新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2023.02.6
堀部貴紀(ほりべ・たかのり)
中部大学応用生物学部 准教授。名古屋大学農学部資源生物環境科学科を経て、名古屋大学大学院生命農学研究科博士課程(前期課程)へ進学。修了後、岐阜放送報道部に勤務。その後、研究の道に戻り、中部大学大学院応用生物学研究科博士後期課程を修了。現在は中部大学でサボテンを研究する。日本では数少ないサボテン博士。
中部大学 堀部研究室(園芸学研究室)
――サボテンは観賞用植物のイメージが強いですが、生態学的に見ればどのような特徴があるのでしょうか?
まずサボテンは、生命力が非常に「強い」です。たいていの植物はきちんとケアをしないと枯れてしまうのですが、サボテンは3カ月くらい放っておいても死なないんですよ(笑)。環境へのストレス耐性も強くて、乾燥下でも水浸しの状態で育ちます。ウチワサボテンという種類は、プールのように大きい水槽に浮かせても平気でした。
――どんな環境でも生き延びるんですね、すごい。
生命力が強いサボテンはさまざまな分野に活用できる可能性を秘めています。私は主に3つの観点から研究を進めています。
まず1つ目はサボテンを食糧や家畜の飼料として活用するというものです。サボテンのなかには食べられる種類のものもあり、メキシコなど一部の地域ではすでに食用サボテンが流通しているのですが、今後ほかの地域でも食としての活用を広げられるのではないかと考えています。
――えっサボテンって食べられるんですか! おいしいのですか?
おいしいですよ(笑)。オクラやメカブに似た味です。メキシコでは肉料理の付け合わせでよく出てきます。日本ではサボテンを食べることにあまりなじみがないと思いますが、食用サボテンは30カ国以上で生産されていますし、世界を見ればけっこう食べられているんですよね。
――今まで食として見ていなかったものを食べるという点では、「昆虫食」にも似ていますね。
そうですね。「昆虫食」に注目が集まるようになったのは、2013年に国際連合食糧農業機関(FAO)が、昆虫を食用や家畜の飼料にすることを推奨する報告書を公表したことがきっかけだと言われています。
じつはサボテンも2017年にFAOによって、「食用サボテンは食糧危機を救う作物になりうる」と発表されているんですよ。
――世界的に注目されているんですね。
その背景にはやはり、環境ストレス耐性に強いことが挙げられると思います。先ほどお話ししましたが、サボテンは乾燥にも水にも強いです。それはつまり乾燥が厳しい地域でも雨が多い地域でも問題なく育つということなんです。今まで作物を育てるのが難しかった土地でもサボテンなら育てることができる可能性があります。実際に今、カンボジアの地雷原跡地にサボテンを栽培するプロジェクトをある企業さんと進めていて、順調に育っています。
――ほかの2つの研究についても教えてください。
2つ目の研究は、サボテンがなぜ乾燥や高温に強いのを解明して、ほかの作物に利用するというものです。要するに、遺伝子組み換えですね。これはまだ応用段階には至っておらず、今はサボテンの強さを追究している最中です。
3つ目の研究は、サボテンを地球温暖化対策に役立てるというものです。サボテンには、空気中の二酸化炭素を結晶化するという特性があります。石のなかに二酸化炭素を閉じ込めるようなイメージですね。これはほかの植物にもある性質ですが、サボテンは閉じ込められる量がとくに多いんです。しかも長期的に閉じ込めておくことができる。
例えば木も二酸化炭素を吸収しますが、数値として100吸収したとしても、枯れたらそのまま100出ていってしまいます。ところがサボテンは枯れても100のうち5ぐらいは土に残るんです。これもまだ実験中ですが、実証できれば、これまで樹木が植林できなかったような乾燥地帯にサボテンを植えて、地球温暖化の緩和に貢献できるのではないかと考えています。
――サボテンは地球を救うかもしれないんですね。
――ところでなぜ堀部先生は植物を研究する道に入られたのでしょうか?
子どもの頃から生き物全般が好きだったんですよね。実家の庭の半分が柿畑で自然にあふれていて、よく庭の石をひっくり返してアリを観察していました(笑)。生き物とふれあうのが当たり前の暮らしだったので、しだいに興味が向いていったというような感じです。
だから学校の勉強も理科が好きで、高校の頃には生物の教科が一番好きでした。その頃は顕微鏡で小さい生き物を見るのが楽しくて、自分でも顕微鏡を持ちたくて先生に製作会社を尋ねたりして(笑)。教えてもらった会社に問い合わせると、なんと顕微鏡を無償でいただきました。こうした出来事もありながら生き物のことをもっと勉強したい気持ちが高まって、名古屋大学の農学部に進むことにしたんです。
――その頃から研究者になりたいと思っていたのでしょうか?
