新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
生活・趣味
2022.04.21
タカマノブオ
1962年生まれ。福井県出身。小学生の頃に「箱庭」製作を体験したことから、ミニチュアづくりに興味を持つ。1988年頃から余暇を利用して本格的に住宅模型づくりに打ち込む。2003年、『サザエさん』の「磯野家」製作を機に、アニメや映画などに登場する主人公たちの住まい研究を開始。2016年、「神の手 ニッポン展」に出展、第2期「神の手アーティスト」認定。
ホームページ:モケイの住宅展示場!名作の世界へ。
YouTube:タカマノブオちゃんねる
――タカマさんは「立体間取り作家」ということですが、どのような作品を作られているのでしょうか?
基本的には1/40スケールの住宅模型を製作しています。主にアニメや映画などに登場する主人公たちの住まいを作っているんですが、「間取り作家」との名前のとおり、家のなかの間取りを細かいところまで再現しています。人が住む空間を表すことにこだわっていて、見た人に物語の世界に入り込んでもらって、そこでの生活を思い浮かべて楽しんでもらいたいなと思っているんです。
――本当に細かいところまで作られていて、思わず「ここでご飯を食べて、ここで寝て…」と暮らしを想像したくなります!
「動き」を表すことにもこだわっているんですよ。物語のなかで特徴的な動きの場面があるとそれも再現したいと思っていて。ディズニー映画『カールじいさんの空飛ぶ家』を題材にしたときは、カールじいさんの家だけでなく、まわりに建つビルも作って、そのビルにアームを取り付け、家と繋げて浮くように工夫しました。
――風景を浮かび上がらせることに苦心されているんですね。こうした模型づくりの原点は何だったのでしょう?
原点は、小学校低学年のときに「箱庭」を作ったことです。図工の授業での取り組みで、身の回りの風景を木箱のなかに作るということをやったんですね。土や小石、木の枝なんかを配置して、自分が遊んでいた田んぼの風景を再現しました。
「学校へ行くときいつもここで道草をくってるんだよなぁ」なんて思いながら作っていたんですが、いつもの景色を空の上から見下ろしているかのような感覚がとてもおもしろくて夢中になりました。「鳥になったみたい!」と。その体験から、ミニチュアの世界に興味を持つようになったんです。
――早いうちから夢中になれるものを見つけられたんですね。
子どもでしたから趣味と言うほどではなかったですけどね(笑)。楽しい遊びのひとつという感覚で。ただ、自分なりにミニチュアづくりに対して熱意はあって。小学校高学年のとき、クラスメイトが夏休みの工作の宿題としてミニチュアハウスを持ってきたことがあったんですが、それが明らかにその子が作ったものじゃなくて、不愉快な気持ちになったことがありました。
その子が持ってきたものは出来栄えがよすぎたんです(笑)。問いただすと、「親戚の大工のおじさんが作ったんだ」とその子は答えて、「それはルール違反じゃないの!」と反発しました。多少ものづくりに自信があったので、「これが万が一賞にでも選ばれたらエライこっちゃ!」と思ったんですよね(笑)。それで、「これよりもっといい作品を作ってみせる!」と燃えていって。
――好きなものでズルされて腹が立ったんですね(笑)。でも子どもだと材料ひとつ用意するのも大変そうです。当時はどんなもので作っていたんですか?
紙で作っていました。いまも材料はほとんど紙なんですよ。当時はインターネットでいろんな材料やキットが買えるという時代ではなかったですし、身の回りのいろんな紙をかき集めていました。便箋の裏表紙の固い部分とか(笑)。クラスメイトに「厚紙あったらちょうだい」って呼びかけることもしていましたよ。遠慮なしに(笑)。
――そんなに熱中していたのであれば、ミニチュアづくりはその後の進路に影響したのでしょうか?
