新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2022.02.8
パリなかやま
1976年生まれ。東京都出身。2004年、音楽ユニット「コーヒーカラー」で歌手としてメジャーデビュー。2008年から「ギター流し」として活動する。「平成流し組合」代表。著書に『流しの仕事術』(代官山ブックス)。
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――「流し」という職業も興味深いのですが、まず「パリなかやま」という名前が気になります。その名前にはどんな想いがあるのでしょうか?
「パリなかやま」っていうのは、「やっぱり」から来ているんですよ。頭の「パリ」は、「やっぱり」の「ぱり」なんです。流しの活動を始めるとき、「流しはやっぱりあいつがいいね」と言われるようになりたいと願いを込めてつけました。
――素敵な由来ですね。「流し」という仕事は、お客さんのリクエストに応じていろいろな曲を歌うんですよね。「やっぱりあなたの歌がいい」と言われるのは喜びですか?
ええ、すごくうれしいことですよ。流しは、オリジナル曲よりも他のアーティストさんの曲を歌うことが多いんですが、そのアーティストさんのものまねをして歌うってわけではないんですね。その曲の良さを理解しつつ、自分なりに表現して歌います。それに対して私のバージョンがいいと言ってもらえたら、例えば「パリなかやまの歌うサザンオールスターズがいいんだよね!」と言われたらうれしいですよ。
――そもそもどうしてパリなかやまさんは流しで歌うことになったんでしょう?
自分で音楽活動をしていたということが起点になっています。高校生の頃からバンド活動をしていて、そのうち自分で曲を作るようになり、20歳ぐらいからプロになることを意識しました。どんどん曲を作っては音楽事務所にデモテープを送ったりオーデションに応募したりして、28歳のとき、ついに努力が報われ、音楽ユニット「コーヒーカラー」で歌手デビューすることができました。
ありがたいことにデビュー曲『人生に乾杯を!』はヒットし、プロスタートは快調な滑り出しでした。でもプロであり続けるというのは、想像以上に厳しいことでした。プロの継続は、イコール売上の継続なんですよね。売上が良くなければ、音楽事務所との契約は続かない。いつでも無職になり得るという現実に私は頭を抱えていました。その悶々としているときに出会ったのが「流し」だったんです。
あるとき、音楽家の先輩である小林治郎さん(※)から、「亀戸横丁から流しの依頼を受けているんだけど、一緒にやってみない?」と誘いを受けました。正直言って流しについては、「昔そういうものがあったな」ぐらいの認識だったんですが、「歌の研究にもなるし」と思ってやってみることにしたんです。
※小林治郎(こばやし・じろう)
作曲家。主な作品は、比屋定篤子(ひやじょう あつこ)「のすたるじあ」「ささやかれた夢の話」、ナミノート「Our Songs」。当時、パリなかやまさんの音楽制作パートナーであった。
――「歌の研究にもなる」というのは?
もともと音楽に対して歌いたいだけじゃなく、歌詞やメロディーなどを研究したいという気持ちもあったんです。流しをやることはたくさんの曲を歌うという点で「歌謡曲の勉強になる」と思いました。またどのような曲が大衆の心を打つのか、「市場調査」もできると感じました。このときは日当も出るというお話でしたし、生演奏で歌える喜びも含めたら十分やってみる価値はあると思ったんですよね。
――実際に初めて流しをやってみていかがでしたか?
生演奏・生声で歌うのは思った以上に体力がいることで疲れました(笑)。というのは、ミュージシャンってスタジオで音響設備を使って歌うのが当たり前で、意外と生演奏・生声で歌う機会ってないんですよ。だから初めて流しで歌ったときは慣れなくて、「いままでの歌い方では足りないんだ」と実感しました。
でも同時に、音響などで演出が一切できない状況下で歌うことは、歌い手として本物になれるチャンスだと思いました。お客さんの反応もダイレクトに伝わってくるし、自分を鍛え上げるにはうってつけの環境でした。お酒の場だからみなさんコメントに遠慮がないですしね(笑)。
亀戸での仕事は期間限定で、そのあとは続けても続けなくてもどちらでも良かったんですが、「自分の本質で勝負してみよう」とその後もひとりで活動することを決め、現在に至ったというわけです。
ガヤガヤとした状況で歌うが声を張り上げすぎてもいけない。のどを壊さないよう、パリなかやまさんはボイストレーニングで生声での歌い方を鍛えた。その経験から現在はボイトレ講師を務めることもある。レッスン動画はこちら
――演出なしで直接お客さんに面するのはプレッシャーがかかることではないですか?不安はなかったんでしょうか?
