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第23回記事「ひとが育つまち・5—ふるさとは「ひと」(5」はこちら
この記事を書いた人
牧野 篤
東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。
第23回で、子どもたちが理科の授業で菜の花の咲き方を学び、そこから菜の花で蜜を集めているミツバチに興味を抱いた、という話をしました。その続きからです。
子どもたちの「実際にミツバチがどんな風に花の蜜を集めているのか知りたい」との要望に、社会教育コーディネータが地元の養蜂家と学校とをつなぎ、子どもたちが学年単位で養蜂家を訪ねることになります。ここが少人数学校の有利なところです。
養蜂家も、子どもたちのためなら、と一肌脱いでくれ、子どもたちのために数種類の蜂蜜を用意してくれるのです。子どもたちは養蜂家の話を聞きながら、蜂蜜をなめ、花の種類によって蜂蜜の味が異なることを体感したりします。
学校に帰ってから、社会教育コーディネータは担任の教師と相談して、受け入れてくれた養蜂家に、子どもたちがお礼の手紙を書く実践を提案し、子どもたちが思い思いに感想を綴った手紙を書きます。これは、国語の授業との連動です。そのうち、子どもたちが、別の養蜂家のところにも行って、蜂蜜の味比べをしたいといいだします。子どもたちは、地域に別の「蜂屋さん」がいることを知っているのです。
この子どもたちの発言を、社会教育コーディネータは放ってはおきません。担任の教師と相談して、子どもたちにこう提案します。「ここからは、自分たちでお手紙を書いて、何がしたいのか、お願いしてごらん。お手紙を書いたら、みんなでお願いにいきましょう。」
こうして、子どもたちは自分の思いを綴った手紙を書き、社会教育コーディネータにともなわれて、学区内の養蜂家のところに、訪問のお願いにいくことになります。当然、社会教育コーディネータが事前に根回しをしてあります。
実際に、子どもたちの訪問を受け、一生懸命に思いを綴った手紙を受け取った養蜂家は、感激して、子どもたちを受け入れ、ミツバチや蜂蜜のこと、そしてミツバチから見える自然のあり方、さらに養蜂家としての思いや願いなどを子どもたちに語りかけてくれます。その合間に、子どもたちはまたしても蜂蜜のおもてなしを受ける、こういうことになります。
そして、帰校した子どもたちは今度は、方方の養蜂家のところでご馳走になった蜂蜜をブレンドして、学校ブランドの蜂蜜をつくりたいといいだすことになります。そのためには、どうすればよいのか。ここからは、教師の腕の見せ所となります。
子どもたちの思いを授業に組み込んで、単に蜂蜜を混ぜ合わせればよいということではなくて、ブランドとは何か、商品とは何か、など社会科の授業につなげ、どう混ぜたらいいのか、どんな味がよいのか、それを実現するにはどの蜂蜜をどのくらいの比率で混ぜたらよいのか、など家庭科や算数の授業につなげ、養蜂家の皆さんの協力を得るにはどうしたらよいのか、どうお願いしたらよいのか、など国語の授業につなげ、さらに子どもたちに自分が考えていることを人にわかってもらうためにどうしたらいいのか、どう表現したらよいのか、など図画工作の授業につなげ、これら授業の総合されたものとして、学校ブランドの蜂蜜づくりが練り上げられ、最後に地域の人々へのプレゼンテーションを行い、コミュニティスペースで子どもたちがつくった学校ブランド蜂蜜をお披露目する、こういう一連の教育実践へと構成されていくのです。
その結果、地域と学校とが子どもを中心にして、子どもたちの活動を促すように協力し、子どもたちが、おとなたちの支えの下で、自ら探究しつつ、皆で協力して、一つのことを成し遂げ、それだけでなく、それをみんなにものとして共有し、さらにお披露目をする、そして地域のおとなたちからそれを褒められるという円環がつくられることになります。
その結果、気がついたら子どもたちの表現力を含めた学力が向上していて、学力テストで低空飛行だった豊川小学校の子どもたちが、いまでは市内トップクラスの学力を示すようになったのです。
このような事例は、この豊川小学校だけではありません。私がかかわっている北海道のある自治体でも、学校と地域のおとなとを結びつけ、子どもたちが地域で探究活動を進めているところで、子どもたちの学力が目に見えて向上しているのです。この町の教育長はこういうのです。
これまで、我が町の子どもたちの学力テストの成績は、道内でも超低空飛行でした。全国学力テストのたびに、道の教育委員会からは子どもたちの正答率を79パーセントまで上げるように、とのお叱りを受け続けていました。しかし、それは至難の業でした。そんなことをいわれても、これがこの町の子どもの実態なんだから、という思いを持たざるを得ないような状態だったのです。
