新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2022.07.7
猪野正哉(いの まさや)
焚き火マイスター・日本焚き火協会会長・アウトドアプランナー。モデル、ライターとして活動し、TBS『マツコの知らない世界』の「焚き火の世界」に登場。フジテレビ『石橋、薪を焚べる』の焚き火監修や、BS日テレ『極上!三ツ星キャンプ』の三ツ星ファミリーの一員としても活躍。著書に『焚き火の本』『焚き火と道具』(ともに山と渓谷社)。焚き火の魅力を広く伝える活動を行っている。
インスタグラム:https://www.instagram.com/inomushi75/
――新しい著書『焚き火と道具』を読ませていただきました。最初の著書『焚き火の本』もそうでしたが、猪野さん独特の焚き火へのこだわりが感じられて、すごく面白かったです。
ありがとうございます。
『焚き火の本』:焚き火のハウツーと知識を徹底的に解説する「焚き火実用書の決定版」。焚き火の装備や準備から焚き火料理、片付け方まで、美しいビジュアルで、焚き火の達人・猪野正哉氏がわかりやすく解説。(山と渓谷社)
――『焚き火の本』はすごく焚き火をしたくなりますし、『焚き火と道具』は魅力的なアイテムをたくさん紹介されていて、キャンプに行く予定もないのに、いろいろな道具が欲しくなりました(笑)。
よかったです(笑)。
『焚き火と道具』:焚き火道具について語り尽くした1冊。使う道具それぞれに物語があり、選んだ理由や手放せなくなったポイントがある。 焚き火にあたりながら読むにふさわしい、新しい焚き火のバイブル。(山と渓谷社)
――『焚き火と道具』では「着火剤は邪道と言われても私はバンバン使う」と、いきなり着火剤を紹介されていますよね。達人は着火剤を使わず、自力で火を起こすものかと思っていたので驚きました。
火おこしは、着火剤を使ってパッと済ますに限ります。焚き火愛好家の中には、「着火剤は邪道」という考え方の人もいるんですけど、火おこしに凝ったところで、それって本人の思い出だけで、2〜3人のときにそれをやっても絶対思い出にはならないんですよ。焚き火は火を囲むことがいちばん大事なので、過程より結果なのかなって。
――「達人でも着火剤を使うんだ」と意外でしたし、「使っていいんだ」とホッとしました(笑)。
やっぱりこういう業界にいるとアウトドアの達人にいっぱい会うんですけど、「アウトドアはこれだ」みたいな人が多いんです。そういうのって何気にとっつきにくい部分があるじゃないですか。だから僕はハードルを下げてあげて、「別に自由でいいんだよ」と伝えたいなって。
――肩肘張らないフラットなスタンスがとても良かったです。今回は猪野さんのこれまでの歩みについて伺っていきたいのですが、まずは「焚き火マイスター」としての活動について教えていただけますか?
もともとモデルとかライターを雑誌でやらせてもらっていまして。そこから今は本当に焚き火だけで生計を立てているかんじなんですけど、基本的には今も、焚き火にまつわるモデルだったり、ライティングをしたりしています。
――『マツコの知らない世界』に出演されたり、石橋貴明さんの番組『石橋、薪を焚べる』の焚き火監修をされたり、テレビでも活躍されていますよね。
そうですね。最近はチュートリアルの徳井(義実)さんに雑誌の企画で教えたり、それがYouTubeに上がったりもしています。最近はワークショップも増えてきました。
――焚き火のワークショップですか?
火おこしの方法を教えるワークショップですね。キャンプ場とか焚き火ができるところなら、どこでもやっています。
――猪野さんの本を読んで驚いたのですが、最近はマッチを擦れない大人が増えているそうですね。
そうなんですよ。僕もびっくりしたんですけど、今はタバコを吸う人も減って、オール電化とかになってるじゃないですか。だからマッチを擦る機会がないんでしょうね。あと、これは僕のワークショップじゃないんですけど、火を見たことがなくて、焚き火の炎に触って大火傷した子どももいるそうで。
火って本能的に怖いと思うものじゃないですか。そういう本能も薄れてきているのかなって。だから、そういう意味でも火おこしのワークショップは大事なのかなと思っています。
――焚き火の魅力を伝える活動には、どのような思いがあるのでしょうか?
