新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
生活・趣味
2024.02.20
アート大福(あーと・だいふく)さん
1979年、栃木県生まれ。東京で美容関連の仕事を経て、結婚を機に山形県へ移住。こけし工人・梅木直美さんのアクセサリーをプロデュースし、自身で販売用のこけしケースを制作。それが東京のSHOPオーナーの目にとまり、2017年2月より張り子作家に。絵本や絵画からそのまま出てきたような立体物を張り子や陶土で制作。独特の世界観が支持され、店頭に並んだ作品の多くは即完売。2023年12月には新宿眼科画廊にて東京での初個展「コンニチハリコ ArtDaifuku個展」を開催。yumenoの名称でも活動を行う。お笑いトリオ「森三中」の大島美幸さんとは小学校からの親友。
公式サイト :https://www.artdaifuku.com
X(旧Twitter):https://twitter.com/daifukuyumeno
Instagram :@artdaifuku
――東京での初の個展、ご成功おめでとうございます!絵本のように不思議で可愛い作品ばかりで、見ているだけでワクワクしました。
ありがとうございます!私も楽しかったです。
――ものすごい数の作品が展示されていましたが、何点くらい作ったのでしょうか?
開催ギリギリまで作っていたので数えられなかったのですが、漆塗りの作品が176点、通常のカラフルな張り子は、2ヶ月半で500個くらいつくったと思います。
――2ヶ月半で500個も!?
追い込まれると力を発揮するタイプというか(笑)。1個もつくれない日もありますが、つくれるときは1日100個くらい平気でつくっちゃいます。アイデアがどんどん出てきて尽きることがないです。
――すごいですね。小さい作品もたくさんありますが、1つひとつ違っていますよね。
そうですね。ミニチュア作家とは言ってないですけど、チマチマしたもので、ストーリー性をつけるのが大好きで。小さいとつくるのも大変ですし、小さくする意味もないのですが、とにかく可愛いものをつくりたくて。私のつくり方は、頭の中に浮かんだものを直感的にどんどん形にしていくんです。
たとえば、これはお遍路参りの張り子です。お遍路って普通は地上でしますけど、それだと気難しいイメージになってしまうので、いっそ天上に行っても良いのではないかと。天上にお遍路に行くときのオシャレとしてキノコを描いて、天上世界にもキノコが生えていても良いかなと思って。
これは、カッパが「リンゴに硬いパンを噛ませれば、口を開いたままだから、リンゴの中でバカンスができる」と思ったものの、パンを噛ませすぎてバカンスができなくなってしまった…という連続したお話をイメージしていますけど、みんなに伝えたら誰にも理解されませんでした(笑)。
――あはは。どの作品も可愛いですが、個人的なイチオシは、もふもふした耳の怪獣でした。
この子、人気でした!うさぎちゃんのモンスターです。私はうさぎちゃんをつくることが多いのですが、このときは作業部屋が寒かったんです。だから耳に暖かいものを巻いています(笑)。
――うさぎだったのですね(笑)。でも歯や爪も生えていて、ちょっと怖いかんじもありますよね。
そうですね。張り子は基本的に縁起物なので、地域を代表する鳥とか獣とか、あるいは招き猫とかだるまみたいな可愛らしいモチーフが多いですけど、私はバケモノもチャーミングに思ってしまうタイプで。バケモノは人から理解されるのに時間がかかるので、最初は「歯があるぞ、怖い〜」と感じるかもしれないのですが、「よくよく見たら可愛くなってきちゃったな〜」と、後からじわじわ来てもらえたら嬉しいなって。私自身も少し変わっていたからか、よくバケモノと言われていましたし(笑)。
絵本や昔話では「山に鬼がいて怖いけど、実は優しい鬼」とわかるのは物語の終盤ではないですか。私はそれを終盤にしたくないというか、「いい子だよ」と早めにわかるようにしたくて。このうさちゃんも怖いような気はしますけど、チャーミングなモンスターです。よく見ると可愛いですよね?
――可愛いです(笑)。大福さんが特に気に入っている作品は?
