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れきしクン(長谷川ヨシテル)
歴史ナビゲーター・歴史作家。ニックネームは「れきしクン」。埼玉県熊谷市出身、立教大学経済各部卒業。大学卒業後に漫才師としてデビューし、現在は歴史ナビゲーター・歴史作家として、日本全国でイベントや講演会などに出演。番組や演劇の構成作家としても活躍している。明るくわかりやすいトークやで、子供から大人まで幅広い層に歴史の魅力を伝えている。著書に「ポンコツ武将列伝」「ヘッポコ征夷大将軍」「ヘンテコ城めぐり」など。
YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCq12UfQS-ul2-_3kpLQoWQw/videos
ブログ:https://rekishi-kun.com
――長谷川さんは書籍・トークライブ・ラジオ・YouTubeなど、幅広い分野で歴史の魅力を伝えておられますが、毎日どのようなスケジュールで過ごしているのですか?
学生時代から夜型なので、寝るのは夜中の3時、4時ぐらいですね。お昼頃に起きて、仕事のメールに1、2時間かけて返信します。「こういう武将はいませんか?」とか、「この歴史は合っていますか?」といった問い合わせが多いです。日中は本の執筆やお城のブログ)の更新に費やしていますね。夜はYouTubeの配信、大河ドラマの裏実況とか、ゲームチャンネルも定期的に配信しています。土日はイベントで出張に行くこともあります。
――その合間に、お城巡りや史跡巡りなどもしているのですか?
出張の時は前後の日程を休みにします。休みを自分で決められるのは個人事業主の強みですから(笑)。島根県松江市の観光大使をやらせていただいているのですが、6月のイベントの際は前日入りして、隠岐島に日帰りで行きました。それで翌日に仕事をして、その翌日と翌々日にも休みをとって鳥取県のお城を回って帰ってきました。
――貴重なオフも各地のお城を巡っているんですね。お仕事で特に喜びを感じるのは、どんな瞬間ですか?
自分が「へぇー!」と思ったことを伝えたい、という思いが原動力になっているので、歴史の話をするイベントなどで、「へぇー!」という反応や笑いが起きた時は嬉しいですね。
それと、この仕事の本当の意味でのゴールは、歴史好きや専門家が増えて歴史業界や観光業が盛んになっていくことだと思っているので、お子さんたちと触れ合うことは原点だと思っています。この間、僕が松江城の中に隠れて、子供たちに見つけてもらうイベントがあったのですが、遊びの中で歴史やお城を楽しんでくれるのは最高ですね。
――著書の「ヘンテコ城めぐり」「キテレツ城あるき」には、長谷川さんの“お城愛”が詰まっていますね。お城が好きすぎて城跡に住んでおられたこともあるとか?
そうですね。これまでに500以上のお城を巡ったと思います。家を探すときに「城址(*お城の跡)」という条件で昔のお城の敷地などを不動産屋さんに見せて探してもらい、城跡に住んでいたことがありますよ。「そんな条件初めてです」と言われましたけど(笑)。今は世田谷城の“城下町”に住んでいます。
――日常にお城があるとはすごいですね。特別に思い入れのあるお城はありますか?
神奈川県小田原市にある石垣山城というお城ですね。豊臣秀吉が小田原征伐の際に造った城で、山頂から相模湾が一望できるんです。毎年、初日の出を見に行っているんですよ。
あと、僕が生まれた熊谷市は、戦国時代や江戸時代はお隣町の行田市にある忍(おし)城というお城の領地だったこともあって、ここも特別です。調べてみると、僕の先祖が水攻めされていた時に忍城に籠城していたらしいんです。ご先祖様の職場なので、身近に感じるんですよね。
――そもそも、長谷川さんが歴史に魅了されたきっかけは何だったのですか?
「小学校の時から歴史が好きだったの?」とよく聞かれるのですが、実は歴史デビューは遅くて、二十歳になってからです。大学までは体育会系の野球部でバリバリ活動していたのですが、通用しなくて、大学2年の時にやめました。エネルギーをすべて野球に注ぎ込んでいたので、やめた後はまず普通の大学生らしいことをしてみたくて、「海外旅行に行こう!」と。それでお金を貯めてローマ・パリに行ったんです。ただ、行きの飛行機の窓から日本が見えたときに、「あれ、自分は日本のことすらあまり知らないな」と、ミーハー心だけで海外に行こうしているのがめちゃくちゃ恥ずかしくなってしまって…「帰国したら日本の歴史を勉強しよう!」と思ったのがきっかけでした。
――帰国してからはどのように勉強を始めたのですか?
