新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2023.11.16
1961年生まれ、東京都出身。THINKフィットネス勤務・ゴールドジム所属。2012年に一人娘のアメリカ留学をきっかけに本格的に体を鍛え始め、2014年に当時のボディビルの大会でデビューし、初優勝。その後はアジア選手権でも優勝、世界選手権でも3位に輝くなど、60歳を越えても日本の女性フィジークのトップランカーとして活躍している。ゴールドジムのトレーナーとして、初心者から上級者まで、幅広い層を対象に指導を行っている。
公式サイト:GOLD’S GYM
公式X:ゴールドジムジャパン(公式)
――澤田さんは日本一筋肉質な女性を決める「日本女子フィジーク選手権」で2021年から2連覇、過去4度の日本一に輝いています。どんなところに筋肉やボディメイクの魅力を感じますか?
筋肉っていうと、私の中ではどうしても男性的で「かっこいい」っていうイメージがあるので、それは大事にしながらも女性らしさを忘れたくないっていう思いがあるので、そのギャップは魅力の一つだと思います。
体が男性化していくと、身のこなしも男性っぽくなることもあるのですが、そこでしなやかな女性らしさを出せたら、ボディビルとか筋肉に対して女性の方も入りやすいんじゃないかなって。「こんな筋肉要らないよね」とか、「そんなに筋肉つけて何になるの」?という別世界のイメージじゃなくて、普通の女性たちがいっぱいいるんだなって身近に感じていただきたいなと思っています。
――無駄のない筋肉と爽やかな笑顔、しなやかなポージングはギャップがありますね! どのような筋肉が「美しい」と評価されるんでしょうか?
2015年にそれまで筋肉の大きさや脂肪の少なさを競っていた女子のボディビルがアメリカでなくなって、全体的な筋肉のバランスや女性らしい筋肉美を競う「女子フィジーク」という形に変わったんです。ボディビルの時代は筋量や大きさ重視で一言で言えば「かっこよく見せる」っていうのが評価の基準だったと思います。でも、今は女子フィジークになってからポージングも変わったので、女性らしさも含めたトータルの美が求められています。
――澤田さんは背中の広背筋もそうですけど、きれいに割れた腹筋も圧巻ですね。
ありがとうございます。腹筋やウエスト周りを「ミッドセクション」っていうんですけど、そこは自分の強みだと思っていて、さらに強化することが常に目標なんです。「正面もいいけどバック(背中)もいいね」って言われるような、隙のない体を作っていくことが一番だと思っています。
――体脂肪率はどのぐらいなんですか?
大会の時は5パーセントから10パーセントの間ぐらいで、平均は10パーセント前後です。ただ、大会の時はその1日のために何日もかけて頑張っていくので、その日しか楽しめない体なんですよ。
――それだけ大会前の追い込みがすごいんですね。10月8日に行われた「日本女子フィジーク選手権」では、しなやかな動きと、ポーズによって変化する筋肉のギャップが素晴らしかったです。結果は準優勝でしたが、振り返っていかがですか?
フリーポーズの審査の最後、人を惹きつけなければいけない場面でちょっとバランスを崩してしまったんです。それまでの1分間が台無しになってしまったことが、終わってからもずっと悔しくて…。チャンピオンとしては絶対にやっちゃいけないことだよなって…機転をきかせて上手く終わらせられなかった自分にまだまだだなって…反省しました。
――ただ、初優勝した荻島順子さんとの勝負は見応えがありました。よく知る間柄だったんですね。
はい。荻島さんは私が教えているクライアント様なんですけど、最初から実力のある方で、3年かけてどんどん良くなっていって。私自身も良い意味での刺激をもらいながら、これまでやってこられました。
――澤田さんの教え子もライバルなんですね! 今、新たな目標はありますか?
大会の日は気持ちも盛り上がっていたので、先のことは考えられなかったんですけど、終わった次の日はいろんなことが蘇って不安になったり、いろいろな気持ちが押し寄せてきて。ただ、今は世界にリベンジしたいなっていう気持ちがあります。
――澤田さんが3位という日本人最高成績を残したIFBB世界選手権ですよね。
はい。例年は「日本女子フィジーク選手権」のオーバーオール(階級分けなし無差別)で優勝して、世界選手権の出場権を獲得する流れだったんですが、今年はそれができませんでした。でも、日本クラス別(163cm以下級)で優勝したので、出場の権利はいただいているんです。ここから大会に向けて、自分の体をしっかり仕上げて世界1位を目指したいと思っています。
――毎日、トレーニングはどのぐらいされているんですか?
