、物腰も柔らかくなっていくのです。
これを私たちは仏教用語を使って「還俗(げんぞく)」と呼んでいます。企業という俗世間から隔絶された特殊な序列の世界から、序列など関係のない混沌としたカオスの俗世間へと帰還し、軟着陸できた。こういう意味です。
こうなると、高齢の人たちも、企業人の時代に身につけた考え方や技能を使って、新しい空き家の活動に積極的にかかわるようになってきます。まるで、昔取った杵柄を新しいものと取り替えて、自分で自分の活躍の場所をつくっていくかのようなのです。
こういう場所で生まれる緩やかなつながりは、実際に、命を救うことへと結びついています。
こんな事例がありました。「岡さんのいえ」にかかわっていた高齢の独居男性がいました。大酒飲みです。この人が、夜、たぶん酔っ払っていたのだろうとのことなのですが、道の側溝に倒れ込んでいたことがありました。それを通りかかった人が見つけて、通報。警察に保護されているという連絡がKさんのところにあったのです。
なぜ、Kさんのところに連絡があったのかといいますと、本人は意識がもうろうとしていて、確認が取れない。でも、所持品の中に「岡さんのいえ」のスタッフの名刺があったというのです。警察からそのスタッフに連絡が行き、そこからKさんへとつながったのです。
誰もが、また酔っ払っちゃって、警察に迷惑をかけて、しょうがないなあ、と受け止めていたといいます。それで、スタッフのひとりが軽い気持ちで引き取りに行くと、ぐったりしていて、車椅子に乗せられて出てきた。どう見ても、おかしい。
実は、こうなる前から少し様子がおかしかったというので、Kさんから地域の包括支援センターにつなげてあったのです。そこで、警察からアパートにタクシーで送っている間に包括支援センターに連絡して、アパートで担当者と合流。酔っ払っているだけではないようだとのことで、救急車を呼んで、病院に担ぎ込んだのです。
すでに過度の低血糖で意識障害を起こしていたとのことでした。脳死寸前だったと主治医の先生がおっしゃっていたそうです。その後、「岡さんのいえ」からご家族にも連絡が取れて、本人の健康も回復しているそうです。
Kさんはいいます。運がよかったとしかいいようがない。もし自宅でひとりで倒れていたら、誰にも発見されずに、そのままだったかもしれない。路上で倒れていたから発見された。でも、「岡さんのいえ」のスタッフの名刺を持っていなかったら、事前に包括支援センターとつながっていなかったら、やはり厳しかったかもしれない。こういう細い糸がいくつもつながることで、地域では人の命が守られていくのだと、心底思った、と。
緩やかなつながりは、人の心に深く刻まれ、人々を動かし、お互いに配慮に満ちたかかわりを生み出すのでしょう。
こういう関係は、何も人間関係だけではありません。空き家そのものが進化していくのです。
いま、東京の都区部では、公園からどんどん砂場が消えています。野良猫が糞をしたりして、衛生上よくないとのクレームが住民から区役所に入り、砂場の撤去が進んでいるのです。
砂場とブランコ、滑り台は、昔の公園の定番でしたが、このどれもが汚い、危ない等の理由で、取り除かれてしまい、公園は平場の、太陽が照りつける、誰も寄りつかない、いわゆる「防災グッズ」のようになってしまっています。
しかも近隣の住民にとっては、その方が「静かでいい」のだそうです。子どもたちの歓声がうるさいというのです。
脱色された社会の一つの姿がここにあります。
でも、子どもたちは脱色された存在ではありません。泣き、叫び、笑い、歌い、走り、転び、寝転がり、全身で環境と触れあおうとします。脱色とは真逆の、カラフルな存在、それが子どもです。
「岡さんのいえ」では、そんな子どもたちのために、おとなとくに見守り隊を自任する高齢のおじいちゃんたちが、愉しい場所やイベントをどんどんつくってくれています。
狭い庭に、気づいたらちいさな砂場ができていて、子どもたちがどろんこになりながら、一心不乱に山をつくり、トンネルを掘り、小川に水を流し込んで、そのうち怪獣が出現して、山を崩し、トンネルで大惨事を起こし、最後は大海を泳ぎ回って、素っ裸で畳に飛び込んできます。
耐震が甘いということになれば、クラウドファンディングをやって、お金を集め、みんなで大はしゃぎで障子や壁に穴を開けて「手入れ」をし、その後きちんと耐震工事がはいって、安全な建物になりました。
こうして、気がつくと、誰かがみんなのために「岡さんのいえ」に手を入れては、この空き家が日々バージョンアップしていくのです。誰もが、「岡さんのいえ」を自分のものであるかのようにして大事にしつつ、誰かのためを思って手入れをし、みんなのものとして使えるように、日々、新たにしてくれているのです。