つくったものは、すべてお気に入りなので選べないんですよね…。うーん、たとえばハートちゃんとか。私はアイデアを思いついたら何も描かずにどんどんつくり始めちゃうんですけど、これは最初にイラストを描いて、同じ形の張り子をつくった初めての作品です。
目もハートになっているのは、「好き」を表していて。たとえば、わんちゃんとか猫ちゃん、お子さんを可愛いと思ったら、その人の瞳はそれしか見えなくなりますよね。目もその子になるし、匂いを嗅ぎたいと思ったら鼻もその子になる。骨まで愛したい。そんな気持ちも込められています。たとえば、この「Crazy Heart」と同じ表現しているのが、四角い犬の「Pero」(ペロ)ですね。
ペロちゃん大好きで(笑)。個展の納期がどんどん迫ってきて辛かったときに、ペロの顔を見たら辛くなくなったんですよ。笑っちゃって。作品は辛いときも笑わせる力があるのだと思いました。
――作品づくりで、いつも大切にしていることは?
最初に私の作品を「絵本みたい」って言ってくださいましたよね。その言葉、すごく嬉しかったんです。私は「作品1つで絵本」みたいな表現ができたらなと思っていて、いつもそれを心がけています。
もう1つは、とにかく可愛いもの。さっきのうさぎちゃんのモンスターみたいに“私が思う可愛さ”にはなってしまいますが、可愛さはとても大切にしています。
それから、くすっと笑えるもの。見てくれた人に、笑って楽しい気持ちになってほしい。だから性的描写とか暴力的なものとか、誰かの心を傷つけたり、悲しませるような作品にはしないように気をつけています。平和に争わず、優しい気持ちになって、幸せな世の中になってほしい。「何がなんだかわからなかったけど、面白かったね」と言ってもらえるような作品をいつも目指しています。
私の場合ですが、張り子は楽しい気持ちになったり、自分を鼓舞してくれたり、ひとりぼっちのときに話しかけたくなる相棒だと思うんです。パートナーに元気がなかったら、自分も元気がなくなってしまいます。私の作品をパートナーにしてくれた方には、みなさん幸せでいてほしいんですよね。
だから名前も「アート大福」なんです(笑)。言霊じゃないですけど、口から発する言葉は身体にも影響があると思うのですよね。たとえば私の名前が「ダークネス」だったら、それを口にしたら、その人も暗くなってしまうかもしれない。「大福さん、大福さん」と口にしていれば、大きな福がやってくるかもしれない。なので「アート大福」という名前に恥じない福々しい作品づくりを目指しています。
――これまでの歩みも聞かせてください。子どもの頃から何かをつくるのが好きだったのですか?
大嫌いでした(笑)。絵を描くことも、勉強も、運動することも全然うまくいかなくて。絵本をつくるという授業があったときも、どうしても描きたくなくて、描きかけの絵を焼却炉で燃やしたこともあったくらいです。みんなが絵を描いている中で1人だけ何もしないで、ただ授業中に座っていました。なんでそんなことをしたのか、自分でもよくわからないですけど、好きなものは何もなかったです。
――部活は何を?
小学校はソフトボール、中学校はバスケットボールでした。でも、ものすごい田舎にある生徒が少ない学校だったので、帰宅部が禁止になっていたから仕方なく入っていただけで、小学校でも中学校でも補欠でした。高校は美術部でしたが、先生がやる気なくて、絵も教えてくれなくて。なぜか文鎮をつくれって言われて、鉛で文鎮をつくったりしていました。
――それが創作活動の原点になった?
それはないです(笑)。本当に何も考えていないというか、ものをつくる仕事をしてみたいと思ったこともなかったです。高校卒業後は、山野美容専門学校という美容師の学校に行って美容師になりました。このときは、自分がきれいになりたかったんだと思います。ただキラキラしたかったのかも。
あと、親友の「森三中」の大島美幸ちゃんが高校卒業後に吉本興業に入ったんですよ。もう1人の親友も服飾の学校に入ったので、私が美幸ちゃんの髪をやって、もう1人の親友が服をつくるみたいな淡い夢を抱いていたのですが、全然違くなりました(笑)。
――大島さんは、いつからのお友達だったのですか?
小中高です。一緒に東京に出てきて、もう1人の親友と3人で仲が良くて、今でも会っています。美幸ちゃんは、今回の個展の下見にも付き合ってくれて、ロケ帰りでとても忙しいのに個展の最終日にも見に来てくれました。
――素敵な関係ですね。では、東京ではずっと美容師を?