普段はゴールドジムのトレーナーとして、午後から夜まで働いています。平日は早起きしてジムで仕事前にトレーニングをするのですが、最低3時間はやっています。休日にトレーナーと一緒にトレーニングをする日は、5時間ぐらいはやりますね。
――お仕事でも筋肉と向き合っているんですね。トレーニングは、辛さや苦しさよりも楽しさが勝るんですか?
そうですね。私はトレーニングが楽しくて、大好きだから続けられているんだと思います。大会で優勝したいから毎日体を鍛える、というのではなくて、「トレーニングを楽しみながら、こういう体を作って大会で結果を出すぞ!」と楽しみながら頑張ることが、継続できる一番のポイントじゃないかなと思います。トレーニングが義務のようになってしまう方も中にはいるんですけど、トレーナーとして教える際もそうはならないようにしたいなと思っています。
私自身は自分が競技をやって結果を出しながら、「トレーニングをすることでこれだけアンチエイジングになる」「こんなに肌がツルツルになれる」とか、いろいろなメッセージを伝えていきたいと思っています。体の中から変えていかないと、筋肉も肌も管理できないですから。
――お食事のアドバイスもされるのですか?
そうですね。「体を変えたい」という方にとって、もちろん運動とトレーニングは大事なんですけど、食事の管理は体づくりの6〜7割を占めています。ですから、指導は厳しいですよ(笑)。やる方も真剣だったら、こちらも真剣に結果を出そうと頑張りますから。楽しんでやっている方はその方針で続けられるように、クライアント様に合わせた指導をしています。
――小さい頃や学生時代は、どんなことが得意だったんですか?
私は東京で生まれて、父の仕事の関係で2歳ぐらいから10年間ぐらい北海道で育ったんですけど、体を動かしたりスポーツをするのが大好きで。本当にいろいろなスポーツをやりました。学生時代は部活でバスケットボールやバレーボールをやりましたし、趣味でスキーもしていました。あとは、長距離を走ることにはまってしまって。記録というよりも楽しむ感じで、フルマラソンにも出場しました。
――夢中になると、とことん追求する性格だったんですね。
そういう性格でしたね。「これ」と決めたら集中して、部活なら絶対にレギュラーを取るとか、高い目標を設定して、それに向かって集中してコツコツやっていくタイプでした。期間限定になっちゃうこともあるんですけどね(苦笑)。
――何が一番の原動力になっていたんですか?
自分の満足感だと思います。達成感というよりは、コツコツ努力して作り上げていく過程が好きですね。マラソンでも、「最初は1キロから」という感じで走り始めて、毎日距離を増やしていって。だんだん走れるようになったら先生の教えを聞いて「1カ月に何キロ走るといいよ」と教えていただいて、それをこなしていくんです。
――数値的な目標があると、それに向かって焦ってしまうこともあると思いますが、澤田さんは少しずつ習慣にしながら、着実にゴールに近づいていったんですね。今もそうですか?
今は特にそうですね。やっぱり、年齢のギャップはすごくありますから。周りは自分よりも若い方が多いので、そういう方と同じステージに立つためには、同じことをやっていたら絶対に勝ることはできないので、自分なりの見えない何かを持っていかないといけないというのはいつも思っています。それは、トレーナーをしている時にもいつも話しますね。
――澤田さんが本格的に体を鍛え始めたのは何歳の時だったのですか?
始めたのは51歳の頃で、大会でのデビューが53歳です。それまでもちょこちょこジムには通っていたんですけど、やっぱり私の中でボディビルダーは違う世界の人だと思っていたので、「筋トレはしない」という思いが頑なにあったんですよね。元々、身体的に男性っぽいところがあると感じていたので、ボディビルをやったらすごい体になっちゃうのかも…?という素人的な意識があったので、ジムに通っていてもスタジオで楽しむようなタイプだったんです。
――そこから、ここまでのめり込むまでにはどんなきっかけがあったのですか?