それはまったく。ミニチュアづくりが将来に繋がるなんて想像できなくて。いまだったら、建築学科のある学校へ行こうとか、インテリアコーディネートの勉強をしようとか、大工さんに弟子入りしようとか思いつくんですが、当時は全然。中学高校の頃にはミニチュアの世界から離れてすごしていて、就職も漠然と選んでしまった感じです。
――プロフィールによると、1988年頃から本格的に住宅模型づくりに打ち込まれたそうですが、何かきっかけがあったんですか?
その頃、マイホームを建てることになったんです。26歳のときでした。プロの設計士さんとデザインや間取りなどを相談しながら進めていくのですが、やりとりのなかで何度も図面を見る機会があり、「家を建てるにはきちんとした図面が必要なんだな。ひょっとしてこの図面を使えば自分の家のミニチュアが作れるんじゃないか」と思ったんです。
マイホーム計画があがる少し前から、時間的にも気持ち的にも余裕ができ、また子どもの頃に好きだったものをやろうとミニチュアづくりを再開していたんですが、そのときは方眼紙に「こんな感じに部屋があって」と簡単に描いていただけで、作る感覚も遊びの延長でした。でもマイホームを建てるにあたっていろんな資料を目にするようになり、「もっとこだわって本格的に作らなきゃ」と思って。
――「いいものを作りたい」という意識が生まれたんですね。
ええ。作り始めるとさらにその気持ちは高まっていきました。作るとやっぱりまわりの人に見せたくなる、見せると評価が気になるといったふうにだんだんと。
住宅模型は最初、外観しか作っていなかったんですが、友人たちに見せると窓からなかをのぞく人がいたので、「内観もしっかり作らなきゃ」と思うようになって、内観を作ると今度は暗くてよく見えないという意見があり、「どうしたら見えるようになるのか、あっ豆電球をつけようか」と。
――人の反応を見て工夫を重ねるように?
そうですね。当時は作り方を教えてくれる場所もなければノウハウ本もなかったですし、自分で考えながら工夫することで技術を磨いていきました。
――教本もなかったんですね。上達する手段や環境がなかったにもかかわらずモチベーションが途切れなかったのはどうしてなんでしょう?
常に人の評価を求めたから、と思います。いまお話ししたように、友人など人に作品を見せてその反応をもとに精度を上げていきました。小学生のときの材料集めもですが、思えば何かと自分のやりたいことに人を巻き込んでいましたね(笑)。そのおかげで絶えず高みを目指すことができたんでしょう。
じつは本格的に住宅模型づくりを始める前にも「人を巻き込む」行動を起こしているんですよ。社会人になってからまたミニチュアづくりを始めようとしたとき、教えてくれる場や本はなかったものの、つてを探しているうちに東京に住宅模型専門の会社があることを知ったんです。それで、「ここならアドバイスがもらえるかもしれない」と、思い切って社長さん宛てに自分の作品を送り付けました(笑)。「どうか評価してください」と(笑)。
――大胆な行動ですね(笑)。お返事はいただけたんですか?
社長さんから丁寧なコメントをいただきました。「本格的に作るならもっと大きいものを作ったほうがいいですよ。50分の1くらいのスケールがいいですね」と。それまでは100分の1スケール、手のひらに乗るくらいのサイズで作っていたんです。そのコメント通りに大きく作ってみると、それまで省略していた部分をもっと精密に作らないといけないということがわかり、送ってみてよかったと思いました。
――住宅模型はどのような手順で作るのですか?
