子育て・教育

【寄稿】Withコロナが予感させる不穏な未来|子どもの未来のコンパス(12)

2021.03.2

先行き不透明な現代社会において、私たちはこれからの社会をどう形づくっていけばいいのでしょうか。東京大学大学院・牧野篤教授とともに、いま私たちが直面している大きな「うねり」を分析し、未来の指針を考えます。連載「未来のコンパス」第十二編。

     

    

この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

牧野先生の連載はこちら

 


 

 

認知症患者の急増


    

ちょっと暗い話が続きます。厚生労働省の新オレンジプラン(認知症施策推進総合施策)が推計を出しているのですが、認知症患者がこれからどんどん増えていくというのです。

  

薬の開発が始まっていて、薬で予防できるし、治療できるようになるとはいわれていますが、それでも増えると考えられていて、有病率が2012年以降一定だと仮定すると、2060年には850万人、高齢者のうちの25パーセント、総人口の約9.8パーセントになります。有病率が上昇すると仮定すると、2060年には1154万人、高齢者のうちの34パーセント、総人口の13パーセント強となるという予測が出ています。

   

2060年の総人口は約8700万人ですので、こういう計算になるのですが、糖尿病などの影響で、認知症の有病率が上がっているため、その頃には総人口の1割以上が認知症になると考えられています。それで、厚労省は地域包括ケアといういい方を改めようとしているように見えます。

  

すでに、「地域共生社会づくり」といい始めていて、人々がお互いに見守ったり、支えあったりするだけでは間に合わない。先回りをして、認知症を患ったり、支援が必要であったりする人たちを受け入れて、共生していく社会をつくっておかないと大変なことになる、といい始めているのです。

  

      

厚労省の健康福祉局の中に健康福祉・地域共生社会課という課ができていて、そこに共生社会推進室という部署がつくられています。先日、そこの室長と課長が来られて、何とおっしゃったか。社会教育が大事だというのです。厚労省が社会教育をやりたいと、その場でおっしゃるのです。

  

社会教育という言葉は、皆さんには馴染みがないかも知れませんが、学校における教育や家庭における躾や教育とは異なって、地域コミュニティを基盤として、人々が自ら学んで、生活を改善していく営みにかかわる大切な営みであり、それを支援する制度なのです。

   

厚労省は、これからは地域共生社会づくりをやるのだというのです。その基盤となるところが、「出会いと学びのプラットフォーム」だといいます。つまり、福祉サイドとまちづくりサイドの二つから地域社会にアプローチをかけていくというのです。福祉からのアプローチは彼らも今までやってきたことなのですが、今後、まちづくりサイドからもアプローチをかける考えがあるのです。そこでは、地方創生の財源を使うといっていました。

   

そして、この二つのアプローチの交わりができるのですが、この交わったところが「出会いと学びのプラットフォーム」だというのです。冗談で、結婚紹介所でもやるのですか、といったら笑っていましたけれども、「出会いと学びのプラットフォーム」を厚労省がつくって、地域コミュニティにアプローチして、共生社会をつくる構想を持っているのです。

   

そこで、「これって社会教育じゃないですか」といいましたら、「そのとおりです」との返事なのです。「文科省と一緒にやらないんですか」と聞いたら、「いや、われわれがやりたい。それで、先生に話を聞きに来たのだ」と、こういうことでした。

   

厚労省自体が、こういうことを考えているのです。社会教育ではない社会教育が、社会教育の実態をつくっている感じなのです。住民は、楽しくないと動かないですよ、出会いと学びといっても、それらは組織されて、やれっていわれても、誰もやりませんよ、とお話ししたら、それは分かっている、どう楽しくかかわってもらえるのかという、より具体的なアプローチの仕方を勉強に来たのだ、といわれてしまいました。残念ですが、文科省の職員よりも熱心だと感じました。

   

