新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2023.10.12
1989年、東京都生まれ。木彫刻家。幼稚園の頃に彫刻に目覚め、東京大学教育学部付属中等教育学校卒業後、京都伝統工芸大学校で木彫の技術を磨く。卒業後は一位一刀彫の木彫師・東勝廣氏の元を何度もたずねて弟子入り。修行から1年数ヶ月で根付公募展「現代木彫根付芸術祭」(2010)で大賞受賞し、2012年に独立。対象物や素材を徹底的に観察し、新たな表現や技法とともにユニークな作品を生み出し、数々の展覧会や美術祭で注目を集めている。作品はYouTubeやSNSでも見ることができる。
公式サイト:大竹木彫刻
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Instagram:ryoho_otake
Twitter:大竹亮峯 特別展「超絶技巧、未来へ!」出展中!三井記念美術館2023.9/12〜11/26
“KOGEI Next” Exhibition 2023
2023年10月20日(金) 、10月21日(土)、10月22日(日)
※入場無料
超絶技巧、未来へ!明治工芸とそのDNA三井記念美術館開催期間
2023年9月12日(火)~2023年11月26日(日)
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――大竹さんの作品はどれもまるで生きているようにリアルで繊細で、写真で見ても衝撃を受けました。表現でこだわっているポイントはどんなところですか?
生き物の生きていた瞬間を表現したいと思って作品を作っています。木の表情って、複雑できれいなんですよね。使っている木は死骸とも言えるんですけど、人間よりも昔から、長い年月をかけて地球上で育ってきたので、生命感や生きた証がすごく残っているんですよね。それを最大限に活かす形で、生き物の生きていた時間をよりリアルに表現することにはこだわっています。木を使うと、細部を自分なりに表現することもできるので、生命を感じさせる作品を目指しています。
――海老やカニなど、甲殻類の甲羅や足が動くのには本当に驚きました。なぜあそこまでリアルさを追求できたのですか?
江戸時代に流行った、金属を使って生き物の胴体や手足が自由自在に動くように再現した「自在置物」というのがあって、それを彫刻で再現したいと思いました。特に、甲殻類にはすごく興味があるんです。エビやカニなどの外骨格を持つ生き物は、外側に骨格があって、筋肉などがその内側に全部収まっているんですよ。だから、関節構造とかどういうふうに動くかという仕組みが全部、外側の表面に現れているんです。彼らは脱皮を繰り返しながら新しい殻を得て大きく成長していくんですけど、その過程も見える。すべてを殻から読み取ることができるんです。
それを分解して、読み取って再現していきます。彫刻は大体、外側から彫っていくので関節の中までは彫れないんですけど、曲面の裏側まで彫って再現したときに、見る人がそれを「動きそうだ」と認識するのか、あるいは「生きていそうだ」と認識するのか、「ただの置き物」と認識するのか。それを実験的にやりたかったのが、甲殻類のシリーズなんです。
――1本の木から彫り上げているというのもすごいですよね。触覚や関節の動きも本物みたいで、木の作品だということを忘れてしまいそうです。
「肉体が先か、魂が先か」という論争がありますよね。器があるところに魂が来るのか、魂があるから器が出来上がってくるのか。どちらが真実でもいいと思っているんですが、私が作った自在置物では、作った器が完全に近ければ、仮にそこに魂みたいなものが宿ったとして、それを見る人が美術館でガラスケース越しに生命感を感じるのか、試してみたかったんです。
人間の目って、「何かわからないけど動きそう」っていうのを悟るんですよね。そういう、影の深さを見る能力が人の目にあるのかもしれないと妄想したりもします。人間が見るからこそ魂が見えるというか、人間の勝手なエゴで都合のいいように解釈するっていうのが私は好きで、面白いなと思うんですよね。
――その意味では十人十色の解釈があると思いますが、作品を見た人の声で意外だった反応や、印象に残った言葉はありましたか?