本物の家を建てるのと同じような工程で作ります。土台を作る、柱を立てて躯体を作る、壁となる面を立てていく。1階に天井をかぶせたら2階の間取りに着手、2階の天井と屋根をかぶせたら完成。下から上へと作っていくんです。
最もやりがいがあるのは、1階部分と2階部分を階段でつなげる作業です。階段の一番上の段が2階にぴたっとつくとすごく気持ちがいいんですよ(笑)。
――リアルに表現するためには段数が足りなかったり多すぎたりしてはいけないですよね。本物の家と同じように「人が住む空間づくり」にこだわっていらっしゃるんですね。
人が住む空間をリアルに表現しようとこだわるようになったのは、ジオラマ(※)のコンテストに応募したことがきっかけでした。ミニチュアを作っているとまわりの背景も作り込むことがあり、試しにジオラマの分野で評価してもらおうと思ったんです。このとき審査員にジオラマの先駆者と言われる有名な作家さんがいて、こうおっしゃいました。「模型は基本的には動かない、つまり風景は動かない。でも、見たときにストーリーが浮かんでくるものが一番素晴らしい作品なんだ」と。
住宅模型ならその家を見たときに、「家族で仲良くごはんを食べているんだな」「みんなでテレビ見ているんだな」など自然に想像がふくらむのが値打ちのある作品なんだと解釈しました。
※ジオラマ
ミニチュアの人物や物と、周辺環境・背景を組み合わせ、風景を立体的に表現したもの。
――そのような作品であればたしかに見る側はとても楽しいです。しかし作る側は大変そうですね。どのように工夫されているんですか?
意図的に「よごす」ということをしています。家って建てたばかりのときはきれいですが、生活しているうちに傷んできますよね。だからあえて壁や床などをよごします。そうすることで生活感が出るようになるんです。私の住宅模型づくりは、きれいに作るのが目標じゃないんですよ。人がその家で生活してきた歴史というものを表したいんです。
――「家での生活」をテーマにしているのにはどのような想いがあるんでしょうか?
家は、人が生きていくことの一番基となる部分だと考えているんです。家があって家族があって社会があって世界があるといったように、家は生活の基本。もっと言えば、人の幸せは何かと考えたとき、家の中のあたたかさが原点じゃないかと思います。その考えから「間取り」への関心が高くて。
思えば昔から間取りに興味はありました。幼い頃に自分の部屋がなかったことから、居間の片隅を段ボールで仕切って部屋を作ることをしていたんですが、それって自分なりに間取りを工夫してよりよい暮らしをしようとしていたんですよね。大人になってからも住宅の広告を見て暮らしを妄想するのが好きでした(笑)。
暮らしを考える楽しみを感じてほしいと想いを込めて作っています。決して本物ではないミニチュアでも訴えられるものがあると思うんですよね。
――タカマさんが「間取り」の作家として活動される想いがよくわかりました。間取りに着目することによって、人が暮らすということを追求されているんですね。
といってもじつは、「立体間取り作家」という肩書は自分で考えたものではないんです。私は長らく自分が何者なのかわかっていませんでした。「神の手 ニッポン展」という展示会を機に、自分は間取りに着目したアーティストであるということを自覚したんです。
「神の手 ニッポン展」というのは、日本全国でまだあまり注目されていない作家にスポットを当てるという企画の展示会でした。私はその第2期にお誘いをいただいて出展することになり、そのとき、肩書をつけないといけないということで、当時のディレクターの方がつけてくださったんです。
模型づくりは多様なジャンルがあります。でもぴたっと来るものがなくて。住宅模型といっしょに風景も作るときはジオラマの分野になりますが、住宅のみの場合もあるのでジオラマ作家とは言えない。かといってミニチュア作家だと広すぎる。食べ物や小物のミニチュアを作る人もいますからね。内装を作り込むことからドールハウスに近いとも思いましたが、はっきりとした名前がつけられずにいました。「立体間取り作家」は、的を射た名前だなと思っています。
――活動が言語化できたという点で、「神の手 ニッポン展」はタカマさんにとってターニングポイントですね。
そうですね。実際、この展示会を機に多くの方に作品を見てもらえるようになったんです。それまでは地元の公民館とかでちょっと展示させてもらって、身の回りに人に見てもらう程度でした。「神の手 ニッポン展」は全国に巡回するので、他の地域の方にも見てもらえるようになりました。
――作品を見てくださる方のどんな様子を見ると、タカマさんはうれしいですか?
