生活・趣味

【寄稿】人生が変わる「学び」の場・1—大学につながってみませんか(2)|〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる(9)

2022.10.19

〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる(9)
息苦しく不穏な時代の渦中にいながら、新しい⾃分の在り⽅を他者との「あいだ」に見出し、〈ちいさな社会〉を愉快に⽣きる人々がいます。東京大学大学院・牧野篤教授とともに、その〈ちいさな社会〉での生き方を追い、新たな「⾃⼰」の在り⽅を考えてみましょう。
今回から、大学とつながって、楽しい「学び」を通して、新しい自分を発見し、新しい人生を歩み始めた人々を紹介します。

第8回記事「いろんな年齢層がいてこその大学—大学につながってみませんか(1)」はこちら


     

    

この記事を書いた人

牧野 篤

東京大学大学院・教育学研究科 教授。1960年、愛知県生まれ。08年から現職。中国近代教育思想などの専門に加え、日本のまちづくりや過疎化問題にも取り組む。著書に「生きることとしての学び」「シニア世代の学びと社会」などがある。やる気スイッチグループ「志望校合格のための三日坊主ダイアリー 3days diary」の監修にも携わっている。

牧野先生の連載はこちら

 


 

 

 

学び残しの感覚


    

今回から、大学とつながって、新しい人生を歩み始めた人たちのお話をしたいと思います。まずはじめは、Tさんです。

   

私が現在の大学に赴任して5年目くらいだったでしょうか。3年次編入の学生がいて、私の指導生になることを希望しているとの連絡が教務担当からありました。編入学書類を読んで、あれ?っと思ったのが、このTさんでした。なんと、年齢は60歳。ほー、っという感じでした。こういう人もいるのか、と率直に思ったのです。

   

Tさん、大手の貿易会社で本社本部長という役員にまで上り詰めて、定年退職をし、系列企業の社長の座が待っていたのを蹴って、私の大学の3年生に編入してきました。奥様からは、家計のこともあるからと、系列企業の社長の座を断ることに対して、かなりいわれたそうですが、それを説得しての二度目の学生生活でした。

    

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Tさんはもともと、私の現任校の理学部の卒業でした。ご本人の話では、学生時代は日本の学生が「怒っていた」時代、つまり学生運動の季節で、ちょうど東大の安田講堂事件があった頃だといいます。東大に入学したのはよいのですが、学生運動で学部はバリケード封鎖され、授業は休講の連続、やることもないので、たまにデモに行っては、憂さ晴らしに酒を飲むような生活をしているうちに、先輩からいわれて下宿で火炎瓶をつくっていた。そんな物騒な学生生活だったといいます。

    

学生時代を終えてみると、何とも学び残した感じがおりのように心の底によどんでいて、仕方がなかったのだそうです。

              
  
  

やりたかったことを思い出して


   

理学部の学生なのに、きちんと何もほとんど学ばないまま卒業、世間に流されるようにして貿易会社に就職し、そのまま、海外赴任を繰り返して、最後は本社本部長、そして定年を迎えたのだそうです。世間的に見れば、順風満帆な企業人人生だといえるのでしょうが、ご本人は定年が近づくにつれて、自分の人生、こんなことでよかったのだろうかと思うようになったというのです。

   

こんなことで、というのは、一生懸命に生きてきたけれど、世間に流されて生きてきたのではなかったか、と自問することが増えたのだそうです。そしてきちんと学ばなかった学生時代を振り返って、ふと、ああ、そういえば、と思いあたることがあったといいます。

   

ああ、そういえば、オレ、博物館が好きで、学芸員になりたかったのだ、とふとそう思ったのだそうです。

    

   

そうしたら、もう定年後の再就職なんてどうでもよくなって、とにかく自分の若い頃の夢を実現したいの一念で可能性を探ってみたら、学芸員になるためには、理系の専門科目の他に学芸員課程の科目、つまり私が専門としている社会教育・生涯学習関連の科目を履修して、単位を取得しなければならないことを知った。専門科目の単位は、理学部時代に取っているので、あとは学芸員課程の科目が必要だということで、私のところへ編入してこられたのでした。

   
   
   

楽しくて仕方がない


   