今、三井記念美術館の第3弾の展示をしているんですが、第2弾のときに出品したエビを見に来た年配の女性が、「ここにだけなんで剥製があるの?」と聞いたらしくて、それは面白いなと思いました。
それから、水をさして花が開く「竹の水仙」という作品を作ったときに、花が咲く瞬間を見守る人たちが全員「同じ気持ちで見ているんだな」って気づいたときはハッとしましたね。みんな、咲くか咲かないか分からないものを「咲け」と思って見ているのがわかって、集まった人たちが同じことを考えながら一つのものを見ている光景を見てすごいなと。それがきっかけで作ったのが月下美人をモチーフにした「月光」という作品です。
――水を注ぐと「月下美人」の花がゆっくりと開く、衝撃の作品ですよね。細部の動きで生命を表現するという点は甲殻類にも共通すると思いますが、「月光」にはどのようなメッセージを込めたのでしょうか。
「竹の水仙」を作ったときに、人の意識が共感に向かうことに感動したのもあったのですが、「月光」を作っている最中はコロナ禍の真っ只中だったんですよ。リモートなどで対面で人と話すことはあっても、隣の人と同じものを見て同じ気持ちになるという瞬間がいきなりなくなったなと感じて。その時に、「何かを見て共感する」っていう気持ちがやっぱり人間らしさの根源だと思いましたし、それが軽薄になっていくことが怖いなと感じて。それを作品で再現したいと思いました。
月下美人って面白い花で、日本には自生していないんですよ。大正末期ぐらいにメキシコから輸入されてきた、一夜限りしか咲かない珍しい花なんですよ。川端康成の小説とかにも短編で月下美人が出てくるんですが、人を集めてその花を見るような花だったそうです。だから、月明かりの下で「月光」をテーマにしました。
英語教師をしていた夏目漱石は、「I love you」を日本語に訳したときに「愛してる」じゃなくて、「月が綺麗ですね」と訳したそうです。対面の意識で愛を伝えるのではなく、一緒に見ている月が綺麗ですね、と気持ちを共感させることで、漱石は愛を表現したかったんだろうなと思って、そのいうものが時代とともに薄くなっていく中で、それを作品で体験できるようにしたいと思って作った作品です。
――神秘的な作品の背景に、明確なメッセージがあるのですね。それを知ると、作品への理解が深まって、見るときにいろいろな感情が湧いてきそうです。
自分が何を目的に作ったかというテーマは必ず持っておくことを大事にしていますが、見ていただく方の解釈は違って当然だと思いますし、作品を見て どんな感情を持ってもらっても嬉しいですね。
――花の構造も、実物を見て再現したのですか?
はい。花を咲かせるのは、花の構造を全部分かっていなければできないので、花を全部分解して花びらを並べて、花びらの裏や、茎の穴の太さや中の構造まで観察しました。そういう過程で、頭の中に形をしっかり入れていく作業はどの作品でもやっています。
――イメージ作りから仕上げまで、どのぐらいの工程や時間をかけて彫り上げていくのですか?
工程はシンプルに分けると、丸太を切り出す「木取り」、木取りをしたものを荒く彫る「荒彫り」、最後に「中作り」と仕上げをして完成です。ただ、私の場合は組み立てたり、仕掛けものを作ったりと間にいろんな工程が入ってくるので。制作期間は最低でも8ヶ月ぐらいかかりますね。月下美人は1年半からから2年ぐらいかかりました。
――大作ですね。「完成」と割り切るタイミングも難しそうです。
一つの作品を作り始めたら、完成するまで集中してその作品に向かいます。本当は平行して他の作品も作れた方が仕事の能率は上がりますし、一個ミスしても他の作品があるのでリスクが少ないんですけどね。展示会などの発表の機会に販売をして生計を立てているので、一つを作り上げたら絶対に売るぞ、と思って作っています(笑)。
――小さい頃から彫刻に興味があったのですか?
