子育て・教育

【連載】子どもたちは“将来のおとな”から“現在の主役”に変わっていく|特別寄稿:学びを通してだれもが主役になる社会へ(2)

2019.07.28

毎週日曜日更新
いま、私たちの社会は、たえず移り変わっています。不透明な未来社会。その実体をつかむのは容易ではありません。
東京大学・牧野 篤 教授は、これから向かっていく社会を「だれもが主役になる社会」だと考察しています。そこに求められるものとは。現代の本質を切りとり、これからの教育の可能性を語り尽くします。

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学びを通してだれもが主役になる社会へ
――これからの子どもたちの学びを考えるための断想――


#1 あらゆる人が社会をつくる担い手となり得る

#2 子どもたちは“将来のおとな”から“現在の主役”に変わっていく

#3 子どもの教育をめぐる動き

#4 子どもたちに行政的な措置をとるほど、社会の底に空いてしまう“穴”

#5 子どもたちを見失わないために、社会が「せねばならない」二つのこと

#6 「学び」を通して主役になる



社会の大きな転回
(後編)


一人ひとりの生産性が問われている

一人ひとりの労働者の能力は高いのに、生産性が低いのは、昭和を懐かしむ声の大きい人たちがいまだに「競争」を唱え、教育の仕組みを従来の競争主義・能力主義から切り換えてこなかったことのツケが回ってきているということなのではないでしょうか。いいかえれば、頑張れば何とかなるといって、長時間労働ややりがい搾取と呼ばれるような働かせ方をした結果、うつ病の蔓延、自殺者の増加など、一人ひとりの能力を潰してきてしまったということなのではないでしょうか。

これからの日本社会には、次の3つのシナリオがあるといわれます。第一は、人口減少とくに労働者の減少分を補うだけの生産性を高めて、GDPを維持するシナリオ。労働者の減少分を外国人で賄うという議論もあり得ますが、40年間で3000万人、つまり国民の4人に1人が外国人となる状況にこの社会が耐えられるとは思えないため、単純に外国人を増やすシナリオはあり得ないといわれます。第二は、このまま途上国並みにまで没落するシナリオ。そして第三は、現在の高い水準の民度や文化を保ち、インフラを維持しつつ、ICTなどでは世界の先端に追いつけない、いわゆる上質な文化を持った三流先進国となるシナリオ。

しかし、この3つのシナリオのうち、第三のシナリオはあり得ないといわれます。なぜなら、現在の高度な文化やインフラを維持するためには、少なくとも現状のGDPが維持されることが必要だからです。GDPは縮小するのに、現在の民度や文化、さらには高いインフラ整備率を維持し続けることは困難なのです。

そうしますと、第一のシナリオと第二のシナリオしかないのですが、第二のシナリオは人々の生活水準を極端に落とすことになりますから、これも採用できないということになります。そうであれば、第一のシナリオしかないことになり、一人ひとりの生産性を上げることでしか、私たちの社会が生き延びる術はないということになります。

多様な価値の社会の必要

しかも、これからの社会は、価値の多様性こそが新たな価値を生み出す源泉となります。これまでの社会は、競争によって価値を生み出す社会でした。競争ができるためには、社会的な価値は単一であり、相互に優劣の比較ができることが必須です。ですから、これまでの拡大再生産、大量生産・大量消費の社会では、価値の一元化が進み、学校でも同じ教育内容で、一斉授業を行って、皆を同じ価値基準で評価して、子どもたちを競争へと駆り立てる仕組みがつくられてきました。しかもその社会では、家庭と企業が学校による学歴主義によって結びつけられていて、個人と家庭と会社と国が直列の関係を結んでいました。

しかし、すでにそのような社会は過ぎ去り、社会の価値の多様化が求められるのです。そのとき、私たちが気をつけなければならないのは、たとえば階層格差が広がり、貧困が社会問題となり、子どもの貧困が取り沙汰される昨今ですが、そのような状況を、自己責任だといって放置しておいてはならないということです。なぜなら、それは人道的な意味で問題があるということだけではなく、社会の価値を多様化して、個人の生産性を高めることにとっても、問題があるからなのです。

2012年現在、日本の子ども(統計上0歳から14歳)の貧困率は、約16パーセント、6人に1人の子どもが貧困家庭にいることになります。これは主要国の中で、アメリカ・イタリアに次いで高い率です。しかも、ひとり親家庭でみると、この率は5割を超え、世界でも最悪の水準になるといわれます[1]