進化しているのは空間だけではありません。子どもや学生たちの発案で、夜の時間帯にも居場所づくりが進められています。いま、都内では、夫婦共働きで、しかもこの経済状況の中、長時間労働についている人たちがたくさんいます。また家族形態の多様化で、シングルマザーの家庭も多く、そういう状況の反映なのか、子どもの貧困が社会的な問題となっています。
統計では、日本の子どもの相対的貧困率は2015年の数字で約14パーセントです。この場合、子どもとは0歳から17歳の年齢にある者を指します。相対的貧困率とは世界各国の貧困を比較するために算出される数字で、等価可処分所得[世帯の年間可処分所得を世帯人数の平方根で割った所得額]の貧困線に満たない世帯の割合を示します。貧困線とは、等価可処分所得の中央値の半額を指します。
たとえば、一家4人の可処分所得(収入から税金や社会保障費を除いた自由に使える所得)が年間300万円だとすると、4の平方根で2、この数字で300万円を割った150万円が、この世帯の等価可処分所得となります。この等価可処分所得の中央値(平均値ではありません)の半分以下(貧困線以下)で生活している世帯を相対的貧困家庭と呼びます。現在の日本では、貧困線は125万円前後となるといわれます。
この家庭に14パーセントの子どもがいて、それがシングルマザーの家庭になると約6割にもなるといわれています。世界でも最悪レベルの子どもの貧困状態なのです。
こういうことを背景として、学校や塾から帰っても家に保護者がいない家庭が多く、子どもたちが居場所を求めてさまよっているという状況が生まれています。
とくに都区内などでは、中高生が3人以上でコンビニでたむろしていると、警察が来て、帰宅するように指導されると聞いています。しかし、彼らは居場所がなくて、寂しくて、コンビニにいるのに、帰れと指導されても、行くところがありません。その結果、よからぬところに出かけてしまい、社会の表面からは見えなくなってしまいます。そうなると、彼ら自身の生命の危険も考えなければならなくなってしまいます。
こういうことの中で、学生たちの発案で、「夜も勉強見てやりますから」という大義名分で始められたのが、夜の居場所づくりです。子どもたちの生活ベース、もしかしたら緊急避難場所(シェルター)だといってもよい取り組みなのかもしれません。
この取り組みは、彼らによって「たからばこ」と名付けられました。勉強は見ている風ではありませんが、夜な夜な皆どこかから集まってきては、ゲームをやったり、話し込んだり、ゴロゴロしたりして過ごしていました。そこに私の学生たちも入り込んで、なにやらまったりとしたいい感じの空気が流れていくのです。この「たからばこ」は、現在では、世田谷区子ども若者部・若者支援課の事業として中高生の居場所にもなっています。
この「たからばこ」が若者の居場所として機能していることにかかわって、世田谷区の福祉部門からの相談で作られたのが、「岡’sキッチン」です。
Kさんはいいます。「当時の課長から、児童養護施設を退所した子どもたちの生活支援を考えたいとの話が出て、あら、それでしたら時々一緒にご飯つくるとか、一緒に食べるとかならできますよ、と軽い気持ちで始めたのが、岡’sキッチンなのです。」
そこで、近所の人にも来てもらって、ご飯をつくって、一緒に食べる、わいわいガヤガヤの会が始まったのです。これが「岡さんのいえ」のキッチンで、「岡’sキッチン」。岡’sには「おかず」の意味もかけられているのでしょう。
コロナ禍前には、毎週1回ほど、みんなでご飯をつくって食べる「岡’sキッチン」がひらかれていました。そうしたら、集まること。中には高校を卒業して、社会人になったんだけど、寂しくて、という若者がいたり、養護施設を卒業して、働いているんだけど、なかなか社会になじめなくて、という若者もいたりしました。
社会にはこんなにも居場所のない若者たちがいるのかと改めて思い知らされた感じがしたことを覚えています。
「岡’sキッチン」の取り組みは、コロナ禍でしばらく中断していましたが、特定給付金をもらったこともあって、私たちもそれを寄付して、そのお金でパーテーションやその他の感染予防の設備を整えて、再開しています。
いまでは、この「たからばこ」も「岡’sキッチン」も、世田谷区からの委託事業という形で、場所代をいただいてサバイバルしている、とはKさんの弁です。
空き家が子どもたちの生活のための基地(ベース)になったのです。
(次回につづく)
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