編入後のTさんの「学び」は、本当に楽しそうでした。私の担当している授業以外は、Tさんがどんな授業を履修していたのかは、私も知りませんでした。

   

しかし、私のゼミや授業に出ているTさんの顔つきは、いつも何かを探しているような、わくわくしている感じがにじみ出ていて、他の学生たちもこういう顔をして授業に出てくれていたら、教える側も張り合いが出るのに、と幾度思ったか知れません。知的好奇心に覆われているといってもよいような雰囲気なのです。

   

そして、暇を見つけては、私の研究室を訪れ、大学生活の楽しさを訴えるのです。

   

「いやあ、ほんとに、楽しいんですよ。自分の子どもよりも若い学生たちとうまくやれるかなあと心配していたのですが、そんなことまったく杞憂でした。飛び込んでみれば、みんな同じ学生。彼らも僕のことをTさん、Tさんといって慕ってくれるし、こっちも、おお、って感じで先輩風を吹かせて、自分でもおかしくなるくらいなんですが、馴染んでしまって…」

    

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「大学にいるときに、もっと学んでおけばよかった、火炎瓶なんてつくってる暇なかったと、反省することしきりですよ。しかも当時は理系なんで、文系のことをばかにしていましたが、いやいやどうして、理系こそなんだか再現性とか法則性に支配されているようで、人間の本質なんてちっともわかっていなかったなと改めて思います。企業人時代にあんなに悩んだ部下との人間関係も、先生方の議論にかかれば、たちどころに、そういうことだったのか!と理解できるようになる。不思議な感覚なんですよ」

       
   
   

新しい自分を発見


   

さらにTさんは、調査実習にも積極的にかかわって、行った先で教員に間違えられてうれしそうにしていたり、乗り鉄で、私たちと一緒に出かけることをせず、一人鉄道旅を満喫して、調査先に現れたりと、マイペースのなかにも、Tさんがいることでゼミの場が和むことが幾度もありました。

    

そういう役回りも楽しそうにこなしてくれるのです。とても大企業の本部長だった人とは思えないほどに、物腰も柔らかで、人当たりが優しいのです。

   

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「いえね、これも自分で大発見だったんですよ。会社のなかじゃ、本部長ヅラしていないといけないでしょ。だから、偉そうにしていたんです。でも、大学じゃ僕はただの学生ですから。ほんとに気が楽で、学ぶことが楽しくて、学んでいたら、いろいろなことを教えてくれる地域の人たちってみんな先生なんですよ。偉そうな態度は取れないじゃないですか。といって、無理してるわけじゃないんです。自然に、教えて下さいという態度になってたんです。立場が人をつくるっていいますけど、ほんとに、新しい自分を発見したんです。いやあ、楽しいですよ」

  
   
    

学生たちの先輩として


    

このTさん、先輩としても、学生たちから慕われていました。コロナ禍のずっと前ですから、私もよく学生たちと飲みに行ったのですが、とてもではありませんが、Tさんにはかないませんでした。授業に来て、ゼミ生たちを見つけると、「今日、どう? 一杯」と誘うのがTさんの常套手段です。学生たちも心得たもので、「ええ?」とじらしつつ、「いいですよお」と応えて、夜な夜な飲み歩いていたようです。

   

酒の場で、学生たちはTさんの学生時代の武勇伝や会社員時代の体験を聞き、実社会を生きてきた人の言葉に学んだようでした。なかには、恋愛相談や就職相談まで持ちかけた者がいて、「ただ、先輩風吹かせて、大法螺吹いてただけですけどね」と頭を掻きつつも、Tさん自身もまんざらではなかったように見えます。

   

しかも学生たちは、Tさんから実際に就職の面倒を見てもらってもいたのです。「僕の名刺持って、この人に会ってきなよ」と名刺を預かると、普通の就職活動では会ってもらえない人に会うことができるのです。これには、学生たちだけでなく、私も助けられました。なかなか思うような就職ができない時代でしたから、こういう人脈はありがたかったです。

    

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夢かなわず、でも新しい夢が


            

このTさん、あるときしょんぼりしていたことがあります。気になって、どうしたのですか、と尋ねてみると、学芸員資格を取るための単位はそろったが、この年齢になると学芸員の採用はほとんどないという現実を突きつけられて、学生時代からの夢が潰えてしまったというのです。