勉強と言っても、歴史って教科書を開くと最初は先土器とか縄文時代じゃないですか。記録に残っている人物も少ないし、ドラマ性が感じられなくてまったく頭に入ってこなかったんです。それで、なんとなくネットで自分の名前を検索してみたら、ちょうど戦国時代の足利義輝さんという将軍を見つけて、「名前が一緒だ!」と。「剣豪将軍」という異名を持つ剣の達人で、この人がとにかくかっこよかったんです。それで、一番人気のある戦国時代に興味を持つようになりました。
――歴史は人物名や年号などの暗記が大変なイメージがあります。どうやって知識を増やしていったのですか?
僕は歴史を楽しみながら学べたらいいなと思って、ゲームの「信長の野望」をやり始めたんです。野球をやめて暇だったので、部活の時間をそのままゲームに費やして、寝る間も惜しんで年がら年中天下統一していました(笑)。それで、わからないことがあれば本やネットを見て調べる、ということを続けていくうちに歴史に詳しくなっていきました。一日6〜10時間ぐらいはやっていて、それを大学卒業まで2年間続けましたから、親だったら普通は許さないでしょうね(笑)。でも、大学はしっかり卒業しましたよ。
――「名前が同じ」というところから、どんどんのめり込んでいったのですね。
そうなんです。たとえば、ドラマを見て「この人、自分っぽいな」と思うと、そのキャラクターや演じている人を好きになることがありますよね。僕はその対象がたまたま歴史だっただけで、「嘉輝(よしてる)」という名前をくれた両親に感謝しています。あと、元々がオタク気質というか、夢中になるととことん没頭するタイプなんです。実は、立教大学に進んだのも東京六大学野球に憧れたからで。ミーハー心で何がなんでも現役で進学して明治神宮球場で六大学野球に出たいと思って、部活を引退してからの半年間で猛烈に勉強して偏差値を30ぐらい上げて合格したんです。今でも、あの時は本当によく頑張ったなぁと思います(笑)。
――それはすごい!それだけ夢中になったり打ち込める目標を見つけるためには、長谷川さんのように、自分との共通点や、憧れの対象を見つけることもきっかけになりそうですね。
そうですね。まずは共感できることが大事だと思うし、自分のキャラクターを知ることも大切だと思います。僕は、学生時代は「なんとなく周りに褒められることをやっていればいいだろう」と思っていましたが、ある時から「自分の個性ってなんだろう?」と思うようになって。足利義輝さんに出会ったのはその時期とも重なったんです。その後は、歴史上の人物たちの生き方に自分の失敗や挫折を重ねたり、共感したりしながら自分のアイデンティティを確立していきましたね。
――ただ、大学卒業後は漫才師の道を目指されました。当時は「歴史を仕事に」とは思わなかったのですか?
その時はまさか、歴史が仕事になるとは思っていなかったんですよ。大学は史学科ではなく経済学部に入ったので、歴史は独学でした。だから、完全に趣味でしたね。
中学生の頃からバラエティ番組が好きでよく見ていて、高校の時にM-1がブームになったので、ミーハー心で「漫才をやってみたい」と思うようになって。野球を辞めてからはその思いが強くなり、高校時代の同級生と一緒にワタナベコメディースクールに入学しました。その頃も歴史好きの芸人さんやタレントさんはいて、アメトークで◯◯芸人という共通のテーマを持った芸人が出演するコーナーがあったので、「自分だったら野球芸人か、歴史芸人かな?」とイメージを膨らませていました。
――そこから、「れきしクン」というニックネームが定着するまでの転機はどこにあったのでしょうか。
お笑いの仕事をしていて、次第に限界を感じるようになったんです。売れていく漫才師の方たちは、面白さのレベルが違う猛者ばかり。「自分はなんて普通の人生を送ってきたんだろう?」と現実を突きつけられて、27歳ぐらいの時にコンビを解散しました。その頃からピンで歴史のお仕事をいただくようになり、30歳ぐらいまでは「歴史芸人」を名乗って活動していたんです。
でも、カジュアルスーツにトレードマークでもある兜をかぶっていると、どうしても一発ギャグを求められてしまって。一発ギャグが得意ならコンビも解散していないと思いますよ(笑)。それで、「歴史芸人」という肩書きは芸人さんへのリスペクトを欠いているなと思って、芸人も引退しました。
そんな時に、「戦国武将総選挙」という特番に出演する機会をいただいて。そこで覚悟を決めて「れきしクン」と名乗り始めました。「さかなクン」をリスペクトして考えたのですが、今度は名前のプレッシャーがすごくて(笑)。より「専門家の方や研究者の方たちに失礼にならないように、真摯に歴史に向き合おう」と、必死で勉強するようになりました。
――挫折を乗り越えて、自分らしい「道」を見つけたのですね。
そうですね。野球で挫折して、漫才で挫折して、歴史芸人としても挫折しました。今でも毎日、自分の知らないことに出会って「まだまだだな」とがっかりしたり、もっと上手く伝えられたのにな、と落ち込むことはありますよ。でも、それも含めて伝えることが楽しいんですよね。
――歴史に詳しいアイドルや歴史マニアの方もいる中で、ご自身の強みはどんなところだと思いますか?
