新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2021.09.10
小川麻琴(おがわ・まこと)
1987年10月29日生まれ。新潟県柏崎市出身。2001年モーニング娘。に5期メンバーとして加入。2006年に卒業後、ニュージーランドへ語学留学。帰国後は舞台を中心に、TV、ラジオ、イベントなどさまざまな分野で活動。2015年よりフリーに転身し、スマートフォンアプリのプロデュースや東洋大学の講師を務めるなど、さらに幅広く活躍する。
Follow @1029makoto
――小川麻琴さん、デビュー20周年おめでとうございます!
ありがとうございます! いつのまにかそんなに経ってしまったんですねぇ(笑)。
――13歳の小川さんがモーニング娘。のオーディションを受けられる様子、当時テレビで見ていました(※)。裸足で元気よく歌っていた姿をよく覚えています!
※小川麻琴さんが受けられた「モーニング娘。LOVEオーディション21」はテレビ東京系の音楽番組で審査の経過が放送され、最終審査の様子は特別番組で放送された。
そういえばそうでした! 2次オーディションのときですね。あのときはたしかヒールの靴を履いていて、動きづらいなと思って脱いだんですよね。よくそんなところを覚えていますね(笑)。
――1次オーディションとちがって2次では髪をバッサリ切られ、ハツラツとした雰囲気でした。なんてやる気ある人なんだろうと印象に残っていたんです。やはり「絶対モーニング娘。になる」という気概で挑んでいたんですか?
じつはあのオーディション、「諦める」ために受けたんです。
――諦める?
ええ。そもそも私が芸能界を目指すようになったのは、小学3年生の頃テレビでSPEED(※)さんを見たのがきっかけでした。SPEEDさんは当時メンバー全員が小中学生で自分と年齢が近く、それなのに歌もダンスもめちゃくちゃかっこよくて、強く憧れたんですね。自然と歌手になる夢が生まれました。
※SPEED(スピード)
島袋寛子、今井絵理子、上原多香子、新垣仁絵の4人から成るダンス&ボーカルグループ。1996年~2000年に活動。
でも歌手になりたいと思ったところで、どうしたらいいのか分からず。新潟の田舎に住んでいて、近くに養成スクールもなければオーディションを受ける機会もない。歌手になりたいとくすぶる気持ちは、学校の昼休みに友だちとカラオケ大会をしたり、地域のお祭りでパフォーマンスしたりといったことで発散していました。
――芸能界には縁がなかったわけですね。
そうですね。でも5年生のときちょっとした転機が訪れて。新潟市内に歌とダンスとお芝居を教えてくれるスクールができたんです。やっぱり芸能活動に興味はあったので、オーディションを受けて入りました。その後はレッスンを受けながら、地元のイベントやコマーシャルに出させてもらえるように。
ただその時点でも自分が本当に芸能人になれるとは思っていませんでした。どちらかといえば「なれるはずがない」の気持ちが強かったように思います。
中学2年になると、母から「来年は高校受験もあるし、そろそろスクールはやめて学業に専念したら?」と言われました。私もわりと母の考えに納得し、「ついにやめるんだ」と構えていたのですが、母は私にオーディションを受けることを勧めてきたんです。「最後に受けて諦めなさい」ってことですね。それがモーニング娘。の5期メンバーオーディションでした。
――お母さまが勧められたことだったんですね。
そうなんです。新聞の切り抜きを持ってきて、「こんなのあるよ」と。私自身はモーニング娘。のオーディションがあることを全然知りませんでした。募集の告知をしていた番組が、新潟では深夜に放送されていたので、見ていなかったんです。
――勧められてオーディションを受けると決めたときはどんな気持ちでしたか?
「へぇーそんなのあるんだーじゃあせっかくだから受けてみようかな」という感じでした(笑)。「よっしゃやるぞ!」みたいな勢いはなかったと思います。ただ悔いは残したくなかったので、やれることをやっていこうと考えていました。
――「やれるだけやる」を積み重ねて合格に?
