生活・趣味

【寄稿】ひとが育つまち・3—ふるさとは「ひと」(3)|〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる(21)

2023.06.15

ひとが育つまち・3—ふるさとは「ひと」(3)|〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる(21)
息苦しく不穏な時代の渦中にいながら、新しい⾃分の在り⽅を他者との「あいだ」に見出し、〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる人々がいます。その〈ちいさな社会〉での生き方を追い、新たな「⾃⼰」の在り⽅を考えてみましょう。

島根県益田市が「ひとが育つまち」へと自らのあり方を組み換えていく道のりには、子どもたちをまちで育てようとする様々な試行錯誤がありました。それはまた、子どもたちを地域で育みたい、というおとなたちの願いの発露でもあり、それを行政が汲み上げようとする試みでもあったのですが、その背後に日本社会全体の再編の動きがあり、そのことが行政施策の混乱を招くという過程でもありました。おとなたちの思いが強ければ強いだけ、さまざまな力学が働いて、それが混乱を招いたのです。 今回は、行政のおはなしです。

第20回記事「ひとが育つまち・2—ふるさとは「ひと」(2)」はこちら

  


     

    

この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

牧野先生の連載はこちら

 


 

 

 

「地域で育む益田の子」推進協議会


    

地域教育コーディネータのOさんは着任後、積極的に学校と社会教育そして地域住民との連携・協働の可能性を探ります。その結果、子どもを学校だけでなく、地域社会で育てるための住民の協議会「地域で育む益田の子推進協議会」の発足に漕ぎ着けます。Oさんが主導する行政と住民の協力の下でのことです。

    

この協議会は主に、子どもたちの地域活動を促しながら、地域住民の学習活動をも活性化して、地域社会全体を子育てを核とした「学び」の場へと組織しようとする動きを担うこととなります。

    

協議会が担った子どもたちの活動には、次のようなものがあります。

   

①通学合宿:通常の学期途中に、子どもたちが家を離れて、公民館などに合宿して、共同生活を体験しつつ、学校に通う取り組みです。保護者だけでなく、地域の住民が子どもたちとかかわり、彼らとともに食事をつくったり、放課後の生活をともに送ったりすることが求められます。

   

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②放課後子ども教室「ボランティア・ハウス」:放課後の子どもの学習や地域活動の機会を住民ボランティアによって担い、子どもたちの豊かな学びや地域活動の場を設ける取り組みで、益田市では公営塾的な位置づけとなっていました。このボランティア・ハウスは2004年の町村合併後は、地域未来塾(「学び舎ますだ」)へと発展していきます。いまでも、「学び舎ますだ」は、先の「地域で育む益田の子推進協議会」の後身である「つろうて子育て協議会」によって担われています。

    

③公民館と学校との連携事業:学社連携・融合の実質的な形として、学校の授業と公民館の講座を重ね合わせて、子どもたちが学校で学びつつ、公民館での講座にも参加して、そこに地域住民がかかわって、皆で一緒に学ぶ仕組みがつくられました。たとえば、水彩画や絵手紙などの講座を公民館と学校が共同事業として開催したりしました。

    

④野外体験活動の実施:さらに社会教育活動として子どもたちの野外体験活動を、国の委託事業を活用して、さまざまに展開するにあたり、その受け皿を地域社会が準備して、子どもたちの野外体験活動を地域住民が支える事業を進めました。

              
  
  

「ふるさと教育」の導入


   

島根県教育委員会は、さらに2005年に「ふるさと教育」の導入を決定します。県下の全小中学校で、年間35時間、「ふるさと教育」を行うことを義務化し、各学校の教育課程に位置づけることとしたのです。

   

この結果、各学校は教育課程においても地域社会と連携することが求められ、公民館が窓口となって、地域社会とのかかわりを模索することとなります。

    

「ふるさと教育」とは、子どもたちに自分のふるさと島根県のことを学ばせるカリキュラムなのですが、そのための基盤は、子どももたちが日常生活の場としている学区、つまり地域社会だと受け止められ、学校と地域社会とくに住民との連携によって、子どもたちが地域の文化や歴史、それに伝承遊びなどを学ぶ機会をつくり、子どもたちのふるさとへの愛着を育むことが意図されたのです。