情報量では絶対に負けてはいけないと思っているので、歴史の表面的な情報だけではなく、元資料も把握した上でいろいろな引き出しを持つようにしています。
あと、僕は兄と妹がいる次男なのですが、プライベートも仕事も次男的なポジションというか、調整役が性に合っているんですよ。それは歴史にも言えることで、歴史の本は難しい言葉もたくさん出てきますが、わかりやすいように補足情報を加えたり、調整役やまとめ役、橋渡し役という立場を意識しています。
――ーートークだけでなく、長谷川さんの文章がわかりやすく読める理由が分かった気がします。ご著者の「ポンコツ武将歴伝」や「ヘッポコ征夷大将軍」では様々な武将たちの人間くさい面を知ることができて、親しみがわきました。
昔から、歴史上の人物イコール偉人、という見方に疑問があって、「そうじゃない面もあるだろうな」と思っていたんですよ。たとえば合戦に弱いとか、酒癖が悪いとか(笑)。僕が歴史にハマり始めた頃はそういう逸話はなかなか知られていなかったので、ネット上の歴史掲示板で江戸時代に捜索された資料などからそういう情報を見つけて、よく見ていましたね。
野球を辞めて鬱屈としていた頃だったので、「彼らもこういうミスをしたんだ」とか、「こんなディスられ方をしているんだ」と知って、その武将たちをさらに好きになったんですよ。
――長谷川さんのように「好きなこと」をライフワークにするためには、何から始めればいいでしょうか。
まずは、自分が共感できるものや夢中になれるものを見つけたら、「自分で環境を作る」ことが大切だと思っています。そのために、僕はまず口に出します。「なりたい自分」を身近な人に宣言して、言うことで逃げ道がなくなって、恥をかきたくないのでやるじゃないですか。そうやって、自分に程よいプレッシャーを与えてアプローチしていく。その結果が失敗だとしても、まずは行動を起こすことが大切だと思います。
――「歴史を伝えたい」という情熱を具体的な目標に変えて、楽しみながら知識やスキルも磨いてこられたんですね。
そうですね。芸人時代もこの感じでやれていたら、もっと上手くいったんじゃないかなと思いますよ(笑)。当時は弱点を隠そうとして、尖ったり繕ったりしていましたから。その前の学生時代は、人とは違う自分の「オタク」な部分を隠そうとしていました。
でも、実は逆なんですよね。人より秀でていることも、ダメな部分が目立つのも「個性」だから。それを補おうとするのではなく、凸凹でいいんですよ。僕は30歳ぐらいでようやく、そのことに気づけたのかもしれません。それからは、恥をかけるようになりました。
――今後、チャレンジしたいことはありますか?
まず、NHKの大河ドラマからの正式オファーを待っています!(笑) 大河ドラマ関連の解説番組には出演したことがあるので、いつか出られたらなぁと。実現したら親戚中が大喜びだと思いますよ。それと、時間ができたら歴史小説にも挑戦したいです。あと、近々でトライしたいと思っているのが、テーマソングです。講演会で、「自分が喋っているだけではエンタメではないな」と思って、1分ぐらいの歌を作りたいなと。
それと、“歴史好きキッズ”を集めてコンテストをやりたいんですよ。普段、学校で歴史を共有できる仲間ってそんなに多くないと思うんです。そういう、将来の歴史業界の有望株のお子さんたちの芽をどんどん伸ばそう!という企画で、歴史キッズが情熱をぶつけられる場所をいずれ作れたらいいなと思っています。
――ありがとうございました。これからも多方面でのご活躍に期待しています!
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この記事を編集した人
ナカジマ ケイ
スポーツや文化人を中心に、国内外で取材をしてコラムなどを執筆。趣味は映画鑑賞とハーレーと盆栽。旅を通じて地域文化に触れるのが好きです。