向いてなかったので、すぐに辞めて、その後はダンサーさんの髪を編むドレッドヘアの仕事を単発でして、それも飽きて、化粧品メーカーの仕事をして、それも辞めて、下着の仕事をして、それも辞めて、足つぼの仕事をして、そこで美容関係の仕事をしていた夫と出会って、結婚。夫の仕事の都合で東北の地に来ました。なので、いろいろやりましたが、つくる仕事は一個もしてないです(笑)。
――では、どんなきっかけで張り子作家になったのでしょうか?
山形に来てからも、何も考えていなくて。知り合いもいないし、ただの主婦みたいなかんじで、ただ漠然と暮らしていましたが、私は蒐集癖があって、こけし、民芸品、作家の人形など、とにかく集めるのが大好きで。あるとき、自分の好きなこけしでアクセサリーをつくれないかなと思って、いろいろな工人さんに電話をかけてみたら、山形在住のこけし工人・梅木直美さんが話を聞いてくださって。
それで梅木さんのこけしでアクセサリーをつくらせていただいて、それを入れる箱を探したのですが、その方の作品に似合う可愛い箱がなかなか見つからなくて。すごい人気の工人さんでしたし、私はその方を崇めていたので「だったら自分で作ってみよう」という発想で作ったのが張り子の箱でした。ぱかっと開けたらこけしが見えるマトリョーシカみたいな箱を、見よう見まねでつくってみました。
――本当にまったくの独学からスタートされたんですね。
そうなんです。とにかくやってみようと。ただ、商品としてつくってみたものの販売については何も考えていなかったので、まずは通販からスタートして、今後どうしようかなと思っていたときに、親友の大島美幸ちゃんが古今東西雑貨店イリアスという東京の谷中にあるお店を紹介してくれて。厳密にいうと、オーナーに連絡はしたものの、2人で急に押しかけたようなものだったのですが(笑)。
オーナーさんに箱を見せたら「形がユニークで面白いからミニ個展をしてみない?」と言われまして。「張り子の箱だから、お正月シーズンにちょうどいいんじゃない?」って。
雑貨店の一角で行う本当に小さな個展でしたが、お正月まで2〜3ヶ月。準備期間がそれしかなかったら、普通はやらない人の方が多いと思います。でもなぜか根拠のない自信が出てきて「やれない、ということが嫌なので、やります」と言ったんです。やりますと言っちゃったからには、やらないといけないし、1個や2個じゃつまらないから、100個くらい張り子をつくって並べました。
――たった2〜3ヶ月で100個も!?
売れる・売れないはともかく、たくさんあったほうが面白いかなって(笑)。「できない自分」より「できた自分」でいたかったので、できて良かったです。これが張り子作家としての始まりでした。
――では、そのミニ個展をきっかけに、どんどん作品をつくるように?
そうですね。「面白いね」と言ってくれた人もいましたし、売れなかったとしても燃え尽きたいから、「言われたものは何でもやります」「お仕事の依頼があればやります」みたいなかんじで、断ることはしたことがなかったです。企画展の参加に声をかけていただいたり、どこかで私の張り子を買って「可愛いかったから取り引きしたいです」と言っていただいたり、とにかくありがたい声ばかりでした。
――いきなり売れっ子になってしまったわけですね。
全然そんなことないです!取引してくれるお店あってこそ。お店にファンが多い取引先に置いてもらえて、そのお店の人が「いい」とお勧めしてくれているってことはあったと思うんですけど、売れっ子と思ったことは一度もないです。この世界には、手の届かないスターみたいな方がたくさんいますから。それでも、どこで見つけてくれたのか、本当に偶然、ほかにも人気作家さんがたくさんいる中で、私みたいな変わり種に声をかけてくださる方もいますので、ご縁を感じながら感謝の気持ちでずっと納品してきました。
作家活動を始めて今年で7年目。張り子だけでなく、陶器、水墨画、アクリル画、あと職人さんとのコラボレート作品、たとえば創業300年の漆器専門のお店「本家 長門屋」さんとの漆の張り子だったり、山形市で90年続く表具店「秋葉春光堂」さんとの掛け軸だったりいろいろと自由につくらせていただいています。漆の作品の桐箱は、昭和5年創業の「有限会社よしだ」さんにフルオーダーですし。いろいろな方々に支えられて楽しい気持ちで制作ができています。
――すごく不思議なのですが、なぜまったく未経験から独学で始めて、いきなり張り子作家として活躍し、独創的な作品を次々に生み出せるようになったのでしょうか?