やっぱり笑顔になってくださるとうれしいですね。来場者のなかで、80代くらいの女性の表情が印象に残っています。作品を見ながらにっこりとされていたんですよね。その様子を見ていると、「昔のことを思い出して懐かしんでいるのかな」なんて思って幸せな気分になって。昭和レトロな模型が多いので、それを見てご自身の暮らしを思い起こされているのかもしれない。あるいは、題材のアニメや映画を誰かと一緒に見たときのことを思い出しているのかもしれない。いずれにしても自分が楽しんで作ったもので人の人生に寄り添えたのだとしたら、すごくうれしいことです。
――精巧に作り上げるのとはまた別のやりがいですね。
ええ。だからいま、思い出の家を再現する仕事がしたいと思っているんですよ。いままでできるだけ興味を持ってもらおうと、誰もがよく知る映像作品の住宅を作ってきましたが、「いまはないけどむかし住んでいた家」を、写真などを見ながら再現するということをすごくやりたい。そういった依頼があったら喜んで受けさせてもらいます!
――そういえば、ホームページにも「自宅を模型にしたい、という要望にも応じたい」とありました。
住宅ではないのですが、住民が親しんだ駅舎をミニチュアで再現させてもらったことがあります。宮城県牡鹿郡(おしかぐん)の旧JR女川(おながわ)駅、東日本大震災の津波で流失してしまった駅なんです。それをJR東日本から図面を提供してもらったり、町民から写真を見せてもらったりして、震災直前の2009年~10年頃の姿を再現しました。
経緯としては、2021年3月に東日本大震災復興応援プロジェクトとして仙台市と女川町で作品展を開き、その開催の関係者から「女川にまつわる建物の模型を作ってほしい」と依頼されたことが始まりでした。
「惨劇を忘れたい人もいるかもしれないのに、作っていいのだろうか」と迷う気持ちもあったのですが、「町の玄関口である駅なら楽しい思い出があるんじゃないか。懐かしい記憶を呼び起こすツールになるといい」と思って作ることにしました。
いま模型は町役場に展示されているそうです。私はまだ見に行けていないんですが、知人から、「模型を見て涙を流していた人がいたよ」と聞き、「やってよかった!」と心の底から思いました。この経験もあって、見る人に懐かしい記憶を呼び起こして楽しんでもらえるような作品づくりを、仕事としてできたらどんなにいいだろうと思っているんですよね。
――遊びがライフワークとなり、さらに仕事にできたらという意識に。長年続けてきたからこそ、そのように意欲が高まったのでしょうね。タカマさんのように、「やりたい」と思い続けられるものに出会うにはどうしたらいいのでしょうか?
まずはいろんなことにチャレンジしてみて、楽しいと思えることを見つけてほしいです。それで見つけたら、下手でも人の真似でもいいから続けてやってみる。途中、うまくいかないこともあると思います。そしたらまわりを巻き込めばいいんです。身近な人に見てもらったり、詳しそうな人に教えてもらったりして。「自分には無理」って思っちゃったらそこで気持ちがストップしちゃうので。
――やりたいことをやろうと思ったらわりと自分の内にとじこもっちゃいますよね。
自分で考えてもわからないんだったら、遠慮なく人を頼るといいですよ。私だって大人になって模型づくりを再開したとき、評価を求めて東京の住宅模型専門会社に作品を送り付けていますから(笑)。コメントや作品が返ってくる保証なんてなかったですけど、とにかくやってみようって思って。
失敗したときだって同じ。最初にご紹介した『カールじいさんの空飛ぶ家』ですが、始めは飛ぶ仕掛けをうまく作れなかったんです。滑車を使って上からひもで家を持ち上げようとしたんですが、持ち上げられるほど動力のあるモーターが見つからなくて。そこで電気関係に強い友人に助けを求めて、適した道具を教えてもらいました。
そうやって「別の工夫ができるんじゃないかな」と思えるようになれば、うまくいかなくても楽しくなりますよ。「あきらめない」ことが楽しくなるんです。
――ありがとうございました。今後のご活躍も楽しみにしています!
タカマノブオさんの模型作品は、各地での展示会のほか、福井県坂井市にあるギャラリー兼カフェの「茶蔵庵房」にてご覧いただけます。
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この記事を編集した人
ほんのまともみ
やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。