新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
生活・趣味
2023.04.26
この記事を書いた人
牧野 篤
東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。
「若者よ田舎をめざそうプロジェクト」によって大きく変貌した地域に、先の築羽自治区に隣接する敷島自治区があります。ここも、移住した若者たちの活動フィールドの一つなのですが、「つくラッセル」が築羽小学校の廃校跡地を利用してつくられたこともあって、あまり注目されてきませんでした。しかしここでも、若者たちがこの10年間で40世帯98人も移住してくるなど、地域の活性化に威力を発揮しています。
その一つの手法が、空き家を「開ける」ことです。空き家を開けるなんて、変だなと思われるかもしれません。空き家は空いているし、開いているのではないかと。しかし、現実には、空き家は空いていないし、開いていないのです。空き家とはいっても、人が住んでいないだけで、モノがぎっしりと詰まっているのです。とくに、仏壇や遺影など、他人が手を触れるにはちょっと勇気がいるようなものまでもが、置かれたままになっています。
しかし、移住者を受け入れるには優良の空き家が必要になります。そこで、敷島自治区では、私たちが「田舎をめざそうプロジェクト」を始めた当初から、地元のじいちゃんたちが中心となって、若者たちのために優良物件を探しては、整備して提供し、若者たちが地元に定着するための生活の安定に力を尽くしてくれていました。
この手法がなかなか振るっているのです。空き家は空いていない。だから、家主は盆暮れに帰って、仏壇やお墓の掃除をするから、他人には貸せないというのです。しかし、現実には、ほとんど帰ってくることはない。それを、じいちゃんたちは知っています。そこで、優良物件と目をつけた空き家をどうやって供出させるのか。ここはじいちゃんたちの手腕にかかっています。どうするのか。じいちゃんたちは、家主の住民のところに行って、こういい出すのです。
「お前、盆暮れに帰ってくるっていうけど、ちっとも帰ってこんじゃないか。そんなことでは、お前、罰が当たるぞ。何が、仏壇がある、お墓があるだあ、何が掃除だあ。親不孝者めが。オレたちが仏壇もお墓も、お前みたいな親不孝者に代わって、ちゃんと面倒見てやっから、ほら、家を貸し出せ。バカたれ」
こうやって優良物件を出してくれていたのですが、最近では、いい空き家が見つかると、移住者も含めてみんなで掃除をして、みんなで整理して、きれいにして、移住希望者に貸し出しているのです。地元のみんなで家をきれいにしてもらうことで、家主も感謝し、また貸し出すことに安心するのです。「空き家掃除大作戦」といいます。そしてきれいになった空き家の見学会を開くのです。「暮らしの参観日」といいます。こうして、地元の資産が循環する仕組みをつくっているのです。
この取り組みは2020年の総務大臣賞を受賞するほどに、評価されています。
こうして移住希望者を受け入れてきたのですが、敷島自治区では住民による自治的な活動が強化されています。
私たちがプロジェクトを開始し、若者たちが移住し始めたころ、この自治区のじいちゃんやばあちゃんが総出となって、地区集会を開いて、あることを決定したのです。敷島自治区の総合計画をつくること、それは10年計画とすること、タイトルは「しきしま♡ときめきプラン」とすること、これです。
そして本当に、10年計画をつくりあげたのです。2010年のことです。私が冗談で、「10年計画といっても、それが達成される頃には、みんないなくなってるでしょ」というと、猛然と叱られたことを覚えています。
「先生としたことが何をいいだすんだ。オレたちには、あの可愛い若者たちがいる。オレたちがいなくなっても、彼らが跡を継いでくれる。それが地区の命ってもんじゃないのかい。そんなこと先生にいってもらいたくない!」
軽口とはいえ、下らぬことをいってしまったと反省しました。そして、敷島自治区では2020年にこの「しきしま♡ときめきプラン」の2020年版を策定したのです。この策定会議には中学生から高齢者までが参加し、みんなで自治区のことを考え、自治区を次に世代に受け渡していくための、様々な思いと計画が織り込まれています。手作りの、命の通った、地区の総合計画なのです。写真は策定会議の様子です。