娘が3歳の頃からダンスをしていて「海外に行きたい」という夢があったので、ダンスチームでレギュラーにさせるために私も頑張ったり、世界大会に一緒についていったり、ステージママでした。すべてを娘に注いでいた感じで、自分が50代に入るまで、娘にべったりだったんです。
私はそれまでの人生で、自分のやりたかったこととか、夢も持たないままきてしまって、「なんでもっと勉強しなかったんだろう」とか、「なんで目標を持って人生を楽しもうとしなかったんだろう?」と考えることもあったので、自分のできなかった夢を娘に託そうとしていたんだろうと思うんです。娘のダンスチームは世界大会で優勝したり、すごく頑張っていたんですが、高校2年生の時にアメリカに1年間留学することになって。一人っ子なので、いなくなったら私がどうなるんだろう?と周りがすごく心配してくれて。娘に注いでいた時間を自分のために使おうと考えて…まぁ、それがきっかけで本格的に体を鍛え始めました。娘はその後、大学でも海外に行くことになって、長く離れてしまうことになったんですけれど、私にも目標ができました。
――最初はどんなことが目標だったんですか。
娘がいつも好きなことをやっているので、すごく輝いていたんですよ。それで、海外から帰ってきた時にキラキラの姿で英語もペラペラになっているんじゃないかと思ったら、再会した時に私が疲れたおばさんじゃいけないなと思ったんです。彼女に負けたくないという気持ちとか、「ママどうしたの?すごいね!」って言われたいという気持ちがあったから頑張れたと思います。
――大会に初めて出場したきっかけはなんだったんですか?
2013年に、ベストボディ・ジャパンという大会に知人の誘いで出場したんです。今では大きな大会になっているんですが、当時はできたばかりの小さな大会だったので、20人ぐらいの中で優勝させていただきました。
――デビュー戦で優勝とはすごいですね! その時に、気持ちの変化はありましたか?
その時はゴールドジムのトレーナーの方にメニューを作ってもらい、そのトレーニングを1年間くらい毎日続けることで優勝できたんですが、目標を持つことって楽しいなと改めて思いました。
――それで、続けていこうと。
ええ。「東京で大きな大会をやるから出ないか?」って誘われたんですよ。その時に、自分一人でやるトレーニングではこれ以上体を変えるのは限界だなと思ったんです。それで、知り合いのボディビルダーの方にトレーナーの方をつけてみたいんです、と相談して、紹介していただいたのが今のトレーナーで、本野卓士さんでした。
――「筋肥大職人」という肩書を持っているすごい方なんですよね。
そうです。大会に出る上ではトレーナーの存在がすごく大事ですし、相性もあると思います。本野さんは、「自分のトレーニングをするんだったら、自分だけを信じて他のトレーナーのトレーニングを入れずに頑張ってほしい」というはっきりした方針だったので、まだひよこ状態だった私は、トレーナーが親鶏だと思って一途についていきました。
――それで、次々とタイトルを獲得されていったんですね。頂点を目指そうという確信が芽生えたのは、どのタイミングだったのですか?
それが、本野トレーナーに出会って2回目に出たベストボディの東京大会では、まったく順位をいただけなかったんです。割と絞ってバキバキの体で行ったんですけど、大会によって評価基準は違うので、その大会で求められる筋肉や体ではなかったんです。ただ、そこまで体を作ったから、本野トレーナーが「その体を生かせる大会に出た方がいいよ」と言ってくださって。自分でもその道もいいかなと、思い始めていました。
ちょうどその頃に、山野内里子さんという、その時の女子フィジークのチャンピオンの方にお会いする機会がありまして。本野トレーナーが育てていて、大会のためにポージングの練習をしに来られていて、「ぜひ見て行った方がいい」と言われて見せていただいたんですよ。
そうしたら、洋服を着ていると小柄な女性なのに、脱ぐとこんなにすごいの?っていうギャップが素敵で、ポージングをとった時にはさらにすごい体になって、本当に格好良かったんですよ。その時に、ボディビルって特別なものじゃないんだ、と感じたんです。「私はこれをやりたいんだ!」って、その時に素直に思いました。
――明確な目標ができたんですね。毎日トレーニングを続ける中で迷いが生まれたり、スランプに陥ったりする時はありませんでしたか?