まさかでしたね(笑)。審査を経るたびに「ここで落ちるだろうな」と思っていたんですよ。ところが「えっ受かってる!」「また受かった!」と次々通っていく。そのうちだんだんと気持ちが変わってきて、最終審査の合宿のときには「絶対受かりたい!」とやる気に満ちていましたね。
――とはいえまだ13歳。たくさんの大人に見られて評価されるのは緊張しませんでしたか?
ものすごく緊張しました! でも、「せっかくだから楽しまなきゃ」と思っていました。SPEEDさんに憧れた小3の頃からずっと、自分にとって歌やダンスは楽しいもの。せっかくプロの方に見てもらえるのに、緊張して下を向いていたらもったいない! 思い切り楽しんでやって、ありのままの姿を見てもらえばいい。自分の楽しさが見ている人に伝わるようにと取り組んでいました。
――それで晴れてモーニング娘。の一員に! 合格直後はどのようにすごしていたんですか?
まず2日間だけ地元に帰ることを許され、荷物をまとめ、友だちとお別れをしました。でも友だちには合格したことも、上京してこれから会えなくなることも言えなかったんです。合格発表のテレビ放送がまだだったので、言っちゃダメだったんですよね。
「また学校でね」といつもと変わらない感じでお別れしました。友だちからしたら突然いなくなって芸能界に入っているという驚きの展開だったでしょうね。実際、テレビ放送後は電話がすごかったです。「オーディション受けてたの? 言ってよ!」って(笑)。
――誰にも告げることなく新しい生活が始まったんですね。
といっても寂しく思う暇もなかったです。上京してからは毎日朝も昼も夜もレッスン漬け。1日2~3曲、歌もダンスも完璧に覚えないといけない。モーニング娘。は先輩たちが作ってきたグループなので、私が加入した時点ですでにたくさんの曲があり、覚えるのに必死でした。
――朝から晩まで追われていますね。
5期メンバー4人のうち3人は地方出身でしばらく一緒にホテル暮らしをしていたんですが、ホテルでも練習していました。隣室から苦情が来てなかなか大変でしたけど(笑)。いままでの曲をインプットするほかに、新曲のレコーディングもあり、雑誌のインタビューなどもありました。ただただ言われたことをこなす毎日を送っていました…。
――「やらなきゃいけない」から「もっとやっていこう」とやりがいが出てきたのはいつ頃からですか?
加入して半年経った頃からでしょうか。それまではまったく余裕がなく、加入から2か月後に迎えた初めてのコンサートも先輩たちに迷惑かけないようにということで頭がいっぱいでした。できないなんて絶対に言えないのでとにかく「やる」。でもそうやって日々を重ねていくうちに確実に力はついていきました。だんだんとモーニング娘。の音楽が体に染み込んでいき、もっとお客さんを喜ばせたいと思えるようになってきたんです。
――ファンの方々の存在はやはり活力になっていましたか?
もちろんです! 慣れていったといっても「新潟に帰りたい」とか「自分にはこの世界向いていないんじゃないか」など落ち込むことがありました。そのたびにファンの方の「まこっちゃんの笑顔に元気をもらっているよ!」という言葉に勇気をもらっていました!自分の中で気づきを得ることもあり、本当にファンの方に支えられていましたね。
――気づきとは?
自分は人が好きなんだ、ということです。
忙しいとつい目の前のことにいっぱいいっぱいになって、何のために活動しているのか、なぜここにいるのかと自分を見失っていたのですが、私は結局「人の喜ぶ顔が見たい」からこの世界に入ったんですよね。
振り返ってみれば、小学生のとき地域のお祭りに出ていたのも、私が頑張ると家族や近所の方が笑ってくれて嬉しいからでした。誰かの喜びが私の原動力なんです。
だからどんなにキツくても、ファンの方の笑顔や温かい言葉で、「また喜んでほしい」とスイッチが入り頑張ってこられました。
――モーニング娘。卒業後はどのような活動が中心となったのですか?
