新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2021.07.30
山下良美:ヤマシタ・ヨシミ
1986年2月20日生まれ。東京出身。幼少期から地元のサッカースクールでサッカーに親しむ。都立西高校卒業後、東京学芸大学では女子サッカー部で活動。卒業時に審判活動を開始。2012年に女子1級の資格を取得。2015年には国際審判員として登録。2016年・2018 年のU-17女子W杯、2018年は女子アジアカップを担当。2019年はフランス女子W杯に参加、決勝トーナメントでも笛を吹く。AFCカップでは、アジアで初めて女性主審が男子の国際大会を担当。同年末、男子社会人の試合を担当することができる1級審判員に認定。2021年5月16日、Jリーグ史上初の女性主審としてJ3第8節・YS横浜対宮崎を担当。東京五輪の審判員にも任命。
――Jリーグ史上初となる女性主審デビュー、おめでとうございます。主審として初めてJリーグのピッチに立ったときは、どんなお気持ちでしたか?
いちばんは、やはり身が引き締まる思いというか、先輩方が切り開いてきた道を繋いでいかなきゃいけないっていう、背負っているものの大きさをすごく感じました。本当にいろんな方のご尽力でこういう可能性を広げることができたので、JFAをはじめとして、Jリーグや、これまで担当してきたJFL、チームや選手、観る方々、そして仲間の女性審判員が全国で信頼を積み重ねてきたことを、私がこの1試合で無駄にしちゃいけないと思って。
――同じサッカーの試合でも、Jリーグの主審はやはり特別でしたか?
これはもう私の個人的な気持ちになるんですけれど、Jリーグが誕生したのは、私が小学校のときだったんです。すでにサッカーをしていましたし、日本のサッカーの新しい開幕にとてもワクワクした記憶があって。それから28年、ずっとJリーグの歴史を見てきましたので、そこに関われるようになれるのは、やっぱりすごく嬉しかったし、ドキドキしました。
――Jリーグ審判員は現在165名、女性は山下さんたった1人。「165分の1」という本当に狭き門だったんですね。
サッカーの審判員は、4級、3級、2級、女子1級、1級とあって、女子1級と1級は、試験内容は同じなんですけど、タイムが違って、1級は男性と同じ基準をクリアしなくちゃいけないんです。まずは40mのスプリント走を6本、それがすべて6秒0以下であること。その後にインターバル走があって、75mを15秒で走り、25mを18秒で歩く。これを40回、1日にやります。
――40回!しかも男性と同じタイムってかなり厳しいですね。
はい(笑)。しかもどんな状況でも、その基準をクリアしなくてはいけなくて。たとえば、ちょっと体調が悪くても、暑くても、寒くても、必ずそのタイムをクリアしなきゃいけないので、毎日トレーニングしないと達成できないんですね。年齢が上がっても基準は同じなので、常に向上を目指さないと、維持もできないので、常に向上を目指してトレーニングをしていました。
――すごいです。どうやって「やる気」を出されていましたか?
今回、やる気ラボさんにインタビューのお話をいただいて良かったと思うのは、それが本当に大変で(笑)。やっぱり仕事が終わってからトレーニングするのは、すごくキツイというか、なかなか「やる気」が出ないんですけど、やらないと後で絶対後悔するし、ずっとモヤモヤしたまま時間が過ぎていくと、その時間がもったいないので、スッキリしたいと思って、毎日毎日、何度も何度も「やる気スイッチ」を入れ直していました。
――合格されたときは、いかがでしたか?
ただただ、ホッとしました。審判員になってから、ちょっとずつ周りの方々から期待とか応援をいただいたり、サポートしていただいてきたので、そういうことも力になったと思います。
――山下さんは、小さい頃からサッカーをされてきたそうですね。
そうなんです。サッカーを始めたのは早くて、幼稚園にサッカークラブがあったので、そこで始めたのが最初です。よくある話で、2つ上に兄がいまして、兄の影響で始めました。中学までは地元のクラブチームでサッカーを続けてきたんですけど、実は高校の3年間はサッカーから離れてバスケットボール部に入っていました。
――それは、女子サッカー部がなかったから?