どちらかというと消去法でした。幼稚園ぐらいのときからあまり人と関わるのが得意ではなくて。ただ、その幼稚園が変わっていて、大工用の古道具が置いてあって、垂木などの角材が転がっていて、釘とか玄能、トンカチ、鋸(のこぎり)も自由に使ってよかったんです。それが幼稚園生用の道具とかじゃなくて、大工道具の大人が使うものばかりで。危ないので、先生が見ていてくれていたんですけどね。
――特殊な環境が彫刻への熱を高めたんですね。頭を空っぽにして作業に没頭している感じが好きだったのですか?
そうですね。他のみんなはドッジボールをしたり、外で遊んでいたのですが、そこに参加できなくて。垂木を鋸でまっすぐに切ることとか、釘をまっすぐ打つことを時間を忘れてやっていました。その時に木を加工する面白さを知ったんです。器用でそういうことが得意だったのもありますが、小学校に上がってからも、友達と遊ぶよりものを作って手を動かしてるほうがいいなと思っていました。その世界に逃げ込んでいた感じもありますね。
――小さい頃から木という素材に親しみがあったのですね。
祖父が木を削って舟の模型を作るのが趣味だったので、幼稚園の頃に横で見ていて「木が面白いな」と感じたのを覚えています。小学校とかでも伝統工芸の体験で職人さんに会ったりして、やっぱり木ってきれいだな、と。
――お年玉で買った彫刻刀で学校の机を彫って、あまりの出来映えに先生からは怒られなかったというエピソードがあるそうですね。
小学校の授業で配られる彫刻刀が、あまり切れなかったんですよ。それで、当時実家があった池袋で、家から歩いてすぐのところに東急ハンズがあったのでよく通っていて、大工道具コーナーのショーケースの中に高い彫刻刀がきれいに並んでいるのを見るのが好きで。フォルムから何から、すべてが洗練されていて、値段も高かったんですけど、「あれは絶対切れるだろう」と思って。使ってみないことには分からないと思って、お年玉で思い切って1本買ってみたんですよね。それが小4ぐらいでした。
――自分の意思で買った最初の「本物」だったんですね!
それから毎年1本ずつ買うようになって、増えていきました。最初に買った彫刻刀は、今も使っています。ちゃんとした刃物は寿命が長くて、研いで減っていくんですけど、大事に使えば結構長く使えるんですよ。
――今は、どのぐらいの本数をお持ちなんですか?
種類で言うと数十種類ですが、数で言うと何百本もあります。彫刻なので刃物が多いですが、いろいろな素材を使うので、彫金道具とか棒ヤスリも多く、目が細かいヤスリはかなりの本数がありますね。
――ちなみに、学校の机には何を彫ったのですか?
中学の頃だったかな。その時、竜の図案にハマっていたので、竜を彫ったんです。それで、学年が変わるときに机を下級生に引き継ぐので、ボコボコだったら勉強できないから、意図的に机を傷つけた生徒が弁償するというのが毎年あって。私の場合は明らかにそれに該当していたんですけど、先生が「これはいいか」って、弁償を免れました(笑)。中高一貫校だったのですが、新学校とかではなくて、個々の個性を大事にするような学校だったんですよね。
――素晴らしい先生ですね。高校卒業後は、専門学校の京都伝統工芸大学校に進まれたんですね。そこでどのように才能を伸ばしたのですか?