僕の中では、焚き火って大したことのないものだと思っているんです。今は非日常のアイテムとして皆さん焚き火にハマってると思うんですけど、自分は千葉の片田舎で育ったので、日常の延長に常に焚き火があったんです。なので、皆さんの中には「焚き火って難しい」というイメージがあると思うんですけど、「実際はそんなことないよ」と伝えたくて。
それと、今って焚き火ができる環境がないじゃないですか。昔はそのへんで、それこそ家の庭先とか神社とかでできたと思うんですけど、今は規制が厳しくて、わざわざキャンプ場まで行かないとできない。なんとなく窮屈な世の中になっているので、昔みたいに戻ったらいいよね、って思いもあります。
――たしかに昔は、近所でカンカン(一斗缶)とかで焚き火をしてましたよね。
それがいちばん理想ですね、僕は。ちっちゃい頃、夕方になると建築現場とかのお兄ちゃんたちが、カンカンで焚き火して、コーヒー飲んで、タバコ吸って、吸い殻をカンカンの中に捨てて「1日、おつかれー」みたいな光景って普通にあったじゃないですか。
焚き火って、要は1日の終わりのチャイムみたいなかんじだったと思うんです。そこに誰かがふらっとやって来て「ちょっと温まってもいいですか」「いいよ」みたいな、ちょっとした触れ合いもあったり。そういうのがいいなって。
今のキャンプ場で「焚き火してるんですね。ちょっと温まってもいいですか?」って他のサイトから来たら、すごい嫌な顔されそうじゃないですか、不審者だと思われて(笑)。
――かもしれないですね(笑)。
実際、僕はキャンプ場に来ているおじさんに「このテント、いいですね」って普通に話しかけたら、ガン無視されたことがあって。なんか世の中、変わってきているんだなって。
だから、できることなら、この焚き火ブームをきっかけに文化としての焚き火を取り戻したい。日常の延長に焚き火があるような世の中になってほしい。そういう思いはありますね。
――猪野さんは、現在は焚き火マイスターとして活躍されているわけですが、もともとは、なりたい職業もなかったし、アウトドアにも興味なかったそうですね。
それは今も変わりないです。別にここが僕の終着ではないと思っています。要はモデルにしてもライターにしても、自分発信ではなく、受ける側じゃないですか。焚き火にしても、自分発信ではなく、望んでくれる人がいるからこそやっているわけで、別に焚き火だけにこだわってるわけではないんです。
――最初にされた仕事は、モデルだったんですよね。それはどういうきっかけで?
予備校時代に付き合っていた彼女が冗談半分で『メンズノンノ』って雑誌に応募しようってなって、たまたま受かっちゃったってかんじで、別にモデルを目指していたわけじゃないんです。
ライターも『POPEYE』って雑誌の撮影中に「猪野くん、文章とか興味ないの?」と聞かれたので、「ちょっとあります」と答えたら、本当に書くことになって。
――どちらも「とりあえずやってみようかな」と?
僕はいつもそれなんです(笑)。人に勧められたら、まずは素直にやってみる。
――実際にやってみて、どうでした?
楽しかったですよ。僕は本当にやりたいことも、なりたい職業もなかったので、「依頼されたらとりあえずやる」を心掛けて、何でもやっていました。
例えば、当時はラーメンブームだったので、1日に5軒ハシゴして、残さず食べて原稿を書かなくちゃいけなかったりとか、しんどいこともありましたけど、面白かったです。
――猪野さんは、モデル、ライター、焚き火マイスターと順風満帆の人生のように見えるのですが、実は起業に失敗して借金を背負ってしまったことが、大きな転機になったそうですね。
そうですね。20代の終わり頃、モデルが自分たちのブランドを立ち上げることがブームになっていて、それに乗っかってみようと先輩に誘われて、アパレルショップを立ち上げたんです。
最初はうまくいっていたんですけど、資金繰りが苦しくなって、消費者金融にお金を借りてしまって。結局、失敗して、先輩は音信不通になってしまって、借金を背負うことになりました。
ただ、お金のトラブルもあったんですけど、それより大きかったのは、土壇場になったときの人間性ってあるじゃないですか。カッコいいと思っていた先輩がカッコ悪くて。僕はそれがすごいダメで、人間不信みたいになってしまって。
そういう歯車がひとつ狂うと、悪い噂も立ち、友人関係も親子関係もズタボロになって、「もういいや」と思って、深夜の倉庫で働いて、借金だけを返すような生活がスタートしました。
――倉庫で働いていたのは、どれくらいの期間だったんですか?