2020年の「ときめきプラン」では、次の3つが謳われています。①過疎化ストップに挑戦すること、②しきしまの宝を守ること、③安心して暮らせる地域をつくること。そして、重点施策として分野横断型プロジェクトが掲げられています。①ささえあいによる社会創造プロジェクト、②自給家族による農地保全プロジェクト、③未来への構造改革プロジェクト、がそれです。
分野横断型プロジェクトのうち、「自給家族」はすでに動き始めており、新しい農村づくりに取りかかっています。
「自給家族」の考え方は次の通りです。谷間にある人口わずか77名の押井という集落をモデルケースとして、農の営みをベースにした新しい集落営農つまり農地保全の在り方を模索すること。そのためには「自給」が鍵となること。
しかし、今のままでは銘柄米ミネアサヒをもってしても、集落を維持することはできない。であれば、コミュニティが営農主体となって、「地域まるっと中間管理方式」を採用して、みんなで農業を一緒に行う形態をとる。それでも消費がなければ、事業は続かない。だからこそ、コミュニティには消費者を巻き込む。
つまり、営農者と消費者が一つのコミュニティをつくって、そこで「米」が循環することで、経済が循環し、集落が農地として保全されていく。消費者は、単に米を買うだけではなくて、集落の保全や農地の保全、ひいては環境の保全にかかわる当事者になる。そうすることで、人間関係が豊かになっていく、こういう循環をつくること。
この営農者と消費者をつないでつくられるコミュニティの名前が「自給家族」なのです。みんなが家族の一員となって、自分の食べ物を一緒につくる。営農者は農作業をして農作物をつくり、消費者はそれを買い取ることで、一緒になって農作物をつくる作業に加わる。それはまた農地の保全と環境保全にかかわる当事者になることでもある。そして、時には直接、畑や田んぼにやってきて、農作業を手伝って、一緒に汗を流し、同じ釜の飯を食う。こうして、交流を図りながら、ともに食料を「自給」する。こういう考え方です。
当初募集の100家族はすでに予約で満杯。長期栽培契約を結んでいて、営農者の生活のバックアップをしてくれています。そして、農作業のところどころで現地にやってきては、作業に参加し、また地域住民と交流して、コミュニティの絆を強めています。
自給家族のプロジェクトでは、このためにミニライスセンターを新規に建設して、すでにこのセンターも稼働しています。今年(2022年)の秋の収穫期には、銘柄米ミネアサヒを積んだ軽トラックが乾燥と脱穀の順番を待って列をなしていました。
「自給家族」がつくりだしたコミュニティの在り方はまた、新しい自治の形だといってよいのではないでしょうか。土地に根ざした農の営みが、営農者と消費者によって支えられ、その結果、作物を生み出す農地が保全され、農を基盤とした集落が維持されて、さらに農山村がその機能を新たにして、持続可能性を高めていく。こういう関係がつくられているのです。
ここには、これまでの農山村活性化の取り組みでは十分にとらえられてはいなかった関係人口とでもいえる、地元に住んでいない人々のかかわりが、きちんとコミュニティの中に組み込まれているのです。しかも単にかかわりがあるということではなくて、長期の栽培契約という形で、実のあるものとして組み込まれ、しかも彼らは単なる消費者ではなく、この集落の営農を支え、自らかかわり、交流し、しかもその作物を購入して、口にする、そのうえ農地の保全を通して環境保全の担い手になる、その意味では農に責任をもち、自分や家族の健康にも責任をもつ当事者として、この営農にかかわっているのです。
しかもこの取り組みは、これまでの農山村集落のイメージを一新するものです。つまり、閉じられた、因習に囚われた地縁関係の集落というイメージから、いわばオープンコミュニティとしての農村というイメージへの転換です。
自分の食に責任をもち、農の営みに責任をもち、それが環境や社会の持続可能性に責任をもつことにつながって、自分の家族が楽しく、安心して暮らせるコミュニティを生み出していく、そういう新しい自治の取り組みだといってもよいかもしれません。
この自治を支えているのは、とてもシンプルなことです。つまり、お互いに信頼しあい、受け入れあい、そして一緒に仕事をすることで、楽しい生活を送ること。尊厳を認めあい、尊重しあうこと。こういう丁寧なかかわりの創造と丁寧な仕事の営み、これこそが「農的な生活」なのですし、それが生み出すのが、安心で、楽しい、日常の生活なのです。
こんな生活、幸せだとは思いませんか。
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