専門学校が仏壇・仏具組合に入っていたので、物壇の装飾の欄間とか、そういうものを彫る職人さんが教えてくれる専門学校だったんですが、いろいろな専攻がある中で木調を専攻したんです。そこで、普通の職人さんは面倒くさがってやらないような作業をずっとやっていたので、「ようやるな〜」みたいなことをよく言われていました。職人の世界っていかに早く作って時間をかけずに時給を高くしていくかっていう世界なので、無駄なことをやっているように見えたと思うんですが、無駄じゃないんですよね。
――当時は人と違う自分のご自身の強みをどんなふうに認識していたんでしょうか。
粘りはあったと思います。自分に才能があると思ったことは一回もないですね。才能の概念って何なんだろうって考えてみると、才能なんてものは存在しないんじゃないかと思ってしまうんです。
――「好き」を、粘りと努力でさらに深めていった感じですね。
そうですね。とにかく、人がやりたがらないことをやり続けていました。それを超えた先に必ず何かがあると思っていて。誰もやりたがっていないことなので、やり続ければ絶対、誰も知らない情報が手に入る。その先に、誰も見たことのない世界が見えるじゃないですか。最近はその粘りが足りないんですけどね(笑)。
――そうなんですか(笑)。でも、当時はやろうと思えば何十時間でもできる状況だったわけですね。
はい。それだけやれたのは、芸術の世界ですごい人たちとまともに戦っても絶対に勝てない、と思ったのもあります。本当は美大に行きたかったんですよ。だけど、受験に失敗して、一からやり直そうと思うと3年ぐらい浪人することになると思って。そんなにかかるんだったら、どこかで技術を身につけようと思って専門に行ったんです。
――自分が勝負できるポイントを見つけたのですね。
みんなが戦っている場所で戦っていたら、才能が物を言うのかもしれないですけどね。ニッチなほうに行って、誰もやっていないことをできるようになろうと思いました。
――専門学校卒業後に、木彫師の東勝廣氏の元を何度もたずねて弟子入りされたそうですが、その経緯を教えてもらえますか?
東師匠の作品を東京の展示会などでよく見ていたんですけど、馬を彫るのがすごく上手なんですよ。人間が品種改良して作ったサラブレッドで、自然界の生き物としてはバランスが不自然なんですよね。その微妙な崩れたバランスの生き物をかっこよく彫るって難しいんです。でも、東師匠はそれがめちゃくちゃ上手くて。それと、京都で専門学校時代に習っていたのが半立体のレリーフのような彫刻だったので、次は完全な立体を彫り上げられるようになりたいと思っていたので、東師匠の下で弟子に入って修行したいと思い、訪ねたんです。
本当に有名な方なので、弟子がいっぱいいたんですけど、僕が入る前の最後の弟子が非常に出来が悪かったらしくて。「もう二度と弟子は取らん。自分の制作の時間にこれからは当てる」って言っていたところに僕がひょっこりと現れたので、最初は強烈な門前払いをされました(笑)。ただ、その時も粘り強くお願いして弟子入りさせてもらいました。
――東師匠のもとで学んだことはやはり、その後に大きく生きましたか?
すごく大きかったです。師匠はめちゃくちゃ仕事が早い人で、それも学びたかったんです。彫刻って、木の塊からいらないところだけ取って必要なところだけ残す作業で、足すことができないのでマイナスでしか進まない作業なんですよ。だから、塊の中にある形が分かっていないと彫れないということなんですよね。逆に言えば、形が完全に分かっていれば、取るべきところが明確に見えるので、木をどんどん彫っていけるんです。師匠はそのスピードがすごい人だったので、それを見ることができたのは貴重な経験でした。
――作りながら考えるんじゃなくて、最初から絵が見えているんですね。大竹さんもそうなんですか?
はい。基本的には、頭の中に3Dで出来上がっているものを具現化する作業です。子供の頃から思い描くものはいつも3Dで、頭の中で完成形が360度見えるんです。
――それも一つの能力ですね!
ただ、苦労したのが絵が描けないことです。視点を固定しないと、絵は描けないじゃないですか。僕は3Dで頭の中に出来上がってしまうので、それが頭の中で回ってしまって、固定できなくて。だからデッサンができなくて、美大はそれで相当苦しんで、ダメだったんです。
立体を作っている人の中には、そういう人は結構いるんですよ。つい最近も、作家仲間と話していて、同じだ!と共感することがありました。絵を描ける人は立体と平面の変換ができるので、脳がすごい高度なんだろうなと思っています。
――その後は修行から1年で「現代木彫根付芸術祭」(2010)で大賞受賞、さらにその2年後に独立と、30代前半で一気にキャリアを切り開かれていますが、他に苦労したことはありますか?