すでに、教育という行政のあり方そのものが、いわゆる文部行政つまり教育行政の専管事項ではなくなりつつあるという印象です。教育とくに社会教育や生涯学習が、教育以外の行政領域から注目され、新しい社会づくりに活用され始めていて、もっといわゆる一般行政との連携や協働、さらには相互浸透が求められてきているということなのでしょう。

  
  
  

地域コミュニティが新たな社会づくりの草刈り場に


  

    

今では、地域コミュニティが政策的な草刈り場になっているように見えます。人生100年時代を迎えて、人々の生活基盤をどうするのかということとともに、これから認知症など超高齢社会における様々な問題が起こることが予測されていて、しかもすでに施設に頼ってそれらの問題を解決することが困難であることがはっきりしている以上、それらを地域コミュニティにおける新たな仕組みづくりによって解決しようとする動きが強まっているのです。その先頭に立っているのが、厚労省です。

   

しかも、他の省庁、たとえば総務省も地方創生とのかかわりで、地域運営組織を住民によって組織するように促して、住民による地域経営を考えていて、その時、公民館や社会教育の実践が重要だといい始めています。

  

国交省も、激甚災害などへの対応で、地域防災の必要を強調しており、住民自らが学んで、自助と共助を鍛えること、つまり公民館や社会教育での地域住民の災害についての学びが重要だと指摘しています。

  

内閣官房にあるまち・ひと・しごと創生会議も地域活性化のために、公民館や社会教育などでの住民の自発的な学びと地域経営の重要性を議論しています。さらに経産省までもが、子どもたちを通した地域経済活性化を考え始めています。

   

そして、文科省もコミュニティスクール事業やGIGAスクール構想、さらには地域と高校を結ぶ人材育成事業などを通して、学校と地域コミュニティとを結びつけながら、子どもたち自身が地域で活躍して、新たな社会づくりの担い手となるような筋道をつくろうとし始めています。もう、教育は学校だけのもの、教育行政だけのものではなくなりつつあるというのが、現状なのです。

   
   
   

ムーンショット型研究開発


     

もう一つ、新たな動きがあります。首相官邸の中にビジョナリー会議というものがあります。そこに、これから20年、30年後に実現する新しい技術を扱っている「ムーンショット型研究開発制度」という施策があります。

  

ムーンショット型というのは、月を射るような、難しいけれど、当たったらすごいよという技術のことで、これがアメリカの技術などを含めて25項目上がってきたのだといいます。2040年から60年頃までに実現するといわれている技術がターゲットとなっています。この実現可能性の検証作業が始まっていると聞きました。そのなかに、超高齢社会・人口減少社会にかかわるものが8項目あって、この8項目の技術を使って、超高齢社会・人口減少社会の問題を克服するのだという話になっています。

   

ところで、この技術は理系的な発想でつくられているので、文系的な観点から見て、どんな社会がやってくると考えられるのか、意見をいえといわれたのです。それで、この8つを見せてもらったのですが、「怖いですよねー」って話をしていたら、担当者に「何が怖いんですか」といわれてしまいました。それを項目だけ列挙すると、次のようになります。

   

  1. 人間拡張化技術(2050年)
  2. 移動の完全ユビキタス化(2040年)
  3. ほぼすべての人のほぼすべての行為と体験をアバター経由で実現(2040年)
  4. 高齢者のQOLの劇的改善(2035年)
  5. 予防的措置・ウエルネスを主流とする生活の実現(2040年)
  6. どこでも医療アクセスの実現(2040年)
  7. 農林水産業の完全自動化(2040年)
  8. 建設工事の完全自動化(2040年)

   

ムーンショット型研究開発制度(内閣府)
https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/index.html

   

皆さんは、これをご覧になって、どう思いますか。少子高齢化・人口減少という社会問題が解決されて、明るい未来がやってくる、いい話だ、と受け止められるでしょうか。

   

片仮名が多くて分かりにくいのですが、たとえば1番目、人間拡張化技術というのはサイボーグ化するという話です。あと30年ほどだといいます。機械や電子回路を埋め込むかどうかは別としても、すでに今、技術はあるといわれます。