その後、コミュニティ・スクールづくりがいわれるようになって、地域の人たちにお願いして、子どもを受け入れてもらい、子どもたちが地域でさまざまな体験を積み、探究活動を進め、それを学校に持ち帰って、仲間とともに議論したり、作文にしたりする実践を進めてきました。
当初は、学校の先生方も、子どもたちの授業への集中が妨げられているのではないかなど、不安の声も上がりましたが、どう見ても、子どもたちが生き生きしているのです。それで、もう少し様子を見ましょう、といって、地域とのかかわりを続けていった3年目くらいから、先生方から子どもの目の色が変わってきた、いろんなことに積極的になってきた、という報告が上がり始めたのです。
しかも、子どもを受け入れることで、地域社会も変わってきました。これまでは、学校が疎遠だったのでしょう。地域で聞こえる学校の話は、クレームや批判めいたことばかりだったのですが、この探究活動を進めてからは、それもちょうど3年目くらいからでしょうか、クレームではなくて、子どもたちをしっかりと見てくれている、そして子どもを受け止め、支えようとしてくれている、そう、目を細めて、微笑んで、子どもたちの活動を見守ってくれている、そう感じるような言葉に変わってきたのです。
いまでは、この地域の人たちにお世話になる探究活動は、大切な我が町の教育実践です。
こういう実践を行っていると、いまだに、町会議員などには、地域に出るのもいいが、机の上でやるお勉強は大丈夫なのか、それで子どもたちは進学で不利益を被らないのか、と議会などで批判的な意見をいう人もいます。でも、こういう人にはこういい返してやります。我が町の子どもたちの学力テストの正答率をご存じですか? この実践前は8割に達しておらず、道教委からお叱りを受けてばかりでした。それがいまでは93パーセント、道内随一です。これで学力がついていないなどと批判できるのでしたら、エビデンスを出してください。
しかもこの町は道内でも過疎化が厳しいところなのですが、少人数教育を逆手にとって、小学校から英語教育も進めていて、小学5年生の子どもたちが流暢な英語をしゃべるのです。
子どもたちの学びの場は、学校に限定されるわけではなく、地域のおとなたちが一緒になってつくりあげることで、子どもたちは生きた知識を自分の血肉に変え、生き生きと学びを楽しむようになるのだといえるのではないでしょうか。
豊川地区では、2012年の「豊川地区つろうて子育て推進協議会」の設立から、コミュニティ・スクール指定、そして豊川小学校への社会教育コーディネータの配置と地域学校協働による子どもたちの学びの組織化が進められた2016年頃までを、いまから振り返って、豊川地区まちづくりの第一フェーズだといいます。そして2017年、第二フェーズを象徴する事業が動き出します。地域自治組織として「とよかわの未来をつくる会」が発足するのです。
忘れもしません。2017年の8月、「とよかわの未来をつくる会」の発足式が開かれました。蝉時雨がかしましく降り注ぐ中、地区の350世帯から300名以上もの出席者があり、会場は熱気に包まれ、蒸し暑いが上にも暑さが募ります。会場となった体育館の各所には、大型の扇風機がブンブン唸り、電力オーバーでブレーカが何度も落ち、扇風機はおろか、マイクも照明も度々使えなくなる中、参加した住民たちは、団扇や扇子をパタパタあおぎ、汗をタオルで何度も拭きながらも、誰ひとりとして中座しようとしないのです。
私は、そこで講演をさせていただき、さらに中学生を壇上に上げたパネルディスカッションのファシリテータを担当しました。パネルディスカッションには、島根県隠岐の島の海士町にある隠岐島前高校で「高校魅力化」「地域魅力化」を推進していた岩本悠さんも同席されました。中学生は、3年生の男女でした。
一人ずつ自己紹介をしてもらうと、自分がこの地区でどんな学びをしてきたのかを交えて、おとなたちへの感謝に満ちたスピーチをしてくれ、大切に育てられていることが伝わってきました。この子たちは、おとなの中で、少し変ないい方ですが、鍛えられていて、しっかりしているなあ、という感想、というよりも感じを、ある種の身体的な感覚として、つまり疑問の余地すらもないほどまでに納得できるように受け止めていました。
そして、パネルディスカッションも終盤にさしかかった頃、私から彼らにこう尋ねました。「皆さんは、地元でとても大切にされてきたことがよくわかったのですが、将来はどう考えていますか。」
