新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
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仕事・働き方
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1990年11月29日生まれ。宮崎県児湯郡高鍋町出身。高校時代に聴いた「般若」のラップに影響を受け、2012年より本格的にラッパーとして活動を開始。数々の名だたるMCバトル大会で好成績を残し、大人気テレビ番組「フリースタイルダンジョン」にも3度出場した。現在は楽曲の制作に力を入れており、2020年には4枚目のアルバム「1LDK」をリリース。内面の弱さを包み隠さずさらけ出した歌詞が大好評を博している。GADOROオフィシャルサイトはこちら
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やる気ラボの勝部です。
本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さっそくですが、GADOROさん。
GADOROさんの楽曲は、みずからの「クズ」っぷりや「ダメ男」ぶりを歌った曲も多いです。いったいどのような学生時代をすごしていたのでしょうか?
俺は、小さい頃からクズを自覚していました。性格がねじ曲がっているというか、まっすぐに物事を見られないというか…、本当にそんな感じの学生時代でした。
学校でも、勉強なんかはまるでできず、つねに成績は下から2番目。後先考えずに行動していたので、橋から飛び降りて上れなくなり、橋の下で夜中までずっとワンワン泣いていたこともあります。夜釣りに来たお兄さんがテトラポッドを飛び越えて助けに来てくれたんですけど、あの時は本当に死ぬかと思いましたね。
それは意外です。今のクールな姿からは想像もつきません。
単純にアホだったんでしょう。
こんなこともありました。あるとき、運動会の団長に立候補したんですよ。俺以外のクラスの3~4人も立候補してたんですけど、小学生時代はわりと友達がたくさんいたこともあって、多数決で圧倒的な支持を集めて団長の座を勝ち取りました。でも、その2日後に先生から「お前はダメや!」と言われ、無理やり団長を降ろされてしまったんです。
えぇ、それはひどい話ですね。
それぐらいどうしようもないヤツだったんです。
中高に上がってからは、さらにそのクズさに拍車がかかりました。警察とかのお世話になったことはないんですけど、それはもうひどかったですよ…。サッカーをしてる時に俺のボールを狙ってくるやつの足をわざと蹴って抜くとか、鬼ごっこでずっと俺を狙ってくるやつをいきなりぶん殴るとか…。強くはないけど、喧嘩もしょっちゅうしていました。
そういう自己中な性格がきっかけで、友達がほとんど口をきいてくれないような時期もありましたね。
なかなか激しかったのですね。
しかし、GADOROさんは「イチローに憧れて少年野球 プロに当然なる情景が浮かぶ」と歌っているように、学生時代は野球に熱中されていたんですよね?
野球は、小3~中2の途中までと高校の途中までやっていたので、歴はけっこう長いんです。
これは、親父の影響ですね。巨人が負けた日は子供に暴力を振るうくらいの巨人ファンだったので、俺も自然に巨人ファンがしみこみました。宮崎はプロ野球のキャンプ地として有名なので、よく見学に行ったりして、確かに自分もプロ野球選手になりたいと思ってやっていました。
学生時代に何か熱中できることがあることは素敵なことだと思います。
でも、俺は野球においても「ここぞって時にダメな男」だったんです。
例えば3対2でチームが負けていて、2アウトランナー2塁3塁で打席俺ってなった時に、自分でわかるんすよね。「あ、俺ここで打てんわ」「ここで終わるんだな」って…。
どこかあきらめの気持ちがあった、と。
プロ野球選手になるという夢も、高校の時にあきらめました。卒業してからはなんとなくパチンコ屋さんに就職したんですけど、そのパチンコ屋も半年ぐらいでクビになったんです。ダサくて言うのが恥ずかしいんですけど、それもお客さんと喧嘩になったのが原因だったんですよ。
生活でも野球でも、どこか煮え切らない思いがあったのですね。
そんなGADOROさんがラップに出会って変わっていくわけです。そもそも、どうしてラップをしようと思ったのでしょうか?