10年くらいですかね。30歳から40歳近くまでやっていたと思います。焚き火マイスターとして「マツコの知らない世界」(2019年2月26日放送「焚き火の世界」)に出させてもらったときも、たまにバイトに行ったりしていました。
――当時は、将来についてどのように考えていたのですか?
先のことは考えてなかったです。日々淡々と、夕方に起きて、バイトに行って、夜中に帰ってきて、みたいな生活で。とりあえず両親には「たぶん結婚はできないから諦めて」と伝えました。
――倉庫のアルバイトから焚き火マイスターになられたのは、どんなきっかけだったのでしょう?
倉庫で働いて、そういう日の目を見ない生活というか、人ともまったく連絡を取らなくなったときに、それでも声をかけてくれる人っているじゃないですか。友人が「山に行こうよ」って誘ってくれて。
そこからですね。当時はアウトドアにもまったく興味なかったので、本当に嫌々行ったら、山にハマって。それから毎週のように、何度も山に行くようになりました。
――山のどんなところに魅力を感じたのでしょうか?
山登りって、しんどいじゃないですか。立ち止まったり、座り込んだり、振り向いたりしないとできない。それって日常生活では、できないじゃないですか。しちゃいけないというか、カッコ悪いというか。
たぶん僕はプライドが高くて、立ち止まったり、座り込んだり、振り向いたり…がずっとできなかったんです。でも、山の中では、それをしないと前に進めない。
そう気づいたときに、山すげーと思って。俺って本当にちっぽけだったんだな、今まで何を考えていたんだろう、ちっちゃいことにいちいちクヨクヨしていたんだなと、すごい感じたんですよね。
――日常生活でも、立ち止まったり、座り込んだり、振り向いたりしてもいいじゃないかと?
そうですね。なんか考え方が変わりました。例えば、本を書いたりするときも、カッコいいことを書くのは簡単なんですけど、カッコ悪いことは書けないし、なかなか言えない。でもそっちを言えるほうがいいのかなって思いがすごくあります。
――著書でも失敗談をたくさん書かれていますよね。『焚き火と道具』でタバコを紹介されているのも、今の時代に勇気あるなぁと思いました。
キャンプする人って、さわやかとか、環境に優しいとか、イメージ先行の部分があるじゃないですか。だから人前では吸いにくかったりするので、隠れて吸うのは未成年のときだけで十分かなと、公にしちゃっています(笑)。
――では、山にハマって、そこから焚き火マイスターの道へ?
いえ、実はそうじゃなくて、たぶんきっかけは2つあるんです。ひとつは、僕が焚き火の魅力に気づいたのは、倉庫で働いているときに、父親に「話がある」と言われたことがあって。今、僕が運営している「たき火ヴィレッジ<いの>」という、実家のそばに焚き火ができる場所があるんですけど、わざわざそこまで車で行って、囲炉裏を囲んで両親と話したことがあったんです。
で、父親が「お前、何か隠し事があるんだろう」って。借金を黙っていたのですが、やっぱりわかるんでしょうね。そういうときって、目を見て話せないじゃないですか。でも焚き火があれば、炎を見て話せる。
そのときに「焚き火ってすごいな」と思ったんです。こういう仕事をしていると焚き火の魅力についてよく聞かれるんですけど、それは人それぞれでいいと思うし、正解を出す必要もないと思います。
ただ、僕の中では、「コミュニケーションツールとしてすごい」なんですよ。ひとりで焚いても寂しくないし、仲間と囲めば親睦が深まる。話しにくいことも焚き火をしながらだと、なぜか話せる。無言であっても場を成立させてしまう力がある。それが焚き火の魅力なのかなって。
――いいですね、焚き火。では、もうひとつのきっかけは?
山登りを始めたら「あいつ最近、山登りを始めたらしいよ」みたいな情報が流れて、『PEAKS』って山雑誌の編集者が山登りできるモデルを探していたみたいで、声をかけてもらったんです。「ライターもやってました」と言ったら、登山のルポライターみたいな仕事もやらせてもらえるようになって。それから3〜4年は、昼は山雑誌のライターをやって、夜は倉庫で働く、みたいな生活をしていました。
で、山登りの雑誌もシーズンによって、キャンプや焚き火の企画があって、そういうときに僕は火おこし担当だったんです。あるとき、別に何とも思わず普通に火おこしをしていたら、その場にいた編集者やスタイリストが「せっかくだったら、肩書きをつけようよ」って。
冗談半分で誰かが「焚き火マイスターってどう?」と言ったら「いいっすね」みたいになって。それまで僕の肩書きは「アウトドアプランナー」だったんですけど、それが「焚き火マイスター」になって。
それを「マツコの知らない世界」のリサーチャーが見つけたみたいで「番組に出てください」ってなって、そこから「焚き火マイスター」という肩書きが独り立ちしていって。
――焚き火マイスターとして、いろんな仕事が来るようになった?