この問いの背景には、これまで述べてきたような、益田市の現状があります。子どもたちは高校を終えると約9割が出ていってしまい、そのうちの3割しか帰ってこない。人口減少はとまらず、かといって、子どもたちを地元に縛りつけておくこともできない。このジレンマというのか、二律背反をどうとらえたらよいのか、という思いです。会場の多くの人たちも、この問いかけにうなずき、子どもたちの回答を待っているという雰囲気が伝わってきます。
するとどうでしょう。女の子が、事もなげに、こう答えるのです。「私は、地元でとても大切にしてもらった。ここを離れては私ではなくなるような気がする。自分の将来の夢は、医者になりたいけれど、病気を治すだけでなくて、生活を支える医者になりたい。勉強して、医者になったら、この豊川に帰ってきたい。皆さん、よろしくお願いします!」
私が呆気にとられていると、一瞬静まりかえった会場から大きな拍手が巻き起こるのです。そして、男の子。この雰囲気に気圧されるかと思いきや、こう平然といってのける、そう、いってのけるという表現が違和感ないほどまでに平然と、こう発言するのです。
「僕は、◯◯さんほど頭がよくないから、医者にはなれないけど、自分の根っこはこの豊川にあると思っている。だから、僕も帰ってきて、皆さんの役に立ちたい。僕は福祉系の学校にいって、介護士として帰ってくる。皆さん、よろしくお願いします!」
会場からは、割れんばかりの拍手。すると、壇上に上がっていたもう一人のパネラーであった地区長とおぼしきじいちゃんが、立ち上がって叫ぶのです。「おい、あそこの角の土地、空いとるだろ。そこに、二人のために診療所とデイサービスをつくるぞ。みんな、手伝え!」
またしても、割れんばかりの拍手。こういう熱気溢れる設立集会でした。この間、会場の誰ひとりとして席を立とうとはしませんでした。
こうして地域で大事に育てられた子どもたちは、自分の人生を地に足を着けて歩むことになります。
医者になりたいといっていた女の子は、いま(2022年)、一浪して自治医科大学医学部の学生です。彼女が自治医科大学を選んだのは、至極当然のことでしょう。介護士になるといっていた男の子は、福祉系の専門学校に進学して、介護士として活躍する準備を進めています。
今度は地元が試される番です。
この地域自治組織「とよかわの未来をつくる会」は、既述の他の地域自治組織と同様、「ひとづくり部会」と「魅力づくり部会」の二部会からなり、事務局長を公民館長が担い、地域魅力化応援隊員が実務を担当する形で組織されています。
しかも、「豊川地区つろうて子育て推進協議会」が「ひとづくり部会」と重ねられ、かつそれが地域未来塾「学び舎ますだ」とも深くかかわっていることで、公民館が全体の取り回しを担当する形がとられることとなり、次第に「豊川地区つろうて子育て推進協議会」が公民館運営委員会と重なって活動する形となっていきます。
その上、コミュニティ・スクールの学校運営協議会が「豊川地区つろうて子育て推進協議会」による推薦委員から構成され、つろうて子育て推進協議会が公民館と重なることで、学校そのものがコミュニティ・スクールとして公民館と密接なかかわりを持つ、いわば学校の公民館化が進み、地域住民が学校を支えつつ、子どもたちの教育を地域で担うという仕組みが出来上がっていくこととなりました。
このことを端的に示しているのが、「とよかわの未来をつくる会」の設立総会で採択された「とよかわの未来づくり宣言」でした。そこには、こう書かれているのです。
「ほしい未来は、自分たちでつくる」
このスローガンを基盤に、地区の未来である子どもたちを真ん中において、人材発掘・人材育成・人材活用を一つながりとした地域活動が模索され、実施されていきます。
その過程で、地域自治組織を構成している二部会「ひとづくり部会」と「魅力づくり部会」とが「人材」というテーマで、公民館を媒介にして融合していくこととなるのです。「人材」とは、経済的な目的のために使われる道具ではなく、地域の資源としての「ひと」のあり方であり、地域の人々のかかわりをつくり、課題を解決し、また魅力をつくり、地域を豊かな価値で満たされる「かかわり」として生み出していく担い手のことです。
こうして、豊川公民館が「ひと」「もの」「こと」の交流拠点機能を持つようになり、地域自治組織が学校と結びついて、子どもたちを地域で育てるとともに、学校そのものが地域全体の学びの活動の一部に組み込まれていく動きがつくられていくことになります。
学校も「ほしい未来は、自分たちでつくる」場になっていくのです。
(次回につづく)
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