高校時代にヒップホップに出会ったのがきっかけですね。パチンコ屋で働いている時も、気づいたら一人でフリースタイルをしているような感じでした。
それくらいラップにハマっていた、と。
はい。当時は曲作りの方法とか知識なんてまったくなかったんですけど、フリースタイルとかMCバトルって、そういうことを知らなくても誰にでもできるんですよね。動画とか見ていても、「これなら俺の方がうまいんじゃないかな」っていう自信もありました。
そんな時に、ちょうど宮崎で初めてUMBの予選が開催されることになったんですよ。宮崎なんてフリースタイルの文化もないだろうし「絶対優勝できるだろう」と思って、気が付いたらエントリーしていたんです。
そこからGADOROさんのラッパーとしてのキャリアがスタートするわけですね。
実際にやってみてどうでしたか?
最初の出番は1試合目の1番目だったんですけど、相手は見た目の超怖いヤツ。まだビートも鳴っていないのに「おいこら!」ってガンつけてくるようなヤツだったんですよ。正直、「やべえところに来たなあ」って思いました。
でも、蓋を開けてみたら100対0くらいで勝っちゃって(笑)結局その後も、とんとん拍子で決勝までいったんですよ。
それはすごい!
それでは、その勝利でさらに自信をつけたGADOROさんは、これで生きていこうというやる気スイッチが入ったのですね?
それが、実はちょっと違うんです。
確かに最初はその結果を受けて、「僕もラップを始めるんです」って後輩が嬉しそうに報告してきたり、「初めてなのにすごいな」って先輩がほめてくれたりしていたんですけど…。
その時の決勝戦、俺はテンパってしまって小学生の悪口みたいなんをワーって並べてしまったんです。その決勝の動画がネットに出回って、めちゃくちゃに叩かれたんですよね。
え、叩かれた?
その後の大会で宮崎を制して全国大会に出ることになるんですけど、その時も同業者には「あんな奴が」と散々にののしられ、Twitterでは客に小ばかにされ、めちゃくちゃ悔しい思いをしました。
全国大会、結局1回戦で負けて宮崎に帰ってきたときは本当にひどかった。先輩とか同業者のラッパーはもちろん、当時媚びを売ってきた後輩も、俺のことを完全に無視するんですよ。周りはみんな、俺のことを嫌っているみたいな、そんな状態でした。
一つの失敗でそこまで叩かれるとは…。恐ろしい世界です。
また、ライブでも悔しい思いをしました。当時はお客さんが2~3人とかしかいなかったんですけど、そんな中俺がマイクを持つと、その人たちもサーっとバーカウンターの方に行くんです。で、そっちの方が盛り上がっているみたいな。
一度、俺の歌っている目の前で唯一の客だったカップルがディープキスを始めたときは、さすがの俺でもこたえましたね(笑)
それはヤバいですね…。
そのような状態の中、どうしてラップを続けることができたのでしょうか?
先ほど、やる気スイッチというお話があったと思うんですけど、俺のやる気スイッチは紛れもなく「反骨心」だったんです。当時は、ラップが好きか嫌いかとかもよくわからなかった。ただ、ナニクソ根性だけですね。
世間は、復讐や妬みからは何も生まれないってよく言うんですけど、俺はそうは思わない。ナニクソ根性の気持ちがあったからこそ、俺はラップにのめりこむことができたし、強くなることができたんだと思うんです。
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GADOROさんのナニクソ根性とは、具体的にどういうものだったのでしょう?
俺は、今まで学校でも職場でも「おまえ、覚えが悪いな」と言われても、何の気持ちもわかなかったんですよね。むかついたりとか、「だったらうまくなってやる」というような気持ちがわいてきたりすることもなかったんです。
でも、なぜかラップだけは絶対に譲れないものだったんですよ。「こいつみとけよ」とか「どう黙らせてやろうか」とか…そういうことを考える一心で、ここまでやってきたという感覚です。
勉強でも仕事でも野球でもなく、なぜそれはラップだったのですか?
うーん…。ラップは、自分が唯一信じられるものだったからですかね。ずっと全部中途半端な人間だったので、ラップくらいはそれでも続けようって…。その時はラッパーとしてはまったく何もなしえていないんですけど、ラップしかなかったという感じだったんですよね。
俺、いまだにラップは「自分がいちばんだ」と思ってやっているんですよ。
「決して譲れないもの」というのは、そういうものなのですね。
GADOROさんは、ラップのどういったところに魅力があると感じていますか?
