新納一哉さん、ゲーム開発にかける想い「やりたい気持ちに、ウソをつきたくない」
2020.07.29
仕事・働き方
2020.09.16
栗コーダーカルテット
左から、
栗原正己(くりはら・まさき)
楽器:リコーダー、ピアニカ、アンデス他
川口義之(かわぐち・よしゆき)
楽器:リコーダー、パーカッション、サックス、ウクレレ他
関島岳郎(せきじま・たけろう)
楽器:リコーダー、テューバ、口琴他
1994年結成。NHK Eテレ「ピタゴラスイッチ」や、通称「やる気のないダースベイダーのテーマ」などでもお馴染みのインストゥルメンタル・バンド。映画、テレビ、舞台、CMへの楽曲提供を含め、参加CDは100を超える。2015年より3人編成に移行。ギターやリコーダーに多彩なゲストミュージシャンを迎え、またボーカリストとの共演を行うなど、よりフレキシブルに活動中。近年は国内外で多くの公演を行い、0歳からシルバー世代までが集うファミリーコンサートやロックフェスティバル、クラシックイベントなど多方面に出演し、あらゆる層から歓迎されている。2020年9月にはアルバム「25周年ベスト」を発表する。
オフィシャルサイト: kuricorder.com
―― バンド結成のいきさつは、一夜限りのライブからだったそうですね。
川口 そうですね。「たま」(※)の知久寿焼くんのライブのため、一時的に結成したんです。当時はメンバーそれぞれ別にバンド活動をしていたので、イベントの一つに過ぎませんでした。
でもその時、唯一自分のバンドをやっていなかった栗原さんの勢いがすごくて。
※たま
1984年結成のバンド。 知久寿焼(ちく・としあき)、石川浩司(いしかわ・こうじ)、滝本晃司(たきもと・こうじ)、柳原幼一郎(やなぎはら・よういちろう)の4人で構成され、 90年代に奇抜な音楽とパフォーマンスで一大ブームを巻き起こした。2003年解散。
栗原 自分ではよくわからないけど、そうだったみたいで(笑)。
笛の音が好きな知久くんをリコーダー四重奏で伴奏しよう、という企画で、7月の本番に向けて、5月くらいから準備し始めたと思います。一回のライブのためだけだったんですが、かなりの熱量で取り組んで、当日は20曲くらい演奏しました。
全曲新アレンジで、しかも楽器のこともよくわかっていないから音域やフレーズもめちゃくちゃで……。おまけにみんな笛に慣れていないから演奏も大変でしたよねえ。
川口 ちょうど26年前の今日なんですよ。
取材日は7月15日。1994年のこの日が初演だった
栗原 当時、突然に謎のリコーダーブームが訪れまして、この楽器のことを猛烈に知りたくなったんです。少ない情報を頼りに、CDなどの音源や本、楽譜などを買い漁っているうちに、いろんなことがわかってきます。
それまでは小学校の授業で習う楽器くらいのイメージしかなかったんですが、じつはバロック時代よりもさらに前からの長い歴史があって、大雑把に言うと古楽というジャンルがある。ソロやアンサンブルのための楽曲もいろいろあって、うまい演奏家もたくさんいて、これは奥が深いぞと。
そのうち、ぼくは教則本と安い木製リコーダーを仕入れて一人で練習を始めるんですが、物足りなくなり、合奏がしたくてしょうがなくなって……。特に四重奏は憧れの合奏形態でした。
関島 で、いざやってみると、新鮮でおもしろかったんですよね。ふだん活動しているのとはちがう楽器でのアンサンブルが楽しく、音楽的なスタンスもいつもとちがっていて。 「どんなことをやっていけるんだろう」とワクワク感がありました。
そんなわけで、知久くんのライブのために一回限り集まったつもりだったのが、バンドとしてもライブをやってみようかということになりまして。
ぼくらはそれぞれリコーダーの初心者でしたけどミュージシャンとしては長く活動していたので、演奏は拙いながらも表現する能力には長けていたと思うんです。
当時の栗コーダーを聴いた人は、その楽器の演奏能力と表現したいことのアンバランスさをおもしろがってくれていたのかなあと。ありがたいことに、まわりの音楽関係者がぼくらのことをおもしろがってくれて、いろいろな仕事に声をかけてもらうことも多くなりました。そのあたりも活動を続けられた動機づけのひとつですね。
川口 でも最初の頃の演奏はひどかった(笑)。
栗原 今でもできないような難しい曲ばかりやろうとしていたよね(笑)。
そもそも古楽のレパートリーって難しいものばかりなんですよ。それに対して、ぼくらはロックバンド出身で、リコーダーは小中学校で少しやったぐらい。全然うまくいかなかったです。
―― 「全然うまくいかない」と普通はモチベーションが下がりそうなものですが、それでも10年、20年と続けてこられたのはなぜでしょう?
