新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
生活・趣味
2023.11.2
この記事を書いた人
牧野 篤
東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。
第28回記事で紹介した、Iターン者で組織された「ユタラボ」(一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー)の活動の結果、たとえば「viva! あそびば」の利用者は、2020年度、中高生143名が延べ1142名、翌21年度は2月の時点ですでに中高生255名、延べ1275名となっています。
また「ミライツクルプログラム」では、2021年度に高校生が活動主体となる事業が41生まれ、総計85回の地域活動が行われています。さらに、これらの活動を活かして、いわゆるAO入試に臨んで、大学進学を勝ち取った生徒が2020年には2名、21年には12名に上っています。
また、「オモイをカタチにプロジェクト」には、2020年度に39名、21年度は1月までの時点で35名の参加があり、そのうちの52.8パーセントが20歳代、58.3パーセントが女性でした。このうち、86.2パーセントの参加者が地域自治組織に関心を持ったと答えています。
そして、この取り組みから、鎌手地区で20歳から40歳代の若者たちが「かまて地域づくり協議会 魅力づくり部会(通称鎌手チャームラボ)」を立ち上げ、それをユタラボが支援する関係ができています。これはまた、ユタラボの取り組みが、地域自治組織内に若者たちのグループを生み、それが地域づくりに積極的に取り組み、次の世代を育成するという、ある種のひとの代謝関係の形成につながっていることを示しています。
このことはさらに、UJIターン者を受け入れることにつながり、ユタラボができてからすでに8名がユタラボの支援で中山間地区に「空き家」を借りて暮らし、地域自治組織をはじめとする地域の団体に積極的に参加しています。この背景には、「豊かな暮らしトークセッション」や「益田暮らし体験ツアー」などの取り組みがあり、さらにその背景には、「MASUDA no Hito」ウェブサイトのブログ執筆や「ライフキャリアをデザインできるまち益田」のプロモーションなど、より広域的な発信が存在しています。
この他、ユタラボは伝統文化の石見神楽の伝承事業にも取り組み、「IWAMIカグラボ」を運営し、かつ行政へも積極的な提言活動を進めています(※)。
※以上のユタラボの成果については、一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー『益田市役所とユタラボの協働による成果の抜粋と今後の展望—令和2-3年度(2021-2022年度)事業の総括—』による
益田市ではさらに、ここまで述べてきたような「ひとが育つまち」の取り組みの総括として「ひとが育つまち益田フォーラム」を毎年開催しています。これはまた「益田びとの“ライフキャリア”実践発表会」と呼ばれます。
2021年度のフォーラムは、「ふるさとに“旗(志・Mission)”を立てる!〜集い、躍動する大人達〜」をテーマに、2つの分科会ステージ「旗(志・Mission)を立てるひとたち」「旗(志・Mission)を立てたひとたち」が設けられ、10の分科会が開かれました。
それぞれが「益田版カタリ場」の様相を呈するような語りあいの場となり、一年間の取り組みの成果が熱く語られ、それに触発された若者たちが自分の未来への思いを語る場面があちらこちらに見られました。
このフォーラムはまた、中学生たちが躍動する場でもあります。ユタラボの若者たちに混じって、中学生たちがスタッフとしてかかわり、彼らが企画と運営にもかかわるとともに、当日の全体司会をも担当するのです。
益田市の「ひとが育つまち」の営みが映し出しているのは、ひとが社会の目的となると、ひとは自ら育ち、社会を育てるのだ、ということではないでしょうか。
ひとは、経済や社会の道具や手段とされるとき、他者を配慮したり、誰にとっても「よきこと」に気づいて、それを実践しようしたりしなくなります。
なぜなら、道具や手段としての自分は、他者からそのように仕向けられ、評価され、価値化されて、誰とでも、そして何とでも交換可能な商品のようにして、この社会に組み込まれ、動かされますが、その動かされている自分は他者にとっての使用価値でしかない、つまり自分の悦びに還ってくるものではない存在のあり方を強いられてしまうからです。
しかし、これまで見てきたような益田の子どもたちやおとなたちは、皆が、それぞれに目的として、誰かにかかわり、誰かにかかわることで自分に自分が還ってくるあり方として、そこに存在しています。
そのような自分は、常に誰かのことを気にかけ、配慮し、「よきこと」に気づいて、それを実現することで、自分が「よきこと」へと変わっていく、その変化を楽しみ、うれしく思い、そうすることで社会つまり人とのかかわりのあり方がよりよいものになっていくことを実感して、さらに自分という「よきこと」を実現しようとする、そういう自分を目的としながら、社会をよりよくしていこうとする、際限のないやりとりの関係へと自分をつくりあげていくことになります。
そこに私たちは、人間の基本的で本質的なあり方を見ることになるのではないでしょうか。ひとは自ら目的となることで、自ら育ち、社会を育てる。益田市の「ひとが育つまち」とは、また「ひとによって育てられるまち」のありようでもあるのです。
そして、この「ひとが育つまち」は、子どもたちのやりたいことがあふれ出てやむことのないまちでもあるのです。益田の高校生の言葉です。「やりたいことが次から次へと出てきて、人生100年なんて、とても短い気がする! 生まれてきてよかった。」
*****
いかがでしたでしょうか。「ひとが育つまち」、こんな「まち」があるのです。
この「まち」に魅せられて、多くの若者たちが訪い、活動に参加し、また定住を始めています。私の学生や知人の中にも、一年間休学や休職をして、ユタラボのインターンとして滞在し、その後、新たな人生の方向を見出した者がいます。
ユタラボはインターンを常時募集しています、関心をもたれたら、一度、連絡を取ってみてはいかがでしょうか。
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連載:子どもの未来のコンパス
#1 Withコロナがもたらす新しい自由
#2 東日本大震災から学ぶwithコロナの中の自由
#3 Withコロナで迫り出すこの社会の基盤
#4 Withコロナがあぶりだす「みんな」の「気配」
#5 Withコロナが呼び戻す学校動揺の記憶
#6 Withコロナが再び示す「社会の未来」としての学校
#7 Withコロナが暴く学校の慣性力
#8 Withコロナが問う慣性力の構造
#9 Withコロナが暴く社会の底抜け
#10 Withコロナが気づかせる「平成」の不作為
#11 Withコロナが気づかせる生活の激変と氷河期の悪夢
#12 Withコロナが予感させる不穏な未来
#13 Withコロナで気づかされる「ことば」と人の関係
#14 Withコロナで改めて気づく「ことば」と「からだ」の大切さ
#15 Withコロナが問いかける対面授業って何?
#16 Withコロナが仕向ける新しい取り組み
#17 Withコロナが問いかける人をおもんぱかる力の大切さ
#18 Withコロナで垣間見える「お客様」扱いの正体
#19 Withコロナで考えさせられる「諦め」の怖さ
#20 Withコロナ下でのオリパラ開催が突きつけるもの
#21 Withコロナで露呈した「自己」の重みの耐えがたさ
#22 Withコロナであからさまとなった学校の失敗
#23 Withコロナの下で見えてきたかすかな光・1
#24 Withコロナの下で見えてきたかすかな光・1.5
#25 Withコロナの下で見えてきたかすかな光・2
連載:学びを通してだれもが主役になる社会へ
#1 あらゆる人が社会をつくる担い手となり得る
#2 子どもたちは“将来のおとな”から“現在の主役”に変わっていく
#3 子どもの教育をめぐる動き
#4 子どもたちに行政的な措置をとるほど、社会の底に空いてしまう“穴”
#5 子どもたちを見失わないために、社会が「せねばならない」二つのこと
#6 「学び」を通して主役になる
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