自分の言葉を肯定でき、自分の言葉を正解にできるところでしょうか。
リリックにしてしまえば、どんな正論も屁理屈で論破できるんですよ。たとえ喧嘩が弱くても、たとえ頭が悪くても、言葉の表現方法さえ覚えてしまえば、自分を天才に思わせたり、逆にこいつアホやなと思わせたりすることができる。そんなことを誰でもできるのが、ラップ。そこに魅力を感じますね。
なるほど。確かに、GADOROさんの楽曲も、卒業から恋愛、宮崎の街や日常まで、テーマや言葉のヴァリエーションが豊富です。
GADOROさんのお話を聞いていると、前向きで誠実ですし、とても「クズ」なんて言葉は似つかわしくない気がするのですが…。
それも、ラップに出会ったから変わったんだと思います。
もし、ラップがなかったらたぶん今も仕事してないし、ずっと毎日ゲームしてるだろうし、親のすねをかじってるだろうし…また彼女のヒモになって借金しまくってたと思うんですよ(笑)
4月に発売した4枚目のアルバム「1LDK」も大好評を博しています。「ハジマリ」では、「次武道館であるときは全員で来てくれ」と歌っていますね。孤独を感じていた学生時代も、ラップによってまたつながることができたのではないでしょうか?
当時の学生時代の仲間とも、今はまた楽しく話せるようになりましたね。武道館の打ち上げはみんなで居酒屋いこうと思ってるんですけど、でも相当な人数ですよ。武道館に呼ぶことはできるかもしれないけど、居酒屋に呼ぶことはできんのじゃないかなと…。そこは、ウソになるかもしれないですけどね(笑)
GADOROさんが一つの目標とする武道館でのライブにも、大きく近づいたことと思います。当時のモチベーションであった反骨心に変化はありますか?
でも、やっぱり今も反骨心っていうのは変わらないですよ。いろいろな豪華アーティストの人たちと一緒にライブをすることも増えてきたんですが、やっぱりレベルが違うんです。こういう人たちとかを見ると「やっべぇ」ってなるんですよね。「こいつらに負けたくないな」と、焦るんです。
また新たに違う場所でそう思うし、今後もそれは変わらないと思う。これからも、反骨心をもってスキルアップしていければいいですね。
どんなに高みに上っても、GADOROさんの根底にある「反骨心」というモチベーションは変わらないのですね。
それでは最後に、「やる気が出ない」「やりたいことが⾒つからない」といった悩みを抱えている読者のみなさんに向けて、夢に向かって頑張るためのアドバイスをお願いします。
無理に探す必要はないと思いますよ。そういう瞬間が俺の場合は突如現れたんで、その時を待つというか…。
でも、絶対にあると思うんですよね。ほんと些細なことでも、それが、お金につながるとかは関係なく、絶対譲れないものって誰にでもある気がするんですよ。そこだけ…そこだけを持っていればいいんじゃないですか?夢とかなくても、譲れない部分、それさえあればきっと生きていくぶんには大丈夫なんだと俺は思います。
GADOROさんがラップを見つけたように、ですね。
そうです。だって、ラッパーの俺しか知らない人は、「お前って負けずぎらいだよね」って言ってくるんですけど、逆にそういうことをプライベートの友達とかに言われることってまったくないので。
絶対に誰にもありますよ、譲れないもの。
僕もそう思います。そういったものが、将来の仕事や生きがいにつながるのですね。
大切ですよ、ナニクソ根性。「いつか有名になるから、あの時キスしとったヤツら覚えちょけよ!」みたいな。
覚えてくれてるといいな~、あのディープキスのカップル(笑)
きっと今頃、ちゃんとライブを見ていなかったこと、めちゃくちゃ後悔していると思いますよ(笑)
ありがとうございました!
これからのGADOROさんの活躍を期待しています。
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この記事を書いた人
勝部晃多(かつべ・こうた)
やる気ラボの娯楽記事担当。23歳。ハウストラブルコラムやIT関連のニュースライターを経、2019年8月より現職。趣味はプロ野球・競馬観戦や温泉旅行、読書等と幅広いが、爺臭いといわれるのを気にしているらしい。性格は柴犬のように頑固で、好きな物事に対する嗅覚と執念は異常とも評されている。
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