  

ヘッドギアを装着して電極を外からつなげると、脳波を感知して、脳が意識するだけで、手足が動くようになるという装置や仕組みは今、すでにあるのです。それをもっと小型化して、着装できるようにすると、現在、身体が不随の人も、動けるようになるということであれば、それはとてもいい話かもしれません。

    

でもそれは、あとから述べる人工知能と生体認証技術との組み合わせによって、異なる方向に行ってしまうものなのかも知れないのです。

   

3つ目の、全ての行為と体験がアバター経由で実現するというのは、このパソコンといいますかネットワークの中にアバターという私や他の人の代理人がつくられていて、その代理人がいろいろやってくれるようになるので、あまり移動しなくても済むという話ですが、さらにいえば、いわゆる二次元平面の世界とこの三次元の世界とが融合して、新たな社会構成を取ることになるということでもあります。

   

そこでは、学校のあり方そのものが、これまでのような集団主義的なものではなくなり、個別学習を中心とした、そしてオンラインでの交流を基盤としたものとなるようにも思います。

   
   
   

N高校


   

もうすでに、こういう高校があるのです。N高校という高校、ご存じだと思います。学校法人角川ドワンゴ学園の学校で、文科省が認可していますから、ここに通うと高校卒業の学歴が得られます。

  

学校法人角川ドワンゴ学園 N高等学校HP

    

リアルな校舎を持ってはいるのですけれども、ほとんどネット上で学習を終えられる高校で、いま、わざわざ全日制の進学校を中退して転校したり、高校進学の時に敢えてこの高校を選んだりする子が増えてきて、とてもたくさんの生徒がここで学んでいます。とくに今回のコロナ禍で、生徒が急増していると聞きました。

   

なかにはアクティブラーナーと呼ばれる子たちがいて、自分でどんどん学習や探求を進めているのです。幾人かの子たちは、私たちにも連絡を取って、研究室に遊びに来たりしています。すごい子たちがいるのです、確かに。レポートを持ってくるのですが、うちの院生なんかすでにかなわないなあ、と思える子がいたりします。高校生なのですが、自分でテーマを決めて、どんどん探求していって、研究成果を出しているのです。

    

これはいわゆるリアルな生徒の事例なのですが、このN高校では、部活動とか修学旅行とか委員会活動とか課外活動とかも、全部アバターがやってくれる、というのか、アバターを使って、行うのです。

    

たとえば、e-スポーツ部があります。e-スポーツのサッカーゲームをやるとします。おとなたちは、ゲームで遊んでいるのかと思ってしまいます。でも、違うのです。自分でチームをつくらなければいけないので、各地の仲間たちに声を掛けてチームを編成することから始めるのです。

    

交渉術が必要になるのです。仲間を集めて、みんながアバターを持ってきますから、そこでお互いの信頼関係をつくったり、コンフリクトを解決したりして、チームビルディングをするのです。相手がまた、同じように11人集めてきますから、そこでゲームが行われるのです。

     

つまり、単にゲームで遊んでいるのではなくて、交渉をしなければいけない。自分の仲間になってくれと。戦術を立てなければいけない。しかも、e-スポーツもできないといけない。こういういろんなことをやっていく中でクラブ活動が成立する、こういうことなのです。このほかに、起業部・投資部・囲碁部・将棋部・クイズ研究会・美術部・コンピュータ部・音楽部・人狼部などがあるようです。

    

    

新しい学校のあり方をつくっているし、これまで既存の学校になじめなかった子たちがオンラインでつながって、新しい関係をつくり始めているという反面で、引きこもりの子たちのなかで、昼夜逆転などいろんな問題も起こっているといわれます。

   

私の知人の子も、ひきこもりだったのですが、N高校に入って、しばらくはいきいきしていたようなのですが、今や昼夜逆転してしまって、親が悩んでいます。 でも、新たな時代の流れなのでしょう。認可されていて、高校卒業できるのです。そんなことが起こっています。