「今日は疲れてトレーニングをやりたくないな」という日が続くようなことはありませんでした。いろんな大会に出るためにひたすらトレーニングに打ち込むことが楽しくて、あまり大きな挫折はなかった気がします。「自分の体がどれぐらい大きくなった」とか「逆に何が足りていないのか」ということも、あまり意識していなかったんです。それを見ていたトレーナーは、「腕が太くならないな」とか、悩んでいたと後から知ったのですが、私自身はただひたすらトレーニング…でした(笑)。
――それだけ本野トレーナーとの相性も良かったんですね! 日々のトレーニングの中で幸せを感じるのはどんな時ですか?
最近、チャンピオンになってから「自分の体を毎年変えていかなきゃいけない」という意識が強くなりました。それで、トレーナー業と並行して体の勉強をするようになってからはさらに意識が変わってきたので、新しく教えられたメニューやトレーニングの種目が自分のものになったときはすごく嬉しいですね。
トレーニングは単純なようで、自分のものにするのはすごく難しいですね。例えば肩のトレーニングをするときには、肩に負荷をかけながらしっかり重さを感じて、終わったら「パンプアップした!」っていう実感を楽しむんですけど、その感覚は一回じゃなかなか得られないものです。それを重ねて、「このトレーニングは、この軌道だ!(体が)大きくなれる」って、自分の感覚にできる瞬間があるんです。
――それはトレーナーとして、教える側でも生きているんですね。
そうですね。「このメニューをやってください」と伝える時に、それができない場合は、自分でも実践しているから理由がわかります。「肩甲骨を下げて体を引く」と言葉で覚えるのとは違って、「これだと筋肉に負荷が入ってないな」ということが一目見てわかるので、それはトレーナーとして面白いところです。だからこそ、自分のものにしてくれた時は一緒になって喜び合っています(笑)。
――大会で勝った時に、娘さんはどんなふうに声をかけてくれるんですか?
「おめでとう」の一言だけとか、割とクールです(笑)。「今回は残念な結果だったんだ」って言った時も「ふーん、そうなんだ」という感じなので(笑)。いろいろ言われないので逆にいいですね。彼女は彼女で今は、ダンスを教える側に回っていて、自分でもチームを組んでたまに大会に出たりもしています。
――それぞれに道を極めていて、素敵な二人ですよね。世界大会でのタイトル以外に、今後澤田さんが新たにチャレンジされたいことはありますか?
始めた時から目標が世界だったので、「世界で結果を出せる体を作る」ことが大きな目標です。「優勝したい」じゃなくて、「優勝できる体を作る」ことです。ステージに出てきた瞬間に「この人1位だな」と確信してもらえるような“隙のない”体を作ることが、本当の「優勝」ということなだと思いますから。今回は優勝できませんでしたけれど、その前の結果が割れてしまった時点で、「自分の思ってた通りの体にはなってないんだな」と思いました。
――さすがに目標が高いですね。年齢とともに体を進化させているのはすごいです。
ありがとうございます。自分が続けていられる限り、何歳からでも始められるし、何歳まででもできるよ、っていうメッセージを皆さんに伝えていけると思うので、頑張りたいと思います。
――澤田さんのように打ち込めることを見つけて、それを続けていくためのアドバイスをお願いできますか?
夢中になれることを探すよりも、いろいろなことに対して目標を作ってコツコツ取り組んでみることで、楽しいことに出会えるんじゃないかなって思います。若いうちは何度失敗しても、私のように50代になってからこんなに好きなことを見つけて、第二の人生を楽しめることもありますから。「人生は一つじゃないよ」っていうことを伝えたいですし、「一回失敗してもまだまだ大丈夫。まだ何十年もあるんだから」って言えるぐらいの気持ちになったので。前向きに目標を探していけば、自分の「好き」が見つかるんじゃないかなと思います。
――世界大会での活躍を期待しています! 本日はありがとうございました。
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この記事を編集した人
ナカジマ ケイ
スポーツや文化人を中心に、国内外で取材をしてコラムなどを執筆。趣味は映画鑑賞とハーレーと盆栽。旅を通じて地域文化に触れるのが好きです。