はい。なので、いちばん驚いているのは、たぶん僕だと思います。もう人様の前で仕事をすることはないと思っていたのに、まさか焚き火で生計を立てることになるなんて(笑)。
――猪野さんの歩みを伺うと「とりあえずやってみよう」がすごく大事なんだなって思います。モデルもライターも山登りも、人に勧められたことをやってみて、それで人生が開けてきたんですね。
それは確実にあります。そういう人生を送っている人もすごく多いと思うんですよ。本当に自分のやりたいことをやっている人って少ないと思うし、人に勧められたことをやるのでも全然いいと思います。
――ただし、やる以上は本気で頑張る?
そうですね。あと、何事もやったことのないうちから、先入観だけで否定するのは良くないなって思っています。倉庫で働いているときも、夜中だし、そこで働いている人たちって、みんな陰のある人ばっかりだったんですけど、そこにも笑顔はあるし、くだらない話で笑って、楽しかったんですよ。
焚き火にしても、火おこしの方法をひと通りやってみた結果、着火剤が自分にいちばん合っていた。失敗してもいいので、あれもこれも先入観を持たずにやるのが、すごく大事だと思いますね。
――そのほうが自分の興味のなかったことに出会えて面白かったりしますもんね。
それはすごくいいですよね。「あ、こういう世界もあるんだ」って知れるのは楽しいし、それで世界が広がります。受け身の人生も悪くないんじゃないですか。
――焚き火マイスターと呼ばれるようになって、変わったことはありますか?
親とよく喋るようになりました。昔は世間話もしないような関係でしたけど、今は父親も焚き火ヴィレッジに自分の友達を呼んで遊んでいて。昭和のはじめ頃の人たちって、アウトドアスキルがすごいんですよ。そういう人たちの焚き火を横目で見ながら「こういう風にすればいいんだ」と教わって。年配者、この世の中をつくり上げた人たちってすごいんだなと気づきました。
だから周りに感謝です。焚き火を通じて、当たり前のことがすごいと思えるようになりました。これまでたくさん失敗してきましたから、自分ひとりじゃ何もできないんだなっていうのは常々思います。
――ワークショップでも、子どもたちに「たくさん失敗して、たくさん笑ってほしい」と伝えていると本に書いてらっしゃいましたね。
今って失敗することがすごいダメじゃないですか。でもアウトドアは、ほど良い失敗が次につながるんです。なので、子どもたちをできるだけ自由にしています。ちょっと危ないことをしても、子どもにとってはそれがいちばん楽しいし、本当に危険なときは子ども同士で「それやっちゃダメだよ」って注意し合います。大人が怒ったり、注意するよりも、そのほうが心に響くと思うんですよね。
失敗しても、それを笑ってあげられる環境であってほしいし、失敗して自分で気づくことが大事なのかなって。それはいつも心掛けています。
――理想としては、日常生活や人生も、そうあってほしいですね。
もうちょっと寛容な世の中になってほしいですよね。昔はもうちょっとおおらかだった気がします。焚き火を通じて、そんな世の中に変えていけたらなと、ちょっと思っています。
今はキャンプブームですごい人気ですけど、「そんなにみんな現実がつらいのかな」って感じることがあるんです。本当はキャンプに行かなくても、身近に癒されるものがあるといいのになって。
――だからこそ、焚き火を日常の延長に戻していきたい?
そうですね。本にも書きましたが、一気に世の中が変わることはなくても、コツコツ続けていれば、少しずつでも変わっていくはずです。実際、焚き火NGの公園が、イベント時だけは焚き火ができるようになったりと緩和されてきました。
僕も今は焚き火業界の中心でいろいろやっていますけど、5年後くらいには焚き火マイスターなんていらなくなっていたらいいと思っています。それは焚き火が一般化されて日常になったことだと思いますので、それまでは焚き火の魅力を伝えていきたいですね。仕事がなくなることは不安ですが、また誰かが手を差し伸べてくれると信じています(笑)。
――本日はありがとうございました。今後のご活躍も楽しみにしています!
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この記事を編集した人
タニタ・シュンタロウ
求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。