川口 いきなり核心的なことを聞きますね(笑)。
栗原 なぜでしょうね(笑)。
ただ、こう思うことがあります。もし最初からやりたいことができていたらそれで終わっていたんじゃないかって。
古楽系の音楽は無理……とわかってから、「じゃあ、やれる曲をやっていこうか」と、自分たちでできることを探していきました。できなかったからこそ、やりやすい形、楽しんでできる形を模索していって、今に繋がっていると思います。
関島 それと、ぼくら自身がおもしろがってやってきたのも大きいです。他のバンドで「この曲やってみたいな」と思ってもなかなかできなかったことが、栗コーダーでは気楽に試せました。「じゃあ、あれもできるんじゃない?これもできるんじゃない?」と可能性を広げつつ楽しんでやってきましたね。
―― 改めて、みなさんにとって「栗コーダーカルテット」とはどんなバンドですか?
川口 型にとらわれないで色々なことを試していくバンドですかね。早い段階からリコーダーだけを演奏する場としては考えなくなりまして。知久くん抜きの栗コーダーの最初のライブからずっと「リコーダー×いろんな楽器」で。
もともと自分たちがやっていた楽器もあったので、それらを取り入れながら新しいサウンドを開発していきました。ぼくはサックス、栗原はベース、関島はチューバ、元いたメンバーの近藤はギター。扱える楽器の種類が分散していたのも音楽を作る上で功を奏したと思います。
関島 最初の5~10年は試行錯誤が楽しい時期でした。本業とはちがう楽器を手にしていることもあり、気楽にいろんなことを試せたんですよね。
川口 やたらいろんなことを試しましたよ。時にはあまり使ったことがない楽器にも挑戦してみました。電子楽器だけでライブをやった時は、「栗コーダーの名前でこういう音楽はやらないでほしい」って意見のアンケートもありました(笑)。
栗原 初期の頃は、季節に1回ぐらいしかコンサートをやっていなかったので、時間をかけて準備ができたんです。「あれやってみよう、これやってみよう」と、どんどんチャレンジしていきました。
川口 そういえば2001年から「笛仙人」というメルマガ配信をしているんですが、最初の頃の投稿を見返すと、すでに「レパートリーが何百曲もある」なんてことを書いているんですよね。
関島 だって5周年記念で本を出した時点で200曲以上ありましたからね。相当入れ込んでやってきましたよ。
25年間、常にいろんな形態で、変化に富んでやってきました。そのおもしろさはいまだに持続しています。
―― 結成当初から「やればやるほど楽しくなってきた!」という様子がうかがえます。バンドにとっての転機といえば何でしょうか?
川口 「ピタゴラスイッチ」のオープニングテーマ(2002年)と「帝国のマーチ」(2005年)を発表した頃ですね。
ぼくらはそれまでに各自がいろんなバンドをやっていたから、「栗コーダーカルテット」は結成当初からミュージシャンまわりや音楽ファンの方々に知られていました。もともとの活動から興味を持って、栗コーダーの音楽も聞いてくださる方が多くいたんですよね。
でもこの2曲が世に出てからは、お客さんの層がぐんと広がったんです。
栗原 この少し前に、 NHKのプチプチアニメ「ジャム・ザ・ハウスネイル」(1996年) やテレビ東京系列のアニメ「キョロちゃん」(1999年)の背景音楽も担当させてもらい、だんだんとぼくらの曲が、番組だったりCMだったりで使われることが多くなっていました。
どうやらぼくらの飄々とした音のうすーい音楽が音効さんにとって使いやすかったみたいですね(笑)。
関島 ぼくは別の仕事でお会いした音響効果の方に「いつも使わせてもらっています」と言われたことがありますよ(笑)。
―― メディアに楽曲が使われるのは、モチベーションのプラスになりますか?
