仕事・働き方

【ホテル国際21常務取締役総支配人 加藤久美子さん】芸能マネージャーから女子プロサッカーチームまで…人を輝かせ、自分が輝く生き方

2022.12.2

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加藤久美子さんは、大手芸能事務所で13年、タレントや俳優の魅力を見出し、売り出すマネージャーとして力を発揮してきました。現在は株式会社本久のグループ傘下にある「ホテル国際21」で総支配人を務める傍ら、女子プロサッカーチームをサポートするなど、新たなチャレンジを続けています。異なる業界で、明るくポジティブに“自分力”を発揮し続ける原動力について伺いました。

 


 

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加藤久美子(かとう・くみこ

長野県出身。大学卒業後、芸能事務所のアミューズに就職。吉高由里子さんのマネージャーを8年間務めてブレイクに導いた。2015年に地元の長野に帰郷し、元長野市長の加藤久雄氏の選挙活動を支えながら地域振興にも携わる。その後、建設資材販売などを手掛ける株式会社本久に入社。「ホテル国際21」で営業本部長を務めた後、今年からは総支配人を務める。2021年秋に開幕した女子プロサッカーリーグ「WE(ウィー)リーグ」のAC長野パルセイロ・レディース(長野市)では取締役レディース本部長 として、地域密着活動を支えている。

ホテル国際21公式サイト:https://www.kokusai21.jp

 

「人を輝かせる」マネージャー業に就くまで


  

――どのようなことがきっかけで、芸能事務所のマネージャーの道に進んだのですか?

 

東京の大学に進学したことが一つのきっかけだったと思います。昔からドラマが好きで、ドラマに関わるお仕事をしたいと思っていて。東京には芸能事務所が集まっているので、大学卒業後に新卒でアミューズという芸能事務所に採用してもらいました。

 

今考えれば、ドラマを制作するお仕事も面白そうだったなと思うのですが、当時は好きな俳優がいるというだけで、あまり深くは考えていなかったです(笑)。

 

――就職する際に、他の業種は選択肢になかったんですか?

 

実家が「株式会社 本久」という、長野に本社を置くグループ会社を経営していて、建設業やレジャー業、外食事業やホテル業などを手掛けています。家族経営で、いずれは姉とともに後を継いでほしいと期待されていました。

 

父からは「大学卒業後、3年で長野に帰ってこい」と言われていましたが、東京での毎日が楽しく、マネージャーの仕事を始めてからは長野に帰るつもりはなかったです。

 

 

 

マネージャーとして俳優のブレイクを支えた


 

――マネージャー業では俳優のブレイクを支え、会社を辞める際には特集号が出るほど、業界では有名なマネージャーになっていたんですよね。

 

今でもそのように話題にしていただいて恐縮です。

 

マネージャーはスケジュール調整や現場についていくだけでなく、その本人の魅力を売り出していくお仕事です。一人のマネージャーが何人かのタレントや俳優を掛け持ちしていて、新人から大御所の俳優さんまで担当させていただきましたが、いい方々に巡り会えたことが、仕事がうまくいった理由の一つだと思います。

 

どのオーディションに出すか、どんなタイミングで、どんな作品に出すかなどいろいろな選択肢から何を選ぶかが重要で、アンテナを張って情報収集をしていました。

 

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マネージャーとして俳優のブレイクを支え、業界では名の知れたマネージャーとして活躍した

 

――タレントの才能を発掘して、生かす上ではどんな要素を大切にされていたんですか?

 

芸能界では歌手、俳優、タレント、モデルなど、才能を発揮できる場所が人によって違うので、その人によってどんな売り方をするのかを見極めます。歌手が役者に挑戦する時もあるので、その売り出し方やタイミングは難しいと思います。

 

ホテルのコンシェルジュ的なイメージで、担当したアーティスト本人の要望にはできるだけ答えるようにしていましたし、何かお仕事のチャンスがあって「面白そうだな」と思えば、畑違いの仕事でも本人に提案して、チャレンジしてもらっていました。また、キャラクターを知る上では、オフの時が一番その人の本性が見えてくると思うので、仕事以外の振舞いもよく見ていました。

 

吉高由里子さんの場合は、元々お芝居に並外れた魅力があったんです。マネージャーを担当することになったのは、まだブレイクする前でしたが、彼女が出演した単館映画の試写会を観たときに、生まれて初めてする演技とは思えないほど素晴らしいと感じました。それまでいろいろな作品を見ていたのですが、あまりにも自然な演技で、ドキュメンタリーを見ているような感覚になり衝撃を受けました。

 

――それが才能の原石だったんですね。ただ、現場についていくだけでなく、スケジュール管理や営業もされていたんですよね。かなり忙しそうです。

 

そうですね。「24時間、アーティストは生きている」と言われたことがあります。実際にどんな時でも電話に出ていました。営業ではいろいろな台本を読んで、どのアーティストがどの役に合うかを考えたり、プロデューサーから次の作品などの情報を仕入れたりしていました。

 

休みはほとんどなかったような記憶ですが、仕事を通じて友達もできましたし、人付き合いも楽しんでいました。13年間は、あっという間でしたよ。

 

――13年間! それだけ長い間、様々な作品に携わる中では苦労もあったのではないですか?