  
   
    

医療も遠隔で可能に


    

     

あと下の2つ、つまり農林水産業と建設業の完全自動化はもうほぼ実現できるといわれています。農水省は、水稲の自動化実験は終わったといっているようで、今年から畑作をやるとのことでした。建築工事はほとんど自動化可能だと聞いています。

    

医療アクセスはどうかというと、厚労省は皆さんの医療データを集めています。それをマイナンバーに紐付ける構想になっているのだと聞いています。でも、しばらくたったら要らなくなるようにも思います。

   

この間、厚労省に行ったらこんなことをいわれました。私のデータがすでに集められて、データベースになっているとします。私がたとえば、過疎地に住んでいるとします。朝パソコンをぱかっと開けると、向こうからお医者さんが出てきて、これはアバターですけれども、「牧野さんおはようございます」と。で、「あ、おはようございます」なんていっていると、パソコンにはカメラがついているので顔を撮られて、「今日、顔色悪いですね」とかいわれる。「すいません。昨日ちょっと飲み過ぎちゃいまして」なんてぐずぐずいっていると、「あなた過去に肝臓やってるでしょ」とかお小言をいわれて、「しょうがないから、一服盛っておきますね」と、私の過去の既往症や今日の顔色や問診などのデータが医薬品会社に送られるのです。

   

そしてそこで、私向けの医薬品が調合されて、ドローンで飛んでくる。こういうことが想定されているのだそうです。とても便利だし、どこにいても医療が受けられるようになります。これで、もし入院とか手術が必要だと判断されれば、その病状に応じた病院が予約されて、そこに出向くことになります。これを裏返すと、薬局が要らなくなるし、薬剤師が要らなくなる、もしかしたらかかりつけ医も要らなくなるかもしれないのです。

    

しかも、すでに顔の画像から色素分析をして、脈拍を測ったり、検温したり、病気を予測したり、体調管理したりする技術はあるのです。

   

私もよく海外に行きますけれども、今、日本の出入国管理は人がやらなくなっています。パスポートの写真欄を開いて、所定の場所に置いて、ここで前見てください、と写真を撮られる。そうすると、どうぞ、行っていいですよといわれる。それで、ハンコをついてくれないので、ハンコがほしければ、人間の係官が押すからこちらへ、といわれる。

    

どうなっているのかというと、私のデータベースがあって、私の顔認証で、私が特定できるので、データベースを探っていって問題ない人間だから、通ってよいということになっているのです。それを全部、システムがやるようになるということです。そのうち、パスポートも要らなくなるかもしれません。

   

個人の医療データも国が集めていますから、私と認定されれば私の医療データが使われて、医療的な処置がなされるということになっていきます。今、マイナンバーに紐付けることが構想されていますが、顔認証で全部やれるようになればマイナンバーも要らなくなってしまいます。

  
   
   

生体認証技術とAIの合体


    

   

私が怖いですよねといったのは、こういう技術は全部、生体認証技術とAIとが結びついてつくられているからなのです。

   

今、構想されているものの一つに、デジタルサイネージつまり電子看板による個人向け広告の展開があります。今、各地の駅に急速にサイネージの設置が進んでいます。今は普通のプロジェクターのように勝手に動いていますけれども、そのうち顔認証や目の虹彩認証をして、私を特定するようになります。

   

私の好みがデータベース化されていますから、それと紐付けされて、私が動くと私の好きなものがずっとついてくるという広告が考えられていて、その実証実験が近々進められることとなるといわれています。私を特定することによって、私の目に入るところに、私の好きなものが出てきて、モノを買わせるような仕組みができるようになるということなのです。

    

この考え方は、一時、ニューロマーケティングなどと呼ばれました。個人の意志に関わりなく、ある種潜在意識というのか、思考の癖や嗜好という感覚や感性に働きかけて、考える前にモノを買うように誘導する技術だといわれたりします。