それもありました。当時は女子サッカー部がある高校は本当に少なかったので、女子サッカー部がある学校を選ぶか、行きたい学校を選ぶかという決断がありまして。
ただ、私はずっとクラブチームでサッカーをやっていたので、学校の友達と朝から晩まで一緒に励む部活動というものにすごく憧れがあって(笑)。そのときは学校で選んで、バスケットボール部に入りました。
でも、バスケットボールの練習に行くときに、ちょうど右側に校庭があって男子がサッカーをやっていて、左側には体育館があってダムダムとバスケットボールの音が聞こえてきて。そのとき私は、バスケットボール部の友達には悪いんですけど、どうしても校庭の方に目が行ってしまって。それで気づきましたね、やっぱり自分はサッカーが好きなんだ、やりたいんだなって。
――大学では、女子サッカー部で選手として活躍されていたんですよね。どうして審判の道へ?
大学を卒業するとき、サッカーのプレイヤーとして次はどういうチームに行こうかなと考えていたときに、大学の先輩で、すでに審判活動を始められていた坊薗真琴さんに声をかけていただきました。だけど最初は審判活動にまったく興味がなくて、なかば無理やりというか(笑)。
――自ら進んで始めたわけではなかった?(笑)
そうなんです。ずっとサッカーはやっていましたけど、そこには全然目が行っていなくて、別世界のように思っていました。でもやらない理由はないというか、「挑戦」というと、ちょっとカタいので、本当に「1回だけちょっとやってみよう」ぐらいの気持ちで始めたのがきっかけでしたね。
――それがどうして本格的に審判活動をされることに?
私は長い間、将来の夢とか目標みたいなものがずっと見えなくて。サッカーは好きでしたけど、あくまで「楽しみ」だと思っていました。審判員も最初は1試合だけと思っていたんですけど、試合をすると「ここはもっとこうしなきゃいなかった」「次はこうしよう」と、必ず課題が見えてきて。
本当にちっちゃな目標なんですけど、毎回、毎回、そういうものがあって。とにかく「次へ」「次へ」と思いながら、目標を一つずつクリアしてきたら、ここまで来たようなかんじですね。
――審判員というポジションの「楽しさ」や「やりがい」はどんなことですか?
審判をしているときに「楽しいな」と思うことは、なかなかなくて(笑)。試合中は決断の連続なので、一瞬一瞬と向き合って、何かあっても前のことは忘れて、次にまた向き合って…を繰り返していきますので、笛を吹いているときは「いい試合にしたい」という責任感しか感じていないと思います。なので、担当する試合が決まったら、できるだけ選手のことも調べて準備します。
――そこまでされているんですね。選手によって審判の仕方が違ってくるんですか?
そうですね。審判員は選手の動きや次のプレーを予測して動かなくてはいけないので、各選手の特徴や技術面について話を聞いたり、実際に試合を見て、事前に情報を入れるようにしています。そうやって、サッカーの魅力を引き出す役割ができることが、審判員のやりがいのひとつですね。
もちろんそれ以外にもたくさんあって、審判員って日の当たるところ以外で活躍されている方々とお話できる機会も多いので、1試合を成功させるための皆さんの努力とか、試合に賭ける思いとか、そういうところを見たり聞いたりできるのも、サッカーが好きな者として、とてもやりがいになっています。日本全国に遠征したり、海外に行けたりするのも楽しいです。
でもやっぱり、いちばんはサッカーのフィールドに立てることですね。ものすごい熱でサッカーをしている選手やプレーを目の前で見られる。これはすごい魅力です。次のプレーを予測して動くのは、審判員としてやらなきゃいけないことなんですけど、「次はこうなるだろうな」とか「ここはパスするだろうな」と思っても、それを超えるような動きやプレーが出てきます。そういう場面を見られると、「こんな選択肢があったのか」「すごいな」と思ってワクワクしてきます。
――これまで審判をされた試合で、特に印象に残っているのは?