アイデアに関しては、小学校のときの体験が大きいかもしれないです。好きなものは何もなかったとお話しましたけど、1つだけずっとやっていたことがあって。図書室の本を全部見るってことをやっていたんです。図書室といっても、すごい田舎のめちゃめちゃ生徒が少ない学校だったので、教室の一角が本の部屋みたいになっていただけですけど、そこの本を端から全部見ることを目標にして学校に行っていました。漢字も読めないから、とりあえず絵だけ見ることを6年間ずっと続けていて。
最初は『ファーブル昆虫記』みたいなイラストがある本から始めて、すごく難しい本まで、とにかく全部見ました。そのときに見たイラストとかイメージの残像が多少なりともずっと頭の中に残っているので、今こういうものをつくれているのは、そのおかげかなと思っているんです。字の読めない難しい本が続いた後に、オバケとか妖怪とかが出てくると「面白いの来た!」ってテンションの上がり方が異常でしたから。
――どうして図書室の本を全部読もうと思ったんです?
他に趣味がなかったからだと思うんですけど、「やってみよう」と思ったことに対して「やらない」という選択肢がわからなくて。幼少期の頃からずっとそうでした。
たとえば、電気のコードをハサミで切ったらどうなるか気になって、本当に切って、感電しそうになったこともありました。危ないので絶対に真似しないでくださいね。とにかく気になったこと、やりたいと思ったことをやらずに済ますことが嫌いだったみたいです。
――「やってみたい」と思ったら、とにかく「やってみる」。
はい。やったことがなくても、張り子の箱をつくってみる。2〜3ヶ月で100個とか500個つくるのも、やってみる。だから「やってみない」より「やってみる」を突きつめ続けてきたからですかね。 やってみたいと思ったら、自分で見て、触って、感じてみる。とにかく体験して楽しかったことを積んでいく。「やれない」じゃなく「やってみる」。私の作品を見て楽しんでいただけているのは、自分がある程度いろんなことをやってきたのを見せられているからじゃないかなって思っています。
――いろいろな仕事を経験されてきたのも「やらない」より「やってみよう」と。
ですね。それで30代後半になってこの仕事を始めて気づきました。「これは私に向いているな」って。売れる・売れないとかではなく、好きな仕事だなって。いちばん好きなことを仕事にしたら良くないと言われますけど、いちばん好きです。
仕事として始めたのは、2017年2月14日のバレンタインデー。そこからずっとつくり続けています。いろんな仕事をしてきましたが、いちばん長くやっているのがこの仕事ですね。
――作家活動をされるようになって、良かったこと、大変なことは?
頭の中にあるものがカタチになることが、とにかく素晴らしいなって。空想とか夢とかが現実になっているようなものじゃないですか。それが楽しくて生きています。産みの苦しみってよく言われますけど、私はそれがほぼなくて。いつも楽しくて微笑みながらつくっているので、実は作家になってから大変だと思ったことがないんです。あるとしたら納期だけ(笑)。欲しい人全員に商品を届けたくて、作り続けて身体を壊したことがあるので、そこは気をつけないといけないなって思っています。
――すべて独学だったことは、いかがですか?
ルールがない世界で生きられるので楽しいです。「張り子は紙じゃなきゃダメ」とか、そういう決まりもあるのですが、私はすべて独学だったので漆塗りとコラボしたり金属を使ったりして自由につくっています。「張り子ってこういうもの」と固定したイメージにとらわれるより、ちょっとヘタクソだったり、崩れているほうが「私もできるかも」とか「やってみたい」と思ってもらえる気がするんです。
私は見てくれた人に「やりたい」と思ってもらうことが自分の役割かなと思っていて。だからカラフルな色を使ったり、通常だと作らないような形にしたり、もふもふをつけたりしているんですよね。
うまく言えないのですが、子どもでも大人でも、何かを「やりたい」という気持ちを年齢や時間に関係なく持っていてほしいなと思うんですよね。
――それは、張り子に限らず?