たしかに不安を感じる人もいますよね。でも私は、「おもしろい!」と思って。毎日が本番、そしていくら自分がベテランになろうとも、始めたばかりの人間と条件が変わらないという環境は貴重でした。逆に慣れやマンネリが起きてしまう環境だとつまらないと思います。
何より、毎日音楽にふれられる喜びのほうが不安よりもずっと大きかったんですよね。アーティストとしての活動は、レコード会社で予算をかけて大きなプロジェクトとして動くということで、自分の裁量でいつでも音楽をやれるわけではありません。その点、流しは自分の意志で毎日できる。それでいてアーティスト活動と同じくらいシビアに自分の実力を試していける。実力次第で「稼ぐ」こともできる。自分にとってはいいことづくしでした。流しは最もシンプルに音楽を毎日できる仕事だったんです。
――パリなかやまさんはアーティストから流しの道に飛び込んでいかれたわけですが、「自分の歌を聴いてほしい!」という葛藤はなかったですか?
それはなかったですね。「持ち歌ないの?」と聞かれたときはもちろん歌いますが、あまり「自分の曲」「他人の曲」と分けて考えていなくて。幅広く音楽が好きなんです。たくさんの音楽にふれるなかで夢心地になるような自分に響く曲に出会えるなら、自分の曲だけに執着する必要はないですね。
持ち歌『人生に乾杯を!』を歌う様子。パリなかやまさんにとっては持ち歌も好きな音楽の1つ。
――いまレパートリーはどのくらいあるんですか?
2000曲くらいです。だいたいお客さんからリクエストされて新しい曲を覚えるんですよ。リクエストが何回もあると、「ああ、この曲は巷で愛されているんだなぁ」と思って、歌えるようになろうと練習します。なかにはギター1本で1人で歌うには表現しにくい曲もあるんですけどね(笑)。それでも2000曲は積もりましたし、これからも少しずつ増えていくんじゃないかなと思います。
――いままでで一番リクエストが多かった曲は何ですか?
中島みゆきさんの『糸』ですね。この曲はどの世代の方も知っていて、本当に愛されている曲だと思います。歌わせていただくと、だいたいいつも最後のほうはお客さんも一緒に歌って大合唱に(笑)。みんなで歌い終えると、何かひとつの祈りが終わったようなとても素敵な空気になります。
お客さんのなかには、「カラオケとは全然ちがう!」とおっしゃってハツラツとした表情になる方もいますね。そういった様子を見ていると、流しをやってよかったと思います。特別なことは何もなく、自然に歌いたくなって歌い、気軽に音楽を楽しむ。日常で歌う楽しさを流しは届けることができるんですよね。
アーティストとして活動していた頃は、どこか音楽をやるということに特別感があってちょっと窮屈さを感じていました。それが流しになったことでパッと開けた。「そうだ、音楽ってもっと身近にやっていいんじゃない」と。そう思ったらいっそう流しとして音楽をやることが楽しくなりました。お客さんに身近に音楽にふれてもらって感動や喜びを届ける。これこそが本来の音楽家の仕事ではないかとさえ思いましたね。
お客さんと一緒に『糸』を歌う様子。
――気づきがあってのめりこんでいかれたんですね。ところでパリなかやまさんは自分ひとりの活動にとどまらず、「平成流し組合」(※)を設立されましたよね。なぜ他の音楽家、いわばライバルに流しの活動形態を広めることにしたんですか?