卒業してすぐは海外留学に行っていました。帰国後、改めて芸能活動を再開します。テレビのバラエティー番組やイベント出演などいろいろなお仕事をさせてもらっていました。なかでも多かったのは舞台のお仕事です。
モーニング娘。とは活動内容がまったく異なりますが、また新しいステージで「人を喜ばせる」ことにチャレンジしようと奮闘していました。
…とはいえお芝居を本気でやってきた人たちに比べれば自分は素人同然。あるときこの世界の厳しさを知り壁にぶつかりました。
――いったい何が…?
2009年につかこうへいさん(※)が主宰される劇団で、小川麻琴として初めてひとりで主役を務めることになったのですが、共演する劇団員の女優さんに出会ってすぐ、「あなたできるの?」と言われました。その当時は正直怖くて、大きなプレッシャーを感じましたね。でも、その女優さんとは10年以上経ったいまでもとても仲が良く、私にとって信頼できる姉のような存在になってます。
「できるの?」という言葉は、当時の私に喝を入れるためにかけてくれたんです。いまは感謝の気持ちでいっぱいです。アイドルだろうがタレントだろうが関係ない。劇団の看板を背負うこと、役者として舞台に立つことに対して、きちんと自覚を持つようにと教えてくれました。
この舞台でまた一から積み上げていこうと私は覚悟が決まり、とにかく「お願いします。教えてください」とぶつかっていきました。発声の仕方など基礎から叩き込んでもらいました。そうした私の姿勢を見て、劇団員の方も応えてくださるように。私はこの公演で初めて、心から「楽しい!」という感覚を得ました。
※つかこうへい
劇作家。1948年福岡県生まれ。生前は東京都北区に在住し、区の要請により地場劇団「★☆北区つかこうへい劇団」を旗揚げした。
それまでの舞台も決して手を抜いていたわけではないですし、楽しくやっていました。ただ、この立ち位置でセリフを言う、ここではける、といったようにどこか段取りをこなす形になっていたんです。
つかこうへい劇団では初めてセリフのキャッチボールがおもしろいと感じました。「私がこう言ったら相手はこう返すのか!」「こう言われたらこんなに心が動くんだ!」。ただ決められたセリフを言うのではなくて、心が動いて発する、それが役者なのだと実感しました。この経験を機に舞台へのやる気がもっとみなぎり、ピーク時は年間10本ぐらいやるようになりました。
また舞台以外でも、活動の原動力が変わってきたように思います。お客さんに楽しんでもらいたいという気持ちはもちろん継続してあるのですが、自分の中のワクワクの高まりが次のチャレンジへの動機づけになっていったのです。
――その後の活動を見ると、たしかにワクワクからいろいろなことにチャレンジしている印象があります。スマートフォンアプリの制作といういままでと全然ちがう分野にも取り組んでいますよね。
アプリ制作は、ある番組でご一緒した東洋大学の藤本貴之教授から声をかけていただいたのがきっかけでした。番組内でスマートフォンアプリを紹介していたのと、私自身いろんなアプリを使って勉強していたので、すぐ「やってみたい!」と思いました。
――未知の分野にトライするのはなかなか勇気のいることだと思います。どうして「やってみよう」という気になったのですか?
私はまったく興味が持てないと感じさえしなければ、基本的になんでも挑戦してみたいんです!たとえ初めてのことでも「やってみたらおもしろそうじゃん」って思えば動いちゃいますね。要するに好奇心が湧くかどうか。
興味を持てるかどうかも大事です。アプリを作るときも、興味を持てないときっとのめりこめないと思って、自分が大好きなベーグルをテーマにしました。
――それにしてもアプリ制作は難易度が高いイメージです。小川さんが難しそうなことでも向かっていけるのはどうしてでしょう?
んー、、最初からなんでもできる人なんていないですよね? 最初はできなくても、努力すればできそうなんだったらやってみたほうがきっと楽しい!