 

そうですね。才能の塊のようなクリエーターの方々と仕事ができるのは刺激的でしたが、そういう人たちに向かって意見をしなければいけないこともありました。より良い作品にするためにいろいろと提案して頂くのですが、こちらの視点やイメージと違って、意見がぶつかることもありました。

 

伝えたいことの一部だけを切り取られる場合もあるので、守らなければいけないところや、譲れないところもあります。ただ、私は声が大きくて、自己主張も強い方だったと思います。プロデューサーからリモコンを投げつけられたこともありますよ(笑)。

 

――現場の緊張感は凄そうですね…。そんな激務を24時間続けていて、「休みたい」と思うことはなかったんですか?

 

休めなくても、「一生懸命やっている」という感覚はなかったですね。会社のストレスチェックの数値が「ゼロ」だったこともあるんです。「ゼロは初めて見た」と言われましたが(笑)。

 

――それは理想的ですね。頭をどのように切り替えていたんですか?

 

もともと家にいるよりも外にいる方が楽しいですし、暇な時間が苦手で、ぼーっとしたことがないんです。映画やライブを見たり、文章を読んだり、音楽やラジオニュースを聴いたりしている時に「これができるかも!」というアイデアが浮かんでくるんですよ。

 

マネージャーをしていた頃は、仕事から家に帰ると、地上波すべてのテレビ局のドラマを全シーズン見るのが日課でした。どのプロデューサーがどんなドラマを作っているのかをチェックするためです。ドラマは私の原点ですが、仕事になってからは「好きなもの」として見られなくなってしまって、辞めた後、しばらくはドラマを一切見なかったのですが(笑)。

 

――とことんやり尽くしたんですね(笑)。マネージャー業のどんなところが、自分に合っていたと思いますか?

 

人のために何かをするのが好きで、世話を焼きたいタイプなんだと思います。

 

お給料も高いわけではなかったし、休みも十分にとれないので割に合わないと思うかもしれないですけど、担当したアーティストから「今日もありがとう」と言ってもらえるだけで、「今日一日働いてよかったな」と思えるんですよ。

 

 

 

13年目で異業種に挑戦


 

――2015年にマネージャーを辞めて帰郷されたのは、何がきっかけだったんですか?

 

マネージャーとして13年間がむしゃらに仕事をしてきたので、「誰かのため」だけでなく、自分のために生きたいという思いもありましたし、親戚からは「いつ帰ってくるんだ?」と言われ続けていました。

  

20代でバリバリ仕事をしていた頃は「帰りたくなるわけない」と思っていたんですが、35歳ぐらいの時にふと、長野に帰りたくなったんです。きっかけは、70歳だった父が長野市長選に出馬したことでした。

  

30代に入ってから、「これから新しいことをやるなんて無理だろうな」と思っていたんですが、70歳の父が政治の世界にチャレンジする姿を見て、「新しいことは何歳になってもできるんだ」と勇気づけられて。頑張る父のキラキラした姿を近くで見たいと思い、長野に帰ってきました。

  

――大きな決断ですね。新しい世界に飛び込んで、仕事にはすぐに順応できたんですか?

  

選挙活動の手伝いをする中で、最初の頃は、「そんな高いハイヒールはやめてスニーカーにしなさい」と言われたりしていました(笑)。ただ、いろいろな人に助けてもらいながら仕事をする中で、「私もここで仕事ができそうだな」と思えたんです。

  

その後は実家の株式会社 本久に入社して、総務や事務などの経験を積みました。また、長野青年会議所(https://nagano-jc.or.jp)に入会したことで人脈を広げ、2019年に「第49回長野びんずる」という夏祭りの事務局長を務めました。

  

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実家のグループ企業に勤めながら、街づくりにも積極的に携わる

  

――街づくりにも精力的に携わったのですね。

 

ええ。その後、グループの「ホテル国際21」に移り、企画広告宣伝部でホテルの企画を担当しました。それからは営業本部長になり、あれよあれよという間に総支配人になりました(笑)。

 

――鮮やかなステップアップですね。会社員を経験し、今は総支配人としてどんなことにやりがいを感じますか?