   

またたとえば、中国で実験が始まっていますが、無人のコンビニには、すでにレジすらありません。バーコードをスキャンするのではなくて、カメラがあちこちにつけられていて、それで顔認証と商品の認証をして、顔認証とアリペイとかウィチャットペイが紐付けられているので、その商品を持って出れば、そこで課金されるという仕組みなのです。

   

または、携帯電話をもっていれば、その電波を感知して、あとは同じ仕組みで、課金されることになっているそうです。この仕組みとサイネージの広告とが組み合わされると、サイネージの広告に出たものを、欲しいと感じて、すぐそこのコンビニで手に取って、出る、すると課金されているという仕組みがつくられることになります。

    

便利です。ですが、私が、これを怖いと思うのはなぜなのかといいますと、私が私であることを、私が思っていなくても、システム、つまり人ではなくて、システムが、すなわちAIがおまえだといってくれる時代がやってくるかもしれないということだからです。

   

そうなると自我とか人格とかが要らなくなるかもしれません。自我も人格も、自分は自分だと思えるような記憶に頼っていて、私たちはそれを現在まで自分は自分として一貫していると思えるように組み換えて使っていますし、だからこそ意志によって能動的に動いていると考えることになっていて、ある行為をすれば、意志が問われることになっています。

    

それはまた、その人の主体性を問うことでもあり、それを尊重することでもあります。そして、この人の意志を先に措くという考えに従って、この社会はつくられています。

    

端的には法律がそうです。何か事件があった場合に、まず問われるのは、その事件を起こした人の意志です。同じ人殺しでも、殺そうとしたのか、偶然そうなったのか、で量刑が異なります。

   

でも、そういうことが不要化するかも知れないのです。そうなると、法律などのつくられ方も変わりますし、個人の意志が問われない社会になるかも知れません。その時、私とは一体どういう存在になるのか、が問われることになります。こういうことが今から20年ぐらいで実現するといわれていて、どうしますかという話になってきているのです。

   
   
   

システムのいうとおりに生きる


    

   

つまり、システムのいうとおりに生きていれば何の問題もないけれども、システムから外れるようなことになると、危険人物であると判断されたり、私みたいにあちこちで社会の悪口をいっている人は、何かこう不満分子というのか、犯罪予備軍みたいに認定されたりしてしまうとか、そうなるかもしれないという話なのです。なんだかアニメの『PSYCHO-PASS サイコパス』の世界がやってくるかのようです。

    

今でも、街じゅうに監視カメラがついていますが、今度、携帯電話なども5Gになります。そうすると、監視カメラの数は今の24倍ぐらい設置できるようになるので、いたるところに監視カメラがつけられて、人がどこにいるかということが全部特定できるようになるといわれています。そんなことも含めて、この社会はどうなるのかという議論もしなければいけないのです。

   

人格とか自我というものをどうするのか。私たちがつくってきたこの社会のシステムそのものが根本的に変わるかもしれないということなのです。

   

しかもこれが、先ほどの認知症患者の急増という問題、つまり記憶を失い、自我が曖昧になる人々が増えていく社会のあり方と重なるのです。そこでは、人の主体性という私たちの存在の根拠であり、この社会をつくっている基盤である考え方が、一挙に異なるものへと組み換えられてしまいかねない、つまりすべてシステムであるAIに委ねておけという社会になりかねないのです。私たちはこういうことまでをも、考えなければならない時代に生きているのです。

   

といったら、脅し過ぎでしょうか?


    
    

 
   

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連載:子どもの未来のコンパス

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#2 東日本大震災から学ぶwithコロナの中の自由

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#6 Withコロナが再び示す「社会の未来」としての学校

 Withコロナが暴く学校の慣性力

 Withコロナが問う慣性力の構造

 Withコロナが暴く社会の底抜け

10 Withコロナが気づかせる「平成」の不作為

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#12  Withコロナが予感させる不穏な未来

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