日本財団の試算では、この子どもの貧困を放置しておくと、推計対象となった貧困児童18万人の64歳までに得る所得総額で2.9兆円、彼らが収める税・社会保障の純負担額が1.1兆円、併せて4兆円の社会的損失が招かれることが明らかとなっています[2]

この推計は、従来の就労のあり方を基本になされたものですが、新しい社会においては、次のことがより大きな問題となります。つまり、社会の格差が拡大することで、社会的な価値観が一元化していってしまい、新たな価値をつくりだすことが困難となるということです。階層が分解し、最終的には二極に分かれ、しかもごく少数の勝者と大量な貧困層へと社会が分解することで、この社会はごく少数の勝者の価値へと価値観が収斂していってしまいます。そうすることで、この社会は自己革新の力を失い、新しい価値をつくりだす力を失ってしまいます。

貧困家庭の子どもも含めて、すべての子どもたちに自らの価値をつくりだす機会を平等に保障し、彼らに、仲間の力を借りつつ、ともに新しい価値をつくりだし続け、自ら貧困などの不利な状況から抜け出す力をつけさせることが、社会にとっても必要なことなのです。その上、そういう新しい多元的な価値をつくる営みの結果、一時的に社会的な格差ができたとしても、さらに挑戦して、その状況を組み換える機会をも、子どもたちすべてに保障する必要があるのです。

子どもたちの日常生活すべてが、基本的に平等に保障され、常に挑戦して、自分の状況を組み換えることのできる力を、生涯にわたって身につけることができる機会が保障されなければならないのです。

「地域コミュニティ」と「学び」の焦点化

人々の人生100年のあらゆるステージが、社会にとってはなくてはならないものとなるのです。このような社会では、高齢者は施策や対策の対象ではなく、社会の主な担い手となります。そして、人生100年時代を構想することは、必然的に、この社会の持続可能性を高めること、つまり次世代の担い手を社会総がかりで育成することを求めることにつながります。子どもたちが改めて社会的な関心の焦点となるのです。しかも価値多元的で、価値の生成と変化を基調とする社会においては、国という大きな単位の一律の価値観に支配された教育ではなく、むしろ地域コミュニティ単位の、様々な住民が様々な生活の価値を生み出して日々生活しているその現場で、子どもたちが多様な人々との間で育つことで、多様な価値を生み出し、変化させる主体として、自分をつくりあげていくことが求められます。高齢者が施策の対象から社会の担い手へとその位置づけを変化させるように、子どもも保護の対象から価値を生み出す主役へとその位置づけを変えることとなるのです。子ども自身が、将来のおとなとして期待されるだけでなく、現在の主役として尊重されることとなります。

このことはまた、子どもたちへの社会的な対応つまり教育や指導のあり方が、教え導く教育から、彼らが人々と協働して探求する学びに寄り添い、それを支えることへと変化せざるを得ないことを意味しています。事実、中央教育審議会は、すでに2015年の段階で、子どもたちの教育は学校では完結しないこと、教育を「学び」へと組み換えつつ、地域と学校がクルマの両輪のようにして子どもの育成に力を合わせること、そうすることでこの社会の持続可能性を高めること、を提唱しているのです[3]

つまり、これからの人生100年時代の社会では、「地域コミュニティ」と「学び」が焦点化される必要があるということなのです。しかも、そこでは、価値の多様性こそが社会に生命力を与えることになります。「学び」の個別最適化と「地域コミュニティ」におけるその協働が求められるのです。


[1] 内閣府『平成27年版 子供・若者白書(全体版)』、https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h27honpen/b1_03_03.html

[2] 日本財団・三菱UFJリサーチ&コンサルティング「子どもの貧困の社会的損失推計・レポート」、2015年12月

[3] 中央教育審議会教育課程企画特別部会「論点整理」、平成27年8月26日。中央教育審議会『新しい時代の教育や地方創生の実現に向けた学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策について(答申)』、平成27年12月21日。

(第3回に続く)

#1 あらゆる人が社会をつくる担い手となり得る

#2 子どもたちは“将来のおとな”から“現在の主役”に変わっていく

#3 子どもの教育をめぐる動き

#4 子どもたちに行政的な措置をとるほど、社会の底に空いてしまう“穴”

#5 子どもたちを見失わないために、社会が「せねばならない」二つのこと

#6 「学び」を通して主役になる

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