    

「ほんとに楽しんで学んできたんですけどねえ。最後の詰めが甘かった。これ、会社員時代に先輩からもよく言われたんです。思いつきは面白いけど、詰めが甘いって。ちょっと、凹んでいます」
「では、はじめから学芸員の採用がないとわかっていたら、学生には戻りませんでしたか」
「ええ、そう思います」
「じゃあ、そのまま系列の企業の社長になっていたと」
「そうですねえ。きっと何も考えずに、そうしていたと思います」
「でも、実際、二度目の学生になってしまった。なってみて、どうでしたか?」
「それがまた癪なんですよ。楽しいんです」
「学芸員になれないとわかっても、楽しいんじゃないですか」
「そう、そうなんです。そうか。そうだった!」
「何がですか?」
「先生からいわれて、ハッとしたんです。そうなんですよ。学芸員にはなれないだろうけれど、楽しいんです。これ、会社の社長やってたら味わえない感覚なのです。自分が変わったということも含めて。いや、楽しいし、面白い。これが大事なんですよね。学芸員になれなくても、学芸員のようなことはできるのじゃないか、といま突然思いついたのです。詰めは甘いが発想は面白い。そう、逆にすればいいんですよ!」

   

発想は面白いが詰めが甘いTさんは、ここで詰めは甘いが発想が面白いTさんに生まれ変わって、どうしたと思われますか。学芸員になれないのなら、各地の博物館や美術館を支援する仕組みをつくったらいい。その仕組みのなかで、各地の博物館や美術館と交流して、自分も楽しんでしまおうと考えたのです。

    

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そこで活きてきたのが、会社員時代に培った人脈と事業経営のノウハウでした。Tさんはその後、博物館や美術館、とくに地方にある地元のちいさな宝でありながら、経営に苦しんでいる歴史館や郷土資料館などの博物館施設や美術館を支援するNPOを立ち上げて、忙しく走り回るようになっていきました。

    

新しい夢ができたのです。しかも、もともとの夢の核心はまったくぶれていないのです。

             
   
   

羨ましがられる第二の学生生活


   

Tさんは、学部で2年間学んで卒業論文を執筆して卒業した後、また学び足りない、というよりも「もっと大学にいたくなって」と大学院修士課程を受験し、見事合格。私の研究室の院生として、2年間、修士課程で学び、修士学位を取得して、再び社会へと飛び立っていきました。

    

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博物館支援のNPOを運営する傍ら、昔取った杵柄ではありませんが、東南アジア諸国との貿易に携わる会社を支援するアドバイザーとして活躍し、さらに東南アジア諸国の博物館の整備などにも力を発揮していると聞きました。

   


第二の学生生活が、第二の人生につながり、新しいTさんを日々生み出し続けているのです。

  

Tさんにいわれたことがあります。
「僕ね、先生、社長の相談役をやってるのですが、いつもいわれるんです。君は何でそんなにいつも楽しそうなのか、と。会社にいたときよりも生き生きしていて、会社にいたことがなんだか悪いことのように見える。ちょっと嫉妬してしまう、と」
「それで、何とお答えになったのですか?」
「いや、社長、若い学生たちとつきあって、エネルギーをもらってるからですよ。若いっていうのは、それだけで力があるのです。社長も、会社辞めたら、大学に来ませんか、って」
「社長が大学に来られたら、大学の教員たちも重荷でしょうねえ」
「いえ、でもね、いつも後輩たちにいってるんです。君たちも、定年退職したら、系列企業に出るんじゃなくて、大学に入って、若い学生たちとつきあえって。そうやって、自分の経験を次の世代につなげることが、どんなに楽しいことなのか。人生の後半になるとそれがしみじみわかるようになる。そういう体験をした方がいい、って」

   

このTさん、学生・院生時代につくった学生とのネットワークが、大学を離れてからもつながっていて、いまだに時々、学生たちとオンライン飲み会をやっていると、噂に聞いています。自分なりの〈ちいさな社会〉をきちんとつくっているのです。

   

こういう人生も楽しいのではないでしょうか。


     

 

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