 

本社勤務の時は社内報の企画を考えて、デザインや配置を考えるときなど、自分の色を出せる部分なので楽しかったです。数字は得意ではないので、総務の仕事は不向きでしたが(笑)。

 

今は経営の観点から数字を見る立場になり、優秀な仲間に助けられながら仕事をしています。コロナ禍で、売上などが左右されるストレスはありますが、仲間が楽しく働けているのか、彼らの家族が幸せになるためにはどうしたらいいのか、ということも考えます。以前は自分の生き方だけを考えればよかったのですが、今は責任があるので、人の人生が気になりますね。

 

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ホテル国際21は長野の名門ホテル

 

――ホテル業の傍ら、2020年からは女子プロサッカーの「WEリーグ」でAC長野パルセイロ・レディースのサポートもされていますね。

 

はい。WEリーグは、設立意義の一つに「日本の女性活躍社会を牽引(けんいん)する」ことを掲げています。長野はリーグ参入に立候補したので、第49回長野びんずるの事務局長などを務めたことと、マネージャーの経歴を評価していただき、「プロリーグ準備室長」という役職でオファーをいただきました。女性取締役が少なかったなかで、一石を投じることができたのではないかと思います。

 

参入が決まってからは、取締役レディース本部長としてチームに関わっています。選手たちの活躍に憧れてサッカーを始める女の子が増えるといいなと思いながら仕事をしています。

 

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女子プロサッカー選手たちを輝かせる仕事にもチャレンジしている(C)2008 PARCEIRO

 

――具体的には、どのような業務をされているんですか?

 

WEリーグの理念推進担当で、具体的には地域の方に応援していただけるようにチームや選手を知ってもらい、スタジアムに足を運んでもらう方法を考えたり、収支が拡大する方法を考えたりしています。

 

マネージャー業で培ったことを生かして「選手を輝かせる」こともサポートできたらいいなと思っているのですが、なかなか苦戦しています。たとえば俳優なら「アクション俳優になりたい」という目標があったら、それに向かって頑張る道筋を作りますが、プロサッカー選手は、試合に出場し、サッカーのプレーで輝くことが最も重要ですから。

 

選手たちはみんな、食事や体づくりなどに気を遣っているプロフェッショナルです。とはいえ、応援してくださる人を増やすためには、もっと地域の皆様に知ってもらってファンになっていただく必要があります。社会人としての人間力や、人との関わり、地域との関わりを高めていくことが大切だと思いますし、自分のできるサポートをしていきたいです。

 

――芸能界や政界、ホテル業界など様々な業界でお仕事をされてきて、今度はスポーツ界ですか! 知らない世界に飛び込むことに抵抗はなかったですか?

 

それはなかったですね。最初は男性の中に一人入って、「サッカーも知らないのに何しに来たんだ?」と思われていたと思いますが(笑)。私自身は、そういう形でポツンと違うコミュニティに入って目立つことには慣れているんです。

 

青年会議所では新入会員60人の中に女性一人でしたし、ホテルの経営者が集まる会合でも、女性はまだまだ少数派です。サッカーももっと多くの女性が輝けるスポーツになってほしいですし、同じようにいろいろな業界で女性の社長が増えるといいなと思っています。

 

――逞しいです。どんな場所でも楽しく仕事をするためにはどんなことが必要だと思いますか?

 

私の場合は、困った時に助けてくれる人を見つけることが得意だと自負しています。わからないことは得意な人に聞いたり、任せられるところはすぐに任せますから(笑)。

 

学生時代のアルバイトもそうでしたけど、一つのことをやると長く続くんですよ。その仕事が楽しくないからといって職場を変えるのではなく、何をやっても楽しめるような環境を作るようにしてきました。

 

 

 

100歳まで元気に仕事をしたい


 

――今の仕事をしていて、幸せを感じる瞬間はどんな時ですか?

 

企画した商品をお客さんが買ってくれて喜んでくれた時や、感謝の気持ちを伝えられた時はすごく嬉しいですね。「人に喜んでもらう」という点では、マネージャーをしていたときと同じかもしれません。

 

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明るい声とチャーミングな笑顔がトレードマークの加藤さん

 

――今、目標にしていることはありますか?

 

人を喜ばせることもそうですが、驚かせることも好きなんです。私はもともとホテル業界出身じゃないので、「ホテルはこういうもの」という概念がなかったんです。だから、「そういうことをするの?」と人を驚かせるアイデアを実現したいですし、そのためのネタをいつも探しています。

 

そうやって、100歳まで元気に仕事をしたいと思っています。プライベートでは今、ゴルフに挑戦しています。ゴルフの先生から「芸は身に付けておけ」と言われて、休みがあれば練習に行っているので、上達したいですね。

 

――いろいろな目標があるんですね! 最後に、夢中になれるものを見つけるためのアドバイスがあればぜひ、お願いします。

 

私は、いつも自分が“ときめく”選択をしてきました。たとえば、レストランでメニューを見るとき、「コーヒーにしようかな、それともオレンジジュースにしようかな」という場面でさえ、妥協はしないようにしてきました。

 

だから、最初から「人生どうしよう?」と大きく考えずに、まずは日々の生活の小さなことから、「自分は何をしたらときめくかな?」と考えながら、ちょっとずつ進んでいけば、本当に好きなものや、やりたいことが見つかるんじゃないかな?と思います。

 

――ありがとうございました。これからのご活躍にも期待しています!

 

 


 


 

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この記事を編集した人

ナカジマ ケイ

スポーツや文化人を中心に、国内外で取材をしてコラムなどを執筆。趣味は映画鑑賞とハーレーと盆栽。旅を通じて地域文化に触れるのが好きです。

 
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