いえ、当時はあまり研究には興味がなくて。じつはメディア業界志望だったんです。生き物のドキュメンタリー番組を幼いときからよく見ていて、自分もそういうのを撮る人になりたかったんですよね。
研究と接点を持ったのも、4年生になって園芸学の研究室に入ってからでした。それまではただ講義を受けるだけのふつうの学生でした。
――経歴を見ると、現在の中部大学に入る前に岐阜放送に就職されていますね。ですが、その前に名古屋大学の大学院に進まれています。この道のりには何か理由があるのですか?
とくに積極的な理由はなく…というのも、名古屋大学の農学部生は7~8割は院(修士課程)に進むんですよね。それがふつうという空気があって。だからなんとなくの気持ちで院へ進学しました。
ただ、社会へ出る気持ちが強かったことが、植物研究の扉を開いたのではないかと今では思います。私が研究分野として選んだ園芸学は、産業との結びつきが強い分野なんですね。花の日持ちをよくするにはどうしたらいいか、果物をもっと甘くするにはどうしたらいいかなど、基礎研究というよりは実社会に役立つような研究をするところに惹かれました。
実際、院での研究生活は楽しかったです。修士論文はバラの切り花について書きました。花が大きくなるとき細胞のなかで何が起こっているのかを調べることによって、長くきれいに咲かせるための方法を探るという内容で、基礎と応用の両方に取り組むことができて大きなやりがいがありました。といっても、進路を変えることはなく、修士課程修了後は当初の目標だったメディア業界に就職しました。
――念願のメディア業界から研究の世界に戻ったのはどうしてだったのでしょうか?
働いてみて初めて、1つの物事を積み上げていく研究の仕事が自分に合っていたということに気づいたんです。
就職した当初はすべてが新鮮で、楽しかったです。小さなテレビ局でしたから、新人でも初日から実務に関わらせてもらって。撮影、編集、アナウンサーの原稿作成、テロップの打ち込みなど一通りのことをやりました。報道部に所属していたんですが、イベントや事故があればすぐに駆けつけて、取材して。院時代は1つの世界しか見ていなかった分、いろんな現場を知れることを面白く感じていました。
でも半年ほど経った頃、ふと研究の世界が恋しくなったんです。というのは、報道は基本的に世の中で起きたことを次々と追っていくので、1つのことを長く見つめることがないんですよね。もともとは生き物系の番組を作りたいと思って志望した世界ですが、その夢もテレビ局に入ったからといって必ず叶うわけでもありません。そう考えたとき、研究の世界で改めて1つのことに向き合っていこうと思いました。
――それで研究の世界に戻り、サボテンに可能性を見出したのですね。
サボテンを研究対象にしたのはたまたまでした。岐阜放送を辞めて中部大学の博士課程に入った時点ではまだやりたいことは見つかっていなくて。とりあえず修士課程でやっていた研究の続きをやっていたんですよね。でも、ずっと研究の世界でやっていこうと思ったら、やっぱり自分のテーマを持たないといけない。院時代のテーマは結局、指導教員のテーマですからね。
――オリジナルのテーマを探していたんですね。
悩んでいたときにちょうど、大学の近くで春日井市の観光協会が主催するサボテンフェアがあったんです。ちらっと見に行ってみたら食用サボテンがあって、「えっ食べられるサボテン?」と目に留まって(笑)。
――先生も驚きましたか(笑)。
メキシコで食べられているのは知っていたんですが、まさかこんなに近くで出会うとは思っていなくて(笑)。サボテン料理の屋台も出ていたので食べてみたら、なかなかおいしてくまたびっくり(笑)。これは面白いなと、その後すぐにサボテンの研究事例を調べてみました。そしたら日本ではまだちゃんと研究されていないことがわかり、だったら自分がやろうと思ったんです。春日井市にはサボテン農家がたくさんあることも決め手になりました。
――研究すると決めてからはどんな行動を取ったのですか?
