新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2021.04.26
1985年7月11日生まれ。島根県松江市出身。バスケットボール選手。ポジションはフォワード。松江東高校、青山学院大学を経て、2008年パナソニックトライアンズ(パナソニック株式会社)に入社。 JBL 2008-09ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞する。2009年、ユニバシアード夏季大会、第5回東アジア競技大会にて日本代表に選出。2013年、パナソニックトライアンズの休部を受け、日立サンロッカーズ東京(現 サンロッカーズ渋谷)に移籍。以後、第90回天皇杯全日本総合バスケットボール選手権大会優勝(2015)、B.LEAGUEスティール王の獲得 (2016-2017season) など、10年以上日本のバスケットボール界のトップ選手として活躍している。
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――広瀬健太さんは10年以上活躍されるベテラン選手ですが、バスケットボールを始めたきっかけは何だったのですか?
小学4年の頃、近所の仲良くしていたお兄ちゃんに誘われたのがきっかけです。
ぼくが通っていた小学校では4年生からクラブ活動があるのですが、バスケ部かサッカー部に入りたいと思っていました。どちらにしようか考えていたところ、「背も高いし、運動神経もいいから、バスケに向いてるよ!」と言われ、好きなお兄ちゃんがそう言うんだったら、とやってみることにしました。
――特別なことはなく、ささいなことがきっかけだったのですね。バスケやサッカーに興味を持っていたのは理由があるんですか?
父親がレスリングの元国体選手で教室を運営しており、ぼくも4歳からレスリングをやっていました。レスリングは個人競技なので、何かほかのスポーツをやるなら、チームプレーのものがいいなと思っていたんです。
中学3年まではレスリングとバスケの両方をやり、しだいにチームで戦う楽しさが増していったことから、高校以降はバスケ1本に絞るようになりました。
――以来ずっとバスケ人生を歩まれてきたわけですが、ずばりバスケットボールの魅力は何でしょう?
バスケットは、ボールを投げる・走る・跳ぶなどいろんな要素が入っていて、動きが連続するスポーツです。そのため、同じチーム・対戦相手でも毎回ちがったシチュエーションを味わうことができます。何度やっても新鮮な気持ちになれるのが魅力的な点ですね。
また、「ここでこのフォーメーションを活かす」「ここから次の動きを読む」といったように瞬時に判断して勝ちに行くのも楽しいところです。
屋内スポーツで選手とお客さんの距離が近いのも魅力的なバスケットボール。白熱した場面では会場の一体感が楽しい。
――何回やっても毎度ちがった発見があって楽しい、それはハマりますよね。プロになることはすぐ意識したんですか?
そうですね。幼い頃からレスリングで体を動かしていましたし、スポーツ選手になれたらいいなという気持ちはありました。
はっきり意識し始めたのは大学3年の時です。大学のOBでこの世界で活躍している方々がいらっしゃったので、自然とプロの道を考えるようになりました。
それまでは目の前の練習しか頭になかったんですが、意識してからは「チャンスがあるんだったらチャレンジしよう」というマインドになっていました。
――バスケット選手という職業で生きていくことは、人とはちがう道を歩むことだと思います。迷いやためらいはなかったんですか?
なかったです。 気がついたらバスケがすごく好きになっていましたし、プロになりたい、なりたい、と思い続けていたからかなと思います。
具体的にプロ入りの話があった時も、「このためにがんばってきたんだから、今こそやるぞ!」という気持ちで、ためらうことはありませんでした。
――小学生でバスケを始めた時からプロになるまでずっとやる気がみなぎっていたんですね。そのモチベーションが途切れたことはないんですか?
そうですね、ありますよ…チームがなくなった時です。
2013年に、所属していたパナソニックトライアンズが休部することになり、その時は大きなショックを受けました。
プレーできる場がなくなってしまうなんて思いもしなかったですから、めちゃくちゃ落ち込みましたね。高校から大学、大学からプロと、とんとん拍子にうまく進んできたこともあって、なかなか立ち直ることができませんでした。
――その後すぐに現在のサンロッカーズ渋谷に移籍されていますが、気持ちの切り替えは難しかったですか?
自分が移籍した頃のサンロッカーズはメンバーを再編したばかりで、チーム状況が整っていませんでした。勝てない、思うようにプレーできない日々が続き、どんどんモチベーションが下がっていきましたね。
自分のことだけでなく、まわりの環境とかも思い通りにいかない。文字通り「挫折」を味わいました。
――好きなバスケで成果が出せず、楽しくもやれない。苦しいですよね。
正直、「もうやめようかな」が頭をよぎったこともありました。腐っていましたね。オフシーズンには実家に帰ったんですが、その時もまだモヤモヤしていて。
でも、物理的にバスケから離れたのがよかったのか、かえって客観的に自分のことを見れるようになったんですよね。
「今自分はどん底まで落ちている。ここからはもういいや、開き直るしかない」
そう思えるようになりました。今まで頑張ってきたんだし、また思い切りやってみようと。いわば「当たって砕けろ」ですね。そうやって動き出したことによって、その後の運びがよくなっていった気はしています。
ケガにより再び思うようにプレーできない体験を味わった。この時も「できなくて当たり前」「 シュートが入らなくても自分が悪いんじゃない。膝が悪いから」 と開き直って乗り越えた。
――挫折体験や今までの経験を振り返って、「やる気が出ない」という人にはどんなアドバイスをしますか?
誰しも、なかなか次にいけないって調子の時がありますよね。ぼくの場合、そういった時は、「もしこのまま何もしなかったら」「ここで怠けてしまったら」と先のことを想像してみています。
そうやって考えて行き着くのはだいたいいつも、「やらなかったらきっと後悔するだろうな」なんです。だからやろうという気になる。後悔したくない気持ちからやる気を出しているんです。
みなさんも「もしやらなかったら」をちょっと想像してみてはどうでしょうか。
――後悔するくらいなら動こう、ということですね。
ぼくは若い時から練習など何事にも全力で挑んできましたが、時には思うようにやれなかったこともあります。その度にやれなかった自分をとても悔しく思いました。
大なり小なりそういった経験をしてきたので、「まず動こう」と自分を鼓舞するようにしています。
――昨年はコロナでやる気がそがれる場面も多かったのではないかと思います。選手として今後のことをどのように考えていますか?意気込みを教えてください!
一人ひとりの努力とまわりの方々のサポートがあって、おかげさまでチーム全員健やかに過ごせ、大好きなバスケに打ち込めています。まずそのことに感謝したいと思います。
そしてこの調子で全員そろって今シーズンをやり切りたいです。
勝ち負けはもちろん試合ごとにありますが、やるべきことをやって後悔せずみんなで戦い抜きたいと思っています。
――広瀬選手個人の目標というよりチーム全体の目標ですね。「チーム一丸となって」という気概を感じます。
そうですね。最初の話に通じますが、バスケットボールはチームプレーのスポーツです。メンバーがそれぞれの役割をこなし、全員で勝ちに行くのが楽しいところ。
試合を観てくださる方々にはぜひその様子を楽しんでもらいたいですね。自分たちも「このチームはチームで戦うことを大事にしている」というのが伝わるように動いていきます。
――今後もトップ選手として輝く広瀬選手、一人ひとりのやる気をチームのやる気へ繋げていくサンロッカーズを楽しみにしています。 ありがとうございました!
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この記事を編集した人
ほんのまともみ
やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。