   

ここでも、地域教育コーディネータであったOさんが活躍します。Oさんは教員籍でありながら社会教育主事でもあり地域教育コーディネータでもあるという、いわば横断的な位置づけにあります。これをOさん自身、「なんだか特命係みたいだった」といいます。

    

Oさんはその立ち位置を存分に活用して、学校と地域住民とを社会教育的な手法を使って、つまり住民が自ら子どもにかかわることを基本として、子どもたちを地域社会に受け入れ、学校の教育課程に地域社会が深くかかわるような仕組みをつくる取り組みを進めることとなったのです。

    

そのとき、重視されたのが公民館の役割でした。公民館が学校と地域社会双方をつなぐ窓口となることで、つまり教育委員会内の社会教育部門が管轄する公民館が、同じく教育委員会の管轄である学校と連携をとりつつ、地域社会の中にあるという性格を活かして、地域住民とも結びついて、子どもたちの「ふるさと教育」を地域社会における「ふるさと学習」へと組み換え、子どもたちが地元の人々に大切にされているという感覚を育み、地元の生活や文化・歴史への認識を深めて、地元愛を育むことが期待され、またそのための取り組みが進められたのです。

     

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このように公民館を通して学校と地域社会を繋げることができたのも、Oさんが横断的な位置づけ、つまり地域教育コーディネータが社会教育主事でもあり、教育委員会内で義務教育学校にもかかわることができるという「特命係」だったからです。

   
   
   

迷走する公民館


   

既述のように、益田市は2004年に旧匹見町と旧美都町と合併し、島根県で最も広い市域を持つ、「日本の縮図」といわれるような自治体となります。このことが、さらに域内分権を促進しようとする動きにつながっていきます。

   

総務省は当時、この平成の大合併にともなう自治体の広域化と従来の自治会・町内会という組織の疲弊を受け止めた新しい自治組織、つまり住民による地域運営組織の組織化を進めており、地域運営組織の設置によって自治体内の分権化、そして住民自治の強化による自治体の財政負担の軽減を実現しようとしていました。

    

合併後の益田市は20の地区を持ち、その地区毎に公民館が1館設置される体制をとっていました。合併後、益田市は公民館に地域運営組織を担うセンターとして「地区振興センター」を設置し、いわば公民館と地区振興センターの二枚看板方式での自治体内分権を推進しようとします。この措置にともなって、公民館には副館長に市の職員が配置され、人的な充実が図られました。

   

しかし、公民館という住民が「学び」を通して自分の住む地域をつくり、諸課題に対処すること、つまり自治のための人間関係を耕しておく営みの場に、地区振興センターという一般行政の機関が併設され、職員が配置されることで、公民館そのものが行政の末端機関だという位置づけ、いいかえれば、行政サービスの提供機関だという認識を住民から与えられることとなり、住民の行政依存の傾向が強められることとなってしまいました。

    

今日でも同様なのですが、私がかかわったことのある自治体でも、改革派の首長さんがたとえば高齢化する地域社会において、認知症を患う高齢者が増えることに対して、住民たちが互いに支えあって、日常生活を送るように住民自治を強化し、財政的な負担を減らそうとして、それまで住民が活発に活用して、社会教育活動を展開していた公民館を地域づくりセンターなどに改組し、行政職員を拡充する例があったのですが、ほとんど例外なく、住民の行政依存を強めてしまって、結果的に住民自治が壊れ、地域社会で孤立する高齢者が増え、福祉予算が増えてしまっています。

    

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社会教育や公民館は、住民が「学習」する場ではありますが、その「学習」とは知識や文化を学び、身につけるという意味におけるものに限らず、むしろお互いに配慮しあう関係の中で、かかわりあいをつくり、地域社会を自ら担い、自分と他者とがかかわりを通して、結びつき、かつ変化していくことを楽しむ、そういう変化のプロセスをいうのであって、講座などに参加することのみをいうのではないのです。