栗原 そうですね。そもそもミュージシャンとしていろんな人に聞いてもらいたいと思って作っていますし、多少意図とちがう使われ方をしていても、「役に立っているんだな」と思いますよ。
川口 ぼくは栗原さんとちがってCM音楽などを作ったことがなかったので、テレビとかラジオのBGMなんかで曲がかかり始めた頃はびっくりしました。映画の有名な曲なんかの後でかかると、「あっ自分の曲だ」ってちょっと感動します。
関島 素直に嬉しいですよね。時々強引な意図でかけられていることもありますけど(笑)。 曲が一人歩きしている感じもおもしろいです。
―― 25年間モチベーション高く活動されてきたことと思いますが、昨今のコロナによる影響でコンサートが軒並み中止になったそうですね。
関島 そうなんです。コンサートはぼくらにとって基本で日常でした。結成当初は四半期に1回程度の開催でしたが、ここ10年は全国各地からオファーをいただいていて、コロナじゃなかったら今頃、毎週末演奏に赴いていました。
川口 近年は幼児からシルバー世代まで幅広い層の方にお越しいただいていて、毎回「どんなふうにして喜んでもらおう」と考えるのが楽しみでした。演奏後にサイン会もしていたので、コンサートはファンの方々との交流の場でもあったんですよ。
栗原 もう4か月以上やっていないので、結成当初の頃よりもやっていないことになりますね。こんなことはバンド史上初めてのことです。
――コンサートは活動の柱だったのですね。
川口 コンサートはお客さんのリアルな反応が見られるので大きなやりがいがあります。訪れる土地ごとや年齢層ごとで全然反応がちがっておもしろいんです。
サイン会の時には、ファンの方から「家に帰って押入れからリコーダーを探してみます!」と感想をいただいたり、ご自身が使っている楽器を見せていただいたりします。ぼくらの音楽に刺激されて何かしらの行動に繋がっていることが伝わってきて、嬉しいんですよね。
栗原 「小さい時にキョロちゃん見て音楽を聴いていました!」というお声をいただくこともあるんですけど、格別に嬉しいです。だって、子どもの頃に見てたんだろうけど、目の前にいるのは立派な青年なんです。自分たちがむしゃらに一生懸命にやってきたものが幼心に響いていて、大きくなってコンサートに足を運んでくれている。その感動はひとしおですね。
関島 こんなに幅広くあらゆる層に親しまれるバンドになるとは思ってもみなかったですね。
小学校の音楽鑑賞教室での演奏などは、最初は「場ちがいなんじゃないか」とも思っていました。でも、「自分たちに何ができてどんなふうに子どもに音楽のおもしろさを伝えられるか」は、ずいぶん研究して積み重ねてきました。
このバンドのいいところは、その改良の過程もおもしろがってやれることなんです。
栗原 そうだよね。これって最初の話にも通じると思います。思えば5年前にメンバーが一人減った時も大変だったんですが、「それはそれでまた新しいことができるな」っておもしろがったりしますよね。
川口 だからコロナによる自粛生活はマイナスだけではなかったかなと思います。
ぼくは数十年ぶりに大掛かりな片付けをして図らずも過去を振り返ることになって、「このぐらいのことができるなら、次はこんなことができるかな」ってむしろ意欲が高まったんですよ。
関島 ぼくもそうですね。コンサートはできなくなったけど、自宅録音の仕事が増えてふだん演奏や録音で気づけなかったことに気づけたり、動画編集の勉強を始めたり、プラスになったこともあります。
栗原 なんだかんだこれまで追われるように生活していたんです。でも今は立ち止まれている。だからこそ気づくことがあったり、新しくやってみようと思うことが出てくるんですよね。
――最後に、「栗コーダーカルテット」としての今後の展望を教えてください。
栗原 単なる願望ですが、早く普通に集まってライブやコンサートがやりたいなあ……。配信は配信でおもしろいですしメリットも大きいですが、ライブとは別物ですよね。そして、今までと変わらず自分たちらしい音楽を作っていきたいですね。
川口 もうすぐ25周年のベストアルバムを発表するんですが、これまでの活動を振り返って、「いい仕事してきたな」と自信があります。次の5年、10年もそう思えるようにまた頑張って、節目節目の目標としての30周年ベストも出せますようにと。
栗コーダーカルテット/25周年ベスト(2020年9月23日発売)
結成25周年を記念し、レアな録音や初CD化を含む全42曲を収録!ボーナスディスクには14名の多彩なボーカリストとのコラボレーションも。ジャケットイラストは絵本作家・ヨシタケシンスケさんの描き下ろし。
・初回限定盤(▲写真左)[2CD+特典CD]¥4,000(税抜)
*特典CD:栗コーダーカルテットが共演・参加したボーカル作品ベスト
・通常盤 (▲写真右)[2CDのみ]¥3,000(税抜)
詳細はこちら
関島 ぼくはここらで「栗コーダーの代表作」を生み出したいと思っています。今までにもう出してるんじゃと思われるかもしれませんが、「ピタゴラスイッチ」も「帝国マーチ」も知名度はあるものの、サウンドトラックだったり企画ものだったり、音楽先行のものではありませんから。「これぞ!」というものを栗コーダーとして残したいですね。
――次の10年、20年のご活躍も楽しみにしています。ありがとうございました!
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この記事を編集した人
ほんのまともみ
やる気ラボライター。様々な活躍をする人の「物語」や哲学を書き起こすことにやりがいを感じながら励みます。JPIC読書アドバイザー27期。