2つあります。ひとつは2015年、皇后杯の決勝戦。澤穂希選手の引退試合になった試合です。あの試合は、本当にたくさんのお客さんがスタジアムに来てくださって、テレビの向こうでもたくさんの人が観てくれて。日本の女子サッカーは2011年にW杯で優勝して盛り上がったんですけど、そこからもう一度、「これだけ人を集められるんだ」「これだけ注目してもらえるんだ」と思って。
私は小さい頃からサッカーをやってきましたので、それを目の前で、しかもフィールドの上で感じることができて、胸が熱くなりました。その光景やそのときの気持ちは、忘れられないですね。
――2万人を超える大観衆が集まったんですよね。
はい。もうひとつは、2019年のフランス女子W杯です。W杯って、やっぱりとても雲の上のことだったので、まさか自分がそのフィールドに立てるなんて思ってもいなくて。入場する前のトンネルのところに立って、入場の音が聞こえてきて、それに合わせて観客がワーッとなって、それを聞きながら、なんだかゾクゾクっとして。
私の勝手な想像かもしれませんけど、試合中も選手たちが国を背負っている目みたいなものを感じたりして、一つひとつがすごく印象に残っています。
――Jリーグの主審になることは、当初からの目標だったんですか?
実はそうではなくて、葛藤もあったんです。私はもともと日本の女子サッカーの発展に関わりたい、貢献したいと思って女子1級審判員になったので、1級審判員として男子の試合に関わっていくことが、果たして自分が願っていたことに繋がっていくんだろうか、と疑問もあって。
ですけど、先輩方は、日本の女子サッカーの発展のために、サッカーのために、審判員のために、1級に挑戦して道を切り開いてきました。そういう先輩方の行動を見て、誰かが道を切り開いて、可能性を広げていくことが、サッカーの、そして、日本の女子サッカーや審判員の発展に繋がっていくんだなってことに気づいて、私もその背中を追いかけて1級を目指そうと。
その結果、こうやっていろんな方々とお話をさせていただいたり、いろんな方に注目していただける機会が増えたので、すごく良かったなと。自分が疑問に思っていたことが払拭されたというか、サッカーの発展に貢献できるんじゃないかと思って、今はすごく前向きな気持ちになっています。
――たくさんのメディアでも報道されて、大きな反響を呼びましたね。
すごく嬉しいというか、ありがたいことで。審判員というのは、あまり注目されたくない役割ではあるんですけど、こうやって注目していただけることが、サッカー自体の発展に繋がると信じていますので、本当にありがたい反響だと思っています。
――サッカーの審判員を目指したい人は、どんなことをしたらいいですか?
いちばん大事なのは、サッカーを好きなことなので、サッカーが好きなら、まずはいいと思います。審判員にかかわらず、いろんな形でサッカーに貢献できる方法はありますので、まずはサッカーに関わることですね。ただ審判員は走るので、体力は必要になります(笑)。
あとは競技規則を覚えることですね。審判員は競技規則とトレーニングが基本なので、それを頭に入れながら、試合を楽しんで観れば、いつの間にかできるようになるんじゃないかと私は思っています。
――やる気を出せる目標が見つからなくて、悩んでいる人も多いと思います。そういう方々にも、メッセージをお願いします。
私も先のことが見えなくて、いつも目の前の小さな目標を達成することだけを考えてきました。それが今に繋がっていると思うので、達成できるような小さな目標を立てて、それを一つひとつクリアしていくことが大事なのかなって思います。
もうひとつは、私は全然興味のなかったことに足を踏み入れたことで、いろんな可能性が広がりました。自分が興味関心のないことでも、やってみるってことが、やっぱり大切なんだなと感じています。私もそれらを心に留めながら頑張っていきたいと思っていますので、参考にしていただけたら嬉しいです。
――山下さんご自身の今後の目標は?
皆さんのおかげで機会をいただけて、女性がJリーグの主審をするという可能性を広げることができました。まずはこの機会が続いていくこと、そして女性審判員が男性の試合を担当することが、誰にとっても当たり前になっていくことが目標だと思っています。それから、私はもともと日本の女子サッカーに貢献したいという気持ちが大きかったので、審判員という立場ではあるんですけれども、なでしこジャパンが世界一になることを今後も目標にしていきたいなと思っています。
――本日はありがとうございました、今後のご活躍も楽しみにしています!
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この記事を編集した人
タニタ・シュンタロウ
求人メディアの編集者を経て、フリーランスとして活動中。著書に『スローワーク、はじめました。』(主婦と生活社)など。