     

だからこそ、公民館活動や社会教育の実践がしっかりしていると、地域住民相互の間の関係が耕されていて、問題が起こりにくい社会や問題が起こりそうになっても住民自身がおのずと解決してしまう社会ができあがり、しかもそこではお互いに認めあい、支えあう関係がつくられていきますから、住民の生活満足度も高い社会が形成されて、結果的に財的負担も軽減されるのです。

    

しかし、当然のことですが、こういう住民に頼った活動を行おうとすると、住民の負担感はそれなりに増えることになります。その負担感を超えて充実感や楽しさがある、だからやめられない、というのが社会教育実践の醍醐味でもあるのです。

    

住民の主体性を無視して、公民館を行政の末端組織へと組み換えて、住民を活用することで自治を高め、財政負担を減らそうとしても、ほとんどうまく行きません。なぜなら、そこで営まれる自治は、行政からやらされている自治であり、住民に負担感が出てきてしまう上、公民館が一般行政の末端となり、行政職員が増員されたのであれば、住民が「やってもらいたい」と思うのは普通のことだからです。住民の行政依存が強まって、自治が後退するのです。

    

益田市でも、この傾向が強まり、住民自治が後退する結果を招くこととなります。しかも、2004年から2007年にかけては、公民館に地区振興センターの人件費などが組み込まれた財源が確保されていて、公民館主導で活動を組織できたのですが、2008年からは公民館の運営経費が削減され、地区振興センターの人件費を含めた経費が地区振興センターに直接配分されることとなって、公民館と地区振興センターの立場が逆転する事態が生まれることとなってしまいました。この結果、公民館予算は激減し、公民館職員(公民館主事)は「電話番」程度の位置づけとされ、公民館による住民の自主的な活動の組織化ができない事態となっていきます。益田市の公民館の低迷期が始まるのです。

   
   
   

公民館活動の低迷


   

益田市はさらに、2014年に総務省が提唱していた地域運営組織の導入を決定し、各地区に地域自治組織を設置していきます。地区振興センターと併設となっていた公民館に地域自治組織の事務局が置かれることとなり、その事務局に「地域魅力化応援隊員」が配置されることにもなりました。「地域魅力化応援隊員」とは、総務省が制度化している「集落支援員」の益田市版で、地域の課題整理や住民の話し合いを組織して、住民自治を強化することを目的としているものです。

    

その結果、公民館の職員体制は、館長1、主事2、応援隊員1の編成となりました。しかし、応援隊員に地域おこしのための予算がつくことで、同じ公民館でありながら、別の予算で動こうとする応援隊員と公民館職員との間に溝ができ、つまり公民館と地域自治組織との間に溝ができ、さらに公民館と地区振興センターとの間もギクシャクするという事態が生まれ、公民館と地域自治組織さらには地区振興センターが三すくみ状態で身動きが取れないという状況がつくられることとなってしまったのです。

    

とくに、公民館と地域自治組織は、同じ地域住民によって担われる活動を基本としていますから、相互のずれは、地域住民の関係にも悪影響を及ぼし、地域社会の人間関係を損なうことにもつながってしまったようです。

    

この動きを受けてか、さらに公民館に併設されていた地区振興センターを地域自治組織の管理に移管し、公民館を廃止する、つまり公民館を市民センターに改組して、地区振興センターと合併し、地域自治組織の指定管理とするという構想が動き出し、それが表面化して、住民の行政不信が募る事態にもなりました。

     

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実は、公民館を基盤として、地区振興センターを併設し、かつ地域自治組織を公民館活動と結びつけて、住民による運営にしていた地区では、住民参加型の地域自治組織がうまく機能して、住民自治を高め、住民によるさまざまな活動が活発に行われて、地域の運営が順調に進んでいたのです。

    

しかしそうでないところでは、公民館活動も地域自治組織の活動も低迷し、自治組織の形成がうまく行かなかったばかりか、地区振興センターの活動も住民の支持を得られず低迷し、公民館廃止論が出るような事態に陥ってしまったのです。

   
   
   

公民館への一本化


   

