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ねんドル岡田ひとみ
1980年11月7日生まれ。群馬県出身。1998年、文化放送のオーディション番組で芸能界デビュー。2002年にねんど職人+アイドルの「ねんドル」を宣言し、表参道同潤会アパートで個展を開催。以来、長年にわたり全国各地でねんど教室を実施してきた。子ども向け番組にも多数出演。現在、NHK Eテレ「ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!」に、‟おねんどお姉さん”として出演中。
オフィシャルサイト:ひとみュータント ねんど+アイドル=ねんドル.
YouTube:ねんドル(Nendol)
――ねんどとアイドルを掛け合わせるなんて、ユニークな発想ですね。ねんどは子どもの頃から好きだったんですか?
そうですね。ものづくりが好きな母の影響で、幼い頃からよくねんどで遊んでいました。ミニチュアも大好きで、ミニチュア作品作りもよくやっていたんです。
ミニチュアフード作品(写真:本人提供)。
ねんどは小さい頃の遊びにとどまることなく、高校生になっても趣味として続けていた。
だから芸能界を目指すときも、ねんどを活かせたらいいなと、オーディションで「ねんどが好きです!」と作品を持ち込んでアピールしていました。しかし、なかなか興味を持ってもらえず…。
ねんどと芸能界は結びつかないものなんだな、と早々にねんどの話をするのはやめてしまいました。
――でもこうしてねんドルとして活躍されているということは、諦めなかったんですよね?
はい、やっぱり私にはねんどしかなくて。
18歳のときにラジオ番組でデビューして以来、モデルの仕事などを少しずつさせてもらっていたんですが、20歳を過ぎた頃から自分はこのままでいいのかと悩むようになりました。
そこでお世話になっていたスタッフさんたちに思い切ってまたねんどのことを話しました。するとみなさん口々に「すごい!」と仰ってくださって!やっと興味を持ってくれる人に出会えました。自分の好きなものを受け入れてもらえるとやっぱり嬉しいですよね。
さらに「これはたくさんの人を喜ばせることができるよ」と言ってもらえたことで、私はスイッチが入りました。
今まで自分が楽しむだけだったのが、人に喜んでもらえるものかもしれないと思うと、本格的にじっくりやってみよう、とやる気が湧いてきたんです。それが「ねんドル」誕生の瞬間ですね。
――「ねんドル」宣言直後に表参道同潤会アパートで個展を開催されました。このとき、当時の歴代動員数を塗り替えたそうですね。
ギャラリーに入りきらないぐらいお客さんが来られてびっくりでした!
その頃はまだ自分の作品に自信がなく、ただ精神力と好きな気持ちだけで制作していたのですが、「作品を買いたい」と言ってくださる方も続出して、ここでも受け入れてもらえる嬉しさを味わいました。
個展開催時(2003年)の様子(写真:本人提供)
――多くの人に喜んでもらえてますますやる気が高まったのではないですか?
身が引き締まりましたね。ただ、私は自分の作品を広げる人になりたかったのかというと、それはちがうなと気づいたんです。
思えば私が芸能界に憧れていたのは、「感動や楽しさを届ける人」になりたかったからなんです。だから私は「作る楽しさ」を伝える人になりたいと思いました。
個展をきっかけにやるべきことが見つかり、子ども向けにねんどワークショップを開催するようになりました。
現在はコロナのためオンラインで実施することが多いですが、形式は変わってもずっと続けていて、今年で19年目になります。
オンラインワークショップの様子(写真:本人提供)
憧れから岡田さんと同じような衣装をまとって参加する子どもも多い。
――ねんどはどんなところが魅力ですか?
自分の感覚で好きなように作ることができるところです。
実は私、細かな作品を作るわりには、おおざっぱな性格なんです。分量を量って料理することなどが苦手です(笑)。
ねんどは感覚で手に取った量で、大きくも小さくも作ることができ、自由。
ねんどには正解がないんですよ。どんなものができあがっても自分の作品になり、個性になります。
――ただ、自分で作るのと子どもに教えるのでは全然ちがったのではないですか?
そうですね。その壁にはすぐぶつかりました。小さな子どもたちに短時間で満足する作品作りを体験させるのは難しいことでした。
わかりやすく伝えること、子どもの安全性を確保することは、19年目の今でもよりよい方法を追求しています。
材料選びには特に力を入れていて、ねんどにこだわるのはもちろんのこと、「安全で身近な道具」を常にリサーチしています。家にあるものを手あたり次第使ってみたり、近所のお店で材料になるものがないか見てみたりと、「小さな子でも使えるか?どの家庭にもあるか?」を見極めています。
オーストラリア・パースの小学校でのワークショップの様子(写真:本人提供)。
ブータンの修道院でのワークショップの様子(写真:本人提供) 。
海外ではそろう材料もお題にする食べ物も日本とは異なる。国・地域ごとに毎回リサーチして準備する。
学術的にも子どもたちのことを理解しようと、25歳のときには大学の夜間講座に通いました。教育学をはじめとして、子どもの性質に関すること、万が一の場合の子どもの身を守る術など、多くのことを学びました。
――「ねんドルをやる」ということが、次々とほかのアクションに繋がっていきますね。大人になってから大学で学ぶなんて、エネルギーのいることだと思います。
たしかに大学での勉強は難しく、現役学生と同じように課題を出したり、試験を受けたりするのも大変でしたね。でも私がねんドルとして活動を続けていく上で、学ぶことは必要なことだったんです。
子どものときに大人に言われたことって意外と心に残っていますよね。いいこともよくないことも。
たった一言でもその子の人生を変えてしまうことがあるなら、きちんと子どもたちについて知っておかなければならないと思ったんです。
――目的があっても、疲れてしまって頑張れないということはありませんか?
ありますあります。私って本当は体力もあまりない方ですし(笑)。
なんだかやる気が出ないなというときは、今までに出会った子どもたちのことを思い出していました。
ねんどにのめり込む様子を思い出すと、「今やっていることは子どもたちを楽しませるために必要なこと!」と自分を奮い立たせることができます。
この19年はいろんな出会いがありました。活動初期の頃に接していた子たちはもう立派な大人になっています。なかには、ミニチュアフードを作ったことから食に興味を持ち、パティシエを目指すようになった子もいるんですよ。
ワークショップでは作り始める前に、お題の食べ物について説明する。食への興味が高まって自分で作ると、苦手だった食べ物を食べられるようになったという子もいるという(写真:本人提供)。
子どもの「その後」に繋がることを残せるのはやりがいがあります。だからこの先も活動を続けたい。ちょっとくらいしんどいことがあっても、今まで得た喜びや感動があれば頑張れます。
――岡田さんはねんドルの活動を通して何を一番伝えていきたいですか?
私は何も子どもたちをねんど職人にしたいわけではないんですよね。
ねんどをこねていろいろな作品を生み出すことができるように、いくらでも自分や世界を変えていくことができる。
それを実感して、あらゆる可能性を広げていってほしいです。
私もねんどをこねるように、「やってみよう」「もっとやってみよう」を積み重ね、今では、ただみんなを楽しませるだけでなく、「子どもの心に届く仕事をやっていこう」と夢が大きくなりました!
――これからもたくさんの子どもたちにねんどでやる気を届けてください!ありがとうございました!
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この記事を編集した人
ほんのまともみ
やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。