そうです。要は何でも好きなことを楽しくやってほしいなって。伝統工芸の方や昔からやられている人が「崩す」のは、私はかなり勇気がいることだと思っています。その点、私は自由なので変えることができる。いろんな職人さんとコラボさせていただいているのも夢があるなと思っていて。そんなことは「できない」と思う人が多い中で、「できる」にしていくことが私の仕事の1つかなと思っています。
――では、ものづくりや作家活動をしたい人たちに何かアドバイスするとしたら?
まずはつくることですよね。何でもいいからつくって、SNSでもブログでもいいから発信してほしい。30代、40代になると「この年だから」とか「自分にはできない」とか「学校に行けないから」と思いがちですけど、やった者勝ちですから、やりたくなったら、やってみてほしいなと思います。
そして、自画自賛できるものを目指してほしいです。「つくっても誰も気にいってくれないかも」とか「誰も買ってくれないかも」と想像したときに、その子たち(作品)の味方になってあげられるのは自分だけじゃないですか。だから私、自分の満足度はすごく大事にしています。
何かをつくって発表したり、プロを目指すのなら、何よりも孤独との戦いになります。誰からも褒められないし、SNSにあげてもリアクションがそんなにないかもしれない。ニーズがわからない中で生きていかなくてはいけないので、メンタルだけは強くしておかないと。なので、やるだけやったら「自分よくやった!」と、とにかく自分を褒めてあげてほしいですね。あとは健康。心も体も健康でいないと手が止まります。美味しいごはんをいっぱい食べて寝てください(笑)。
――とにかくまずは、自分が満足できるものをつくる。
ですね。たとえば「スシテング」って作品は、ただの寿司じゃなくて、イクラが天狗になっていますが、3貫のうち1貫は特別仕様になっていて。普通、張り子は型をつくり、紙を張り、下地をつけて着色していきます。でも3貫のうち1貫は、米粒の張り子とイクラの張り子を1粒1粒つくって、それを海苔のようにした紙で巻いています。つまり、無数の張り子がびっしり中に詰まっているんです。
――え〜っ!? それってすごく大変なことでは…?
大変です(笑)。しかも切ってみないとわからないし、知っているのは私だけ。ただの自己満足だし、すごい無駄な努力なんですけど、楽しそう、面白そう、可愛い、やってみたいと思ったら、どんなに面倒くさくても手間を惜しまずやってしまいます。何十年、何百年後に、この張り子が崩れて、中から無数の米粒やイクラがわらわら出てきたら楽しいなって。そういう無駄が大好きで愛しています。
――効率よりも満足度。それはすごく大事なことかもしれませんね。今後の夢や目標は?
絵本をつくってみたいです。物語をつくるのは得意ではないので、本当は誰かとユニットとか組めたらいいんですけど、まだ力がないので、とりあえず自分でやって、物語を描きたいとか文章をつくりたいって人が出てきてくれたらいいなと思っています。このまま張り子もつくっていきたいですし、小学生のときには燃やしてしまいましたが、絵にも力を入れていきたい。カタチにこだわらず、今後も可愛いもの、楽しくなるもの、笑えるものをつくり続けていきたいです。
いろんな芸術家さんやアーティストさんがいますけど、私の仕事は「楽しませること」じゃないかなって。私の作品を買ってくれたお客さんの旦那さんも買い始め、お子さんも欲しいと言い始め、家族で集め始めました、って方が結構いらっしゃるんですよ。「あまり会話がなかったのですが、同じ趣味があることによって会話が弾むようになりました」とか、聞いててほっこりしちゃうんですよ(笑)。
――最高ですね!
最高ですよね!だから「あ、そっか、可愛いものって周りの人を巻き込む力があるんだ」と思って。“みんなが思う可愛い”は、私にはできないけど、“私が思う可愛い”は徹底していこう、全力で表現していこうと思っています。こんな作家を応援してくれる方がいることがすごく嬉しいので、お客さんのことを第一に考え、1人でもファンの方がいてくださる限り、創作活動はずっと続けていきたいですね。
★アート大福さんの作品をもっと見たい方はこちら!
コンニチハリコ ArtDaifuku個展
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この記事を編集した人
タニタ・シュンタロウ
求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。