一番苦労したのは、生計を立てることですね。作ったものを売って食べていくためには、自分が頑張ればいいだけではなくて、人に助けてもらいながら、いろいろな人間関係の中でやっていかなければいけないので、本当に難しいですし、そのための環境づくりが一番大変でしたね。
――そういう意味では、今は理想の環境でお仕事できているのですか?
そうですね。もちろん、もっといい環境は求め続けるんでしょうけど、今は画商さんがついてくれて、強力な味方ができたので、自分の作りたいものや作れるものを時間をかけて作って、その収益をバックできるぐらいの感じで回っています。それは、すごく贅沢な環境だと思っています。
――今後、制作する上でチャレンジしたいことはありますか?
国内に留まらず、海外展開をしていきたいと思っています。SNSでも外国の方から評価をいただいて、展示会などのオファーもいくつか来ているので、海外で展示を実現させたいなと思っています。
ただ、作品が細かいので、輸送のトラブルとか破損リスクがすごく高いんですよ。細心の注意を払う必要があって、相当シビアにやらなければいけないんですよね。今後はその問題をクリアしていこうと外商さんと話をしています。
――それはいいですね! 大竹さんの作品を見て、彫刻をやってみたいという人は年齢や国籍問わずいそうですよね。今後、弟子入りしたい人が出てきたらどうしますか?
彫刻に興味を持ってくれる方がいたら嬉しいですね。ただ、弟子を取る余裕が今はないので(笑)。給料を払うのが大変ですから。「それでもやらせてくれ」というやる気のある子だったら、時間は限られると思いますけど教えたいですね。特定の技術以外は開放していて、隠したりはしていませんから。
――自在置物や水仙、月下美人のように、新しい技法を生み出していきたいという思いもありますか?
「新しい技法を生み出したい」という気持ちはないですけど、新しく何かを表現するためには技法を獲得しなければいけない場合もあるので、自分が発信したいものに対して必要であれば、その時はまたそのための技法を考えていきたいですね。
――最後に、大竹さんのように「好きなこと」を見つけて自分らしく進むためのアドバイスをいただけますか?
人間の原動力とか欲を考えた時に、基本的に人って自分のためには動けないと思うんです。だから、「自分のやりたいこと」や「自分の好きなこと」というふうに「自分」にこだわってしまうと、見えなくなってしまうんじゃないかと思っていて。「誰かのために」と、視点をちょっと外向きに変えた瞬間に、やりたいことや好きなことが見つかると思っています。今は資本主義だから、世の中の役に立った分だけお金が入ってくる社会だと思いますが、自分の特性が一番光るところでこそ、お金は入ってくると思うんですよ。その意味でも「人の役に立つ」っていうのが大前提で、人の役に立った瞬間が楽しいから、それを「やりたい」と思って、好きになる。純粋に原点に戻ったら、そこにやりたいことがあると思うんです。
たとえば、幼少期の記憶に遡ってみると、一番最初に自分が何かをやって、人が一番最初に喜んだものが何だったのか。そういう経験は誰でもあるはずで、それがものづくりなのか、スポーツなのか、その他の何かなのかはみんなわかっていると思いますから。その中で、「これをやったらこの人が喜んでくれるな」というように「自分が」じゃなくて、「誰かが楽しい」っていうことを考えて、「一番人を喜ばせられることは何だろう」と考えていったら自分の好きなことにつながるんじゃないかなと思います。
――そういう意味では、大竹さんの作品は人を驚かせて、喜ばせているんですね。
そうですね。芸術の世界では、新しい世界を見せることが一番の目的だと思うので。それが面白いとか嬉しいとか、負の感情でもいいと思うんですけど、その意外性をお客さんに楽しんでもらえるように、これからも作品作りを続けていきたいと思います。
――次の作品も楽しみにしています! 本日はありがとうございました。
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この記事を編集した人
ナカジマ ケイ
スポーツや文化人を中心に、国内外で取材をしてコラムなどを執筆。趣味は映画鑑賞とハーレーと盆栽。旅を通じて地域文化に触れるのが好きです。