このような事態に直面して、益田市はOさんを中心として、思い切った手を打ちに出ます。公民館への市の補助金を一律30パーセントカットし、それに対して、「学校・家庭・地域の連携協働」事業として「子ども中心の活動」を提案して、応募する、いわば手あげ方式の予算(補助金)制度を採用し、採択された場合には30パーセントの予算を上積みする仕組みを実施したのです。

    

この結果、この仕組みの実施を契機として、各地区にあった「地域で育む益田の子推進協議会」が公民館単位の「つろうて子育て協議会」へと再編改組され、この協議会が補助金対象事業として採択され、公民館活動へと組み込まれることとなったのです。

    

こうして、すべての公民館に「つろうて子育て協議会」が設置され、「つろうて子育て協議会」が補助金の対象事業とされることで、公民館事務局が補助金の受託団体となり、この協議会の活動そのものが公民館活動として位置づけられることとなりました。「つろうて」とは、地元の言葉で、連れだって、という意味です。

    

その後、「つろうて子育て協議会」が市教育委員会の社会教育主事と連携をとって、地域社会に展開して、子どもを地域社会で育てる活動を推進することで、逆に、市教育委員会の社会教育主事が地域に出かけて、地域住民と連携するきっかけをつくることにもなっていきます。この取り組みは、「次世代の子どもたちを公民館につなげる」取り組みとして進められ、次の二つの役割を持つこととなったといわれます。

    

①地域団体を相互につなげる:「子どもたちのために」という考えを中心において、地域の諸団体が相互に連携・協力するプラットフォームとして「つろうて子育て協議会」を組織すること

     

②中高生を公民館活動や地域活動につなげる:そのために、学校に働きかけて、子どもたちを地域社会に迎えるとともに、彼らの活動を組織し、支援すること

    

この二つの役割にもとづいて、「つろうて子育て協議会」が益田市内の中学校や高校に働きかけ、それに応えた学校が、子どもたちを部活動単位で地域にかかわらせる動きを生み出し、それが地域ボランティアなど地域の活動の手伝いをする実践へと展開していきました。この、地域とのかかわりが、子どもたちの公民館や地域社会に対するネガティブなイメージを壊すことにつながったと、関係者はいいます。

    

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地域社会には「何もない」、公民館なんてお年寄りの寄合の場だ、くらいにしか受け止めていなかった子どもたちが、地域社会で住民たちの活動に触れ、受け入れられ、役割を担うことで感謝される、こういう経験を積むことで、地域社会には面白いおとなながたくさんいること、自分でも人々の役に立てること、公民館が地域社会の人々を結びつけ、さまざまな活動を組織することで、誰もが生き生きと過ごすことができていること、こういうことに気づき、積極的にかかわろうとするようになったのです。

    

つまり、「つろうて子育て協議会」という公民館の事業が、それは事業ではあっても、人が担っている協議会であり、その協議会が、中高生と住民がともに活動する場をつくり出すことで、子どもを含めた地域住民をネットワークする機能を果たし、子どもたちを公民館の活動へと巻き込むことにつながったのです。

    

こうして、「つろうて子育て協議会」が公民館事業として子どもたちを巻き込むことで、次の世代が公民館とつながるとともに、地域自治組織も公民館によって担われる姿が見通されることとなり、地域経営そのものが公民館を基盤とした住民活動によって担われる形がつくられることとなりました。

    

しかも、町内会・自治会と地域自治組織の関係も、いわば旧来の住民自治組織(町内会・自治会)の上に屋上屋を重ねるような組織として地域自治組織が置かれていて、対立や組み込み、さらには一体化という関係であったのですが、公民館が基盤となって、地域自治組織が公民館によって担われることで、町内会との関係も連携・協働という形に組み換えられ、地域社会が安定するとともに、住民自治が強化される動きが出てきたのです。屋上屋を重ねるのではなく、役割を担いあい、協力する関係へと組み換えられたのです。

    

これらの動きを受けて、益田市はすべてを公民館に一本化することを決定します。
(次回につづく)

             
   
   


     

 

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