国内での研究事例がほぼなかったので、海外の文献を調べてメキシコの研究者を見つけ、連絡を取りました。それでサボテンを研究するうえでの課題や具体的な実験方法について根掘り葉掘り尋ねたんです(笑)。当時、翌年にカリフォルニア大学に客員研究員として赴任することが決まっていたこともあり、「来年渡米するので会いましょう」と対面の約束も取り付けました。
――同じ分野の研究者を訪ねるのは研究の世界ではよくあることなんですか?
直接会うことはあまりないかもしれませんが、質問すること自体はあると思います。ただ、相手にされないことも多いですね。向こうからしたらライバルが増えることになりますから。私も断られるかもと思いつつ連絡しました。でも意外と歓迎してくれる雰囲気で、たくさんのことを教えてもらいました。
――渡米してからは自生するサボテンも見たのでしょうか?
ええ。アリゾナ州のソノラ砂漠にある国立公園で巨大なサワロサボテンを見ました。大きさや形に圧倒されたのはもちろんのこと、強いひざしと肌がひりつくような乾いた空気のなかで雄大にそびえ立つ姿に心を打たれました。
本当にサボテンを研究していく決心が固まったのはこのときだったように思います。最初は「誰もやっていないから」「農家からサンプルを手に入れやすいから」と合理的な判断でサボテンを選びました。でも、過酷な環境で懸命に生きる姿に「やっぱりサボテンはすごい!」と感動を覚え、真剣に向き合っていく覚悟が決まったんです。
――研究するうえで壁にぶつかったことはありますか?
そうですね、まわりの理解が得られなかったことでしょうか。最初はサボテンを研究対象にすると言うと、「そんなのやってどうするの?」「仕事にならないでしょ」「やめたほうがいいよ」なんて言われて。なかには面白いと言ってくれる人もいましたが、反対されることが多かったです。
――冷たい反応だったんですね。
でもとくに気にしませんでした。人間が立っていられないような暑さのなかで堂々と生きていたサワロサボテンを思い浮かべると、サボテンはすごいと思わずにはいられなくて。自分の直感を信じて進むことにしました。
帰国してからはサボテンの強さを評価するため、いろんな条件でサボテンにストレスを与える実験をしました。強い光を当てたり水をまったく与えなかったり。実験を重ねて、最初にお話ししたように、サボテンの強さがわかってきたのです。
――ではこれからサボテン活用を考えていくうえで、工夫していることはありますか?
サボテンの研究会と活用推進のプラットフォームを作りました。 自分1人ではできることに限りがあるので、いろんな人に声をかけてチームで進める体制を整えたんです。
研究会は学内で協力いただける方を募り、食品科学など異分野の先生に参加いただいています。これは多面的な視点で研究するためです。私は園芸学が専門なのでサボテンを育てたり環境ストレス耐性を調べたりすることはできますが、食品としてのサボテンの機能性を調べることはできません。だから自分にできないことができる方々に集まってもらったんです。
活用推進のプラットフォームは学外との繋がりで、メーカーや自治体の方に参加いただいています。主な目的は情報収集や発信で、いっしょに展示会を開いたりしているんですよ。
ほかの研究者からは研究者以外の人と協力することを珍しがられるんですが、私は研究の世界を離れて民間で働いたことがあるからか、外部と関わるハードルが低く、自然に協力を求めていくことができました。もともと思い立ったらすぐやるタイプというのもあると思います。
――経験や長所を活かして活動されているんですね。
経験や長所を自然に活かせるのは、恩師が私をそのように育ててくれたおかげだと思います。
名古屋大学時代からお世話になっている恩師の山木昭平先生は、学生の長所を引き出してくれる人でした。短所を指摘して叱ることもあるのですが、欠点を治すことばかりを言うのではなく、良さを見つけて活かすことを教えてくれました。私が研究の世界に戻るかどうか悩んだときも、すぐ行動するタイプであることを指して、「あなたは自分で進んでいける人だから大丈夫」と背中を押してくれたんです。
もともと私は自己評価が高くありませんでした。小中高大と生き物は好きでしたが、深く学問に向き合ってきたわけではなかったですし、院もなんとなく進んだだけで。そんな人間が厳しい研究の世界に身を置いていいものだろうかと不安でした。でも先生の言葉で吹っ切ることができて。
自分以上に自分のことを評価してくれる人がいるのは心強いことです。恩師にいいところを見せたい気持ちもあって、今サボテン研究に打ち込んでいるんです。
――自分を信頼してくれる人の存在が大きな力になったんですね。素敵なお話をありがとうございました!
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この記事を編集した人
ほんのまともみ
やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。