もちろん目に見えて無理なことはやらないですよ。アプリ制作のときは教授がサポートしてくださる形だったのでチャレンジできたというのはあります。
ただ、ちょっと難しいオファーが来たときは、「私はここまでしかできないんですけど、いいですか?」と聞くようにしています。一見できなさそうなことでも、できる形に持っていけることがあるかもしれませんから。
――2015年からフリーランスになったのも、自分でどんどんチャレンジしていきたいと思われたからですか?
そうです! 13歳の頃からずっと同じ事務所にお世話になり、道筋を作っていただいてきたのですが、30歳を目前に自分で選んで挑戦してみるというのをやってみたくなりました。
かといって、いままでの自分や環境を否定したいわけではありません。いまの小川麻琴があるのは間違いなくモーニング娘。と右も左も分からない頃から導いてくださった事務所のみなさんのおかげです。そこで得た経験はかけがえのない宝物。その宝物を糧にまたゼロから進もうとフリーランスに踏み切りました。
――いまやってみたいとワクワクしていることは何ですか?
いまやりたいことは2つあります!
1つは舞台です。新型コロナの影響で、2020年3月を最後に舞台は遠のいていたのですが、またあの場に立ちたいと思うようになりました。
というのは、最近立て続けに舞台を見に行く機会があり、すごく元気をもらったんです。エンタメって生きていく上で絶対に必要なものではないし、このご時世に積極的に取り組むものではないのではと葛藤していたのですが、久々にお客さん視点で見たことで吹っ切れました。
「こんなにも楽しい気持ちにさせてくれる、心を動かしてくれるエンタメの力ってすごい!絶対に必要なものではないかもしれないけど、エンタメは人生を豊かにしてくれるものだ。私はやっぱりその楽しみを届ける側に立ちたい」
そんなふうに思いがこみ上げてきました。もちろん感染状況が落ち着かないいま、舞台をやるのは難しいです。でも「いまはダメ、いまはできない」と言っていたらいつまで経ってもできない。トライしない言い訳をしているような気がしてきました。慎重にできる形を考えて、「明日から頑張ろう!」と元気になってもらえるような感動を届けたいです。
――エンタメは人生を豊かにしてくれる、響く言葉です。
もう1つやりたいと思っているのは、商品プロデュースです。
――また新しいジャンルですね?
商品プロデュースに興味を持ったのは、昨年、鯖バーガー専門店「MK CAFÉ」さんとコラボさせていただいたのがきっかけでした。「MAKOTOかぼちゃサラダ入り鯖バーガー」というのを開発したんですよ。
商品プロデュースって当たり前ですけど商品が主役なんですね。自分は前にでません。自分が主じゃないのは初めてのことでしたが、いざやってみたら、いままでとはちがった新しい嬉しさを味わいました。私が考案したバーガーをおいしいと食べてくれる人たちを見て、自分じゃないものを輝かせることがおもしろいと感じたんです。
だからこれからは、自分は陰に回って他を主役に据えるということもどんどんやってみようかと。じつは、小川麻琴プロデュースベーグルの企画も動いていますので、そちらも楽しみにしていていただけたら嬉しいです!
――またワクワクが高まっていますね。今後も多彩なご活躍を期待しています!ありがとうございました!
記事公開を記念して、抽選で1名様にサイン色紙、もう1名様に小川麻琴さんオリジナルグッズのトートバッグをプレゼントいたします。
サイン色紙には小川麻琴さんからの温かいやる気メッセージも入っています。ふるってご応募ください!
応募は締め切りました。ありがとうございました。
10月21日(木)~25日(月)まで新国立劇場で開催される「春風外伝2021」に小川麻琴さんが出演されます!
\ 小川麻琴さんをフォローしよう! /
\ 最新情報が届きます! /
あわせて読みたい
新着コンテンツ
この記事を編集した人
ほんのまともみ
やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。