※平成流し組合
2014年設立。流しの派遣、流しの募集・育成、流しと飲食店や商店街とのコーディネートなどをパリなかやまさんが行なう。
広めるということは結局自分のためになるんです。私は流しがとても好きになってずっと続けたいと思いましたが、私が活動し始めた当初、流しの認知度は低く、中年以降でかろうじて知っている人がいるくらいで若い人はほとんど知らないような状況でした。だから自分が長く活動していくために、業界としてもう一度作らないといけないと思ったんです。
直接のきっかけは『流しの仕事術』の出版でした。流しのやり方を伝える本を出せば、当然興味を持ってやろうという人も出てくるはず。その人たちを自分がしっかり育成できるような場が必要でした。そこで出版に合わせて「平成流し組合」のホームページを作ったんです。
――何か組織や仕組みを作るような経験はあったんですか?
いえ、まったく(笑)。だから組織の体には悩みましたね。いまも考え続けています。ただ、「いい流し歌手を増やして飲食店や町が明るくなればいいな」という気持ちだけはありました。それを実現するためには歌う本人の自主性が大事になってくるわけで、真っ先に音楽家が自らやりたいと思える環境にするにはどうしたらいいかを考えました。
自分のスキルを広めるということでは、最近サロンビジネスが流行っていますが、私は流しをやりたいと言う人たちをお客さんにしてはいけないと思いました。入会金だの月会費だのを課すとやりにくくなっちゃうんじゃないかなと。
――それではパリなかやまさんの仕事ばかり増えてしんどいのでは?
意外とそんなこともないんですよ。たしかにいまは組合員のシフトを作るなど仕事は増えていますが、その分みんなが活躍してくれれば、いい宣伝になります。そもそも目的は流し業界の復活ですから、流しをやりたい人が増えていくのはうれしいことです。
もちろん個々の売上はノータッチ。たくさんシフトを入れたい人だけ組合費を払ってもらうというシステムにしました。この方法だと、他の仕事をやめて流し中心にしようと勢いづいてくる人もいると思って。そうやって巷に音楽家が増えれば、きっと世の中は楽しくなると思うんですよ。
――流し業界を復活させることには、世の中を変えたいという気持ちもあるんでしょうか?
そうですね。新しい音楽の消費シーンを作ることができればいいなと考えています。自分が音楽業界に入ったことと、昨今の時代の流れから感じているんですが、だんだん音楽を楽しむこと、とりわけ生演奏・生歌を楽しむということが「非日常」になっていると思うんです。
お客さんは生で音楽を聴こうと思ったらライブやコンサートなど特別な場所に行かないといけないですよね。自分が歌って楽しもうと思っても、カラオケボックスという囲まれた場所に行くことになる。でも流しが町にいると、酒場で気軽に生演奏・生歌が聴けて、歌いたいときに歌うことができます。
流しという機能をとおして、「音楽ってこんなに身近に楽しめるんですよ」ということを伝えていきたいんです。かつて当たり前に流しがいた時代のように、人と音楽の距離が近く、人と音楽と町が一体となった風景が見られるようになったら自分も楽しいです。
それに日本全国に流しが根づけば、音楽業界も変わるのではないでしょうか。音楽で食べていくというのはもともと、ひとかどの人しか成立しない夢のビジネスですが、CDが売れない時代になって、ますます厳しい世界になっています。いまや事務所に所属するのにアーティストがお金を払わないといけなかったり、プロになれても活動にノルマがあったりして、続けていくことが非常に難しい。でも日本中の町に音楽家が活躍できる場があれば、音楽家が生きていける世界が広がると思います。
――いまはコロナで難しい局面かと思いますが、今後の活動展開はどのように考えていますか?
日々の活動については、私たちは飲食店にお世話になっているので、お店に合わせていくしかありません。ただ、苦しい状況に対応しながらも、コロナが落ち着いた先のことを考えなければと思っていて。
最終的な目標は、日本中どこでも流しがいて、ネットワークを持てているということ。お客さんがどこへ旅しても、「あそこの町で歌えますよ」と言えるようになるのが理想なんです。そのためには今後もっと流しを増やしていかないといけない。そこでカギになるのは流しの「スター」を育てることだと考えています。だから今後はプロデュースに力を入れていきたいですね。スター誕生で流し業界が発展したら海外にも進出したいです。コロナに右往左往しながらも、こうした将来のイメージをいまのうちからしっかり持っていたいと思っているんですよ。
――ありがとうございました!
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